帰国
2025/11/22
クアラルンプールには早朝に到着。ここでの乗継ぎ時間は4時間ほどです。


成田行きの飛行機のゲートが確定するまで所在なく待機している間、バンコク、シンガポール、香港と散らばった面々との状況連絡のやりとりが続きましたが、最初に日本に着いたのはカトマンズを昨日の昼に発ったA氏、ついで出発は遅いながら直行便だったT氏でした。


クアラルンプールから成田へ向かう飛行機も無事に飛んで、おいしい機内食と若干のアルコールで体脂肪の回復を図ります。もっとも、今回の旅を通じてどこまでスリムになっていたかはこの時点ではわかっていなかったのですが、帰宅してから測ったところでは体重が3kg減り、体脂肪率は10%になっていました。

ただいま、日本。こうして約3週間にわたった3度目のネパールへの旅は終了しました。
この旅行を振り返るにあたってまず最初に書いておかなければならないのは、とにかくタイミングがラッキーだったということです。繰り返し言及したようにネパールでは10月末にサイクロンの影響で悪天候が続き、エベレスト街道でも高いところでは雪、ナムチェバザールから下では雨にたたられて、多くのトレッカーがルート上に閉じ込められるという事態が生じました。そんな中で私の山友のアユミさんがチョラツェに登れたのも、ガイドシェルパが悪天候の到来を察知して登攀日程を前倒ししたからです。これに対して私の場合は、出だしのカトマンズからルクラへの移動こそ悪天候の余波を受けたものの、ルクラに飛べた後は連日申し分のない天候に恵まれ続け、おおむね順調に計画していた行程を進むことができました。
次に現地でのサポート体制ですが、過去2回のネパール山行(2018年 / 2024年)は日本のアドベンチャーガイズ(AG社)の公募プランに乗るかたちだったのに対し、今回は純粋なトレッキングであることからネパールのGH社に直接コンタクトし、アテンドを依頼することとしました。同社はアマ・ダブラム山行の際にAG社からの受託により現地での山行を仕切っていた会社で、このときに同社と自分との間に信頼関係が生まれていたことから今回の依頼先としたのですが、この場合でも自分で手配しなければならないのはカトマンズまでの往復の航空券とビザの取得だけで、ネパール国内での宿泊・移動手段・ガイドとポーターはすべてGH社が用意してくれるので楽なもの、かつ、当然コストダウンにもなります。何しろこの圧倒的な円安[1]ですから、少しでも費用は抑えたいものです。ちなみに今回ご一緒した皆さんのうちでは、OさんがGH社ダイレクト、島トリオが日本のW社を通じた契約(GH社は同社からの受託という位置付け)でしたが、ネパール旅行の経験があって旅の勘どころをすでにつかんでおり、なおかつGH社のような信用できる現地会社とのコネクションができているなら、日本の代理店を通す必要性は皆無だというのが私の意見です。
また、公募プランの場合は主催者側が立てた行程表に沿って歩く / 登ることになるのに対し、今回のトレッキングでは自分で希望する行き先をピックアップし、先人の記録を参照しながら自分なりの計画を組み立てGH社に提示して添削を受けるというプランニングの楽しみもありました。つまり既製品ではなくオーダーメイドの旅程というわけです。もちろん身ひとつで風の吹くまま気の向くままにトレッキングルートを徘徊するというスタイルもありだとは思いますが、私は「立案した計画を遂行する」ことに喜びを覚えるタイプなので、GH社の手厚いサポートは旅の必須条件でした。
さて、あらかじめ私が立てた計画とその実績との対比は次のとおりです。
| 日付 | 計画 | 実績 |
|---|---|---|
| 2025/10/31 | 成田→クアラルンプール→カトマンズ | 成田→クアラルンプール→カトマンズ |
| 2025/11/01 | カトマンズ | カトマンズ |
| 2025/11/02 | カトマンズ→ルクラ→パクディン | カトマンズ |
| 2025/11/03 | パクディン→ナムチェバザール | カトマンズ→ルクラ→モンジョ |
