ルクラ〜マンタリ〜カトマンズ
2025/11/19
いよいよ待望のカトマンズへの帰還の日。しかし残念ながら直行便ではなくマンタリのラメチャップ空港に飛んで、そこから車に6時間揺られてカトマンズを目指すことになっています。ただしF氏だけは、ヘリコプターでカトマンズへ直行することになりました。どうやらF氏はルクラでの凍傷の治療の際に水疱を破ったことから(たぶん)何らかの感染を生じたらしく、昨日も体調が悪いながら祝宴に参加してくれていたものの、その後はずいぶんつらい夜をすごしていたようです。このため彼は、飛行機のキャンセル料100%、ヘリコプター代○万円となかなか厳しい出費を余儀なくされてしまいましたが、きっとデンディさんが効果てきめんの書類を書いてくれて、保険金がつつがなく下りることでしょう。

快晴のテンジン・ヒラリー空港。しかし油断してはいけません。目的地とそこまでの空路のすべてが晴れていなければ、飛行機は飛ばないのですから。


……というわけでセキュリティゲートを通った後も半信半疑の乗客たちでしたが、どうやら我々が乗る機体は無事に到着してくれたようです。偉いぞ、SITA AIR!
ルクラに、そしてエベレスト街道に別れを告げて、飛行機は一路マンタリを目指します。


約15分間の短い飛行でラメチャップ空港に到着。短かすぎる……。マンタリは昨年のアマ・ダブラム山行の際にルクラ行きの飛行機が飛ぶのを待って2泊したところなので、あまりいい印象は持っていません(決してマンタリのせいではないのですが)。そんなわけで、早々にやってきてくれた車に乗ってマンタリの町を離れたときは、少しばかりほっとしました。


前回の旅でも感心したことですが、ネパールでは電気自動車がインフラも含めて意外に普及しています。我々をマンタリからカトマンズまで送ってくれる車も1時間ほど走ったところで充電休憩をとることになり、この時間を利用して我々もランチタイムとしました。出てくる料理は当然ダルバートですが、その付け合せに辛い味の揚げた川魚が含まれていたのにはちょっと感動しました。なにしろ久しぶりの魚です。ただ、これを食べるとますます日本の海の魚を、もっと言えば刺身料理を食べたくなってしまいました。

そして、そこからの1時間半ほどはとんでもない悪路の連続でした。本来は舗装路がマンタリからカトマンズまで続いているのですが、随所でこれが崩れており、その都度河川敷のFlood Wayに降りてガタガタとひどく揺られながら崩壊区間をパスすることを繰り返します。いかに豪雨災害のせいとはいえ、これだけあちこちで道が寸断されているというのは、道の付け方が悪いか作り方が悪いか、あるいはその両方が原因に違いありません。こうした苦行の中での唯一の朗報は、出発が遅れていたF氏のヘリコプターが昼前にやっとルクラを飛び立ったというニュースでした。

やがて道は川筋を離れて高地をスムーズに走るようになり、我々はほっと一息。車窓の右手(北)には雲の上に白銀の山頂を覗かせるランタン山群の姿を眺めることもできました。

カトマンズ盆地に向かって緩やかな下り道を下るこの景観は、中央高速道を走って笹子トンネルを抜け甲府盆地に入るときの眺めにどことなく似ています。


やがてカトマンズ市内に入り、相変わらず車間距離無限小でひしめき合う自動車やバイクの群を巧みな運転でかわし続けた我々の車は、無事にフジホテルの前に到着しました。ドライバーさん、GOOD JOB!そして、このタイミングで私はソナムと共にホテルのロビーで最後のミーティングをもち、旅の反省点を率直に語り合った上でソナムへのチップを手渡しました。ソナム、ありがとう。おかげで生涯に残る思い出を作ることができました。


夜はペンバの案内で再びチェパの奥さんのモモ屋に集合。カトマンズに戻って体調を回復させたF氏も参加して(ただしアルコールは控えて)皆でおいしい料理に舌鼓を打っていましたが、この夜ネパール入りして明日には早くもルクラに飛ぶという日本からのお客二人を空港から連れてきたチェパが合流したところで、昨夜に続いてResham Fiririを流しながら今度はチェパに対するサミットボーナスの授与式が行われました。
正直に言うと私は、チュクンで一度別れた頃から特にアイランド・ピークを目指す3人の行程の振れ幅の大きさ(チュクン→ロブチェ→ゴラクシェプ→チュクン)に不安を抱いていたのですが、終わってみればOさんのロブチェ