| 2025/11/04 | ナムチェバザール→パンボチェ | モンジョ→ナムチェバザール |
| 2025/11/05 | パンボチェ→アマ・ダブラムBC→パンボチェ | ナムチェバザール→パンボチェ |
| 2025/11/06 | パンボチェ→チュクン | パンボチェ→アマ・ダブラムBC→パンボチェ |
| 2025/11/07 | チュクン→チュクン・リ→チュクン | パンボチェ→ディンボチェ |
| 2025/11/08 | チュクン→コンマ・ラ→ロブチェ | ディンボチェ→チュクン |
| 2025/11/09 | ロブチェ→ゴラクシェプ→EBC→ゴラクシェプ | チュクン→チュクン・リ→チュクン |
| 2025/11/10 | ゴラクシェプ→カラ・パタール→ゴラクシェプ→ロブチェ→ゾンラ | チュクン→コンマ・ラ→ロブチェ |
| 2025/11/11 | ゾンラ→チョ・ラ→ゴーキョ | ロブチェ→ゴラクシェプ→カラ・パタール→ゴラクシェプ→ロブチェ |
| 2025/11/12 | ゴーキョ→チョ・オユーBC→ゴーキョ | ロブチェ→ゾンラ |
| 2025/11/13 | ゴーキョ→ゴーキョ・リ→ゴーキョ | ゾンラ→チョ・ラ→ダグナ |
| 2025/11/14 | ゴーキョ→レンジョ・ラ→ターメ | ダグナ→ゴーキョ→ゴーキョ・リ→ゴーキョ |
| 2025/11/15 | ターメ→ナムチェバザール | ゴーキョ→5th Lake→ゴーキョ |
| 2025/11/16 | ナムチェバザール→ルクラ | ゴーキョ→レンジョ・ラ→ルンデ |
| 2025/11/17 | (予備日) | ルンデ→ナムチェバザール |
| 2025/11/18 | (予備日) | ナムチェバザール→ルクラ |
| 2025/11/19 | (予備日) | ルクラ→マンタリ→カトマンズ |
| 2025/11/20 | ルクラ→カトマンズ | カトマンズ |
| 2025/11/21 | カトマンズ→ | カトマンズ→ |
| 2025/11/22 | →クアラルンプール→成田 | →クアラルンプール→成田 |
この私が立てた「計画」のうち、デンディさんからはっきりと「ここは要訂正」と指摘を受けたのはゴーキョからレンジョ・ラを越えた後の宿泊地をターメとしている点で、これでは峠越え後の歩きが長く翌日のナムチェバザールまでの行程が短いというアンバランスが生じるので「実績」のようにルンデ泊とするのが妥当です。それ以外の点についてはダメ出しはなかったのですが、どうやらデンディさんは私の脚力を過大評価していたようで(笑)、チュクン・リまでの間に私の真の脚力を見抜いたソナムは「○○○・ラ越えには○時間かかる」などと所要時間の見積もりを提示するようになり、しかもその予測はほぼ正確でした。そして、この「真の脚力」を踏まえて後から計画を見直してみると、予備日をとってあったとは言ってもやはり少々ゆとりがないプランになっていたことを反省しました。明確なレスト日を設けていないこの計画では、当日の負荷と翌日の負荷を同時に見て高負荷の日が連続しないようにする工夫が必要なのですが、そのあたりの考慮が不足していたようです。
実際の旅は、まずカトマンズからルクラへのフライトが1日遅れとなり、さらにディンボチェからチュクンへの移動時の体調不良のためにチュクン・リ登頂も1日遅れとなって、その頃から各日の行程の負荷と自分の体調と予備日の残りとからなる三元連立方程式を常に意識しながらの少々ハラハラするトレッキングとなったのですが、ソナムとGくんの献身的なサポートのおかげで、何はともあれスリー・パスを歩き通すことができました。それに昨年のような「登頂できるかできないか」という切羽詰まった目標を設定した旅ではありませんでしたから、いわばパズルを解くような感覚でハラハラを楽しむ心のゆとりも一応はありました。計画はあくまで計画であって、現実に生じる予定外の事象に対応し「何をとり何を捨てるか」をその場で考えるのもいわば旅の醍醐味。ガイドの助言は受けますが、決定するのはあくまで自分です。
ただ、この計画では「三つの峠」「三つのピーク」と共に「三つのBC」を訪れることも眼目になっていたのですが、EBCはゴラクシェプの宿がとれなかったことを原因として、またチョ・オユーBCは私の脚力ではワンデイでの往復に不安があるというソナムの見立てによって、いずれも訪問を諦めざるを得ませんでした。このうちEBCの方は2018年に2泊3日で滞在したことがあるのでさほど未練はありませんが、自分の脚力不足のためにゴズンパ氷河最奥のチョ・オユーBCに届かなかったことは、今回のトレッキングでのほぼ唯一の残念ポイントです。もっとも、確かに5th Lakeを見た時点である程度の満足感を得られてはいましたし、そこからチョ・オユーBC方面は残雪が多く道が不鮮明だと思われたので、少なくとも今回のコンディションでは5th Lakeまでの往復にとどめたのは妥当だっただろうとは思います。
このように百点満点というわけにはいきませんでしたが、とにかく楽しく実り多い旅でした。特に、コンマ・ラ直下の湖の神秘的なグリーンや5th Lakeの静寂の空間、ルンデからターメまでの間の旧交易路の時間が止まったような雰囲気は「三つの峠」や「三つのピーク」以上に強い印象を残してくれて、忘れられない思い出になりました。
なお、旅を楽しむためには体調管理が重要で、空気の薄さもさることながら夜から朝にかけての厳しい寒さと日中のとんでもない暑さとの極端な気温差が大敵です。過去2回のネパール山行の経験からこのことは十分承知していたので、歩いているときの衣類は比較的薄いものを数枚重ね着してこまめに脱ぎ着し、ロッジにいる間はGくんに運んでもらっている分厚いダウンジャケットを着用していたのですが、上述の通りディンボチェ〜チュクンの頃は身体が温度変化に追いつかず風邪に似た症状を呈しました。実はパルスオキシメーターを使ったのはこの2日間だけで、血中酸素飽和度を測ってみたところいずれも85あったためさして心配せず、実際にもナルゲンボトルの湯たんぽをシュラフの中に入れてしっかり睡眠をとったことで早々に回復できた後は最終日まで体調はほぼ良好で、高山病に悩まされることもなく(ダイアモックス等の薬は不使用)お腹をこわすこともありませんでした(ダグナあたりで若干ゆるくなりましたが下痢まではいきませんでした)。ただし、ネパール旅行の常として途中から鼻炎にはずいぶん悩まされ、そのためトイレットペーパーの消費が増えてしまいました。
最後に、カトマンズに着いてからカトマンズを離れるまでの全期間をプロデュースしてくれたGH社のデンディさんと、Oさんや島トリオを率いながらも折々に目配りをしてくれていたチェパ、上り坂になるととたんに足が遅くなる私を我慢強く導いてくれたソナムとGくん、一緒にいるときも離れているときも互いに励まし合い成果を出し合ったOさん、A氏、F氏、T氏、そしてところどころで接点を持ちゴーキョを発つときには声援を送ってくださったハイジさんとその一行の皆さんに、あらためて御礼を申し上げます。ありがとうございました。
今回の旅ではGoProを持参し、「三尽くし」の一環としてパンボチェ、ディンボチェ、チュクンの3カ所からアマ・ダブラムの姿をタイムラプス動画に撮って「Three Views of Ama Dablam[2]」と洒落てみようと思っていたのですが、案に相違して(?)アマ・ダブラムの姿はゾンラからも、さらには遠くゴーキョ・リの頂上からも見えていたため「Many Views」になってしまいました。
上記の5カ所からのアマ・ダブラムの姿をつないだ動画がこちら。やはりアマ・ダブラムは、どこから見ても美しい山です。
脚注
- ^今回の旅では出発時の成田空港で円をドルに変え、カトマンズでドルをルピーに変えるという両替を行いましたが、各通貨間の両替レートは155.60円→1ドル→140ルピーでした。
- ^cf. Weather Report「Three Views of a Secret」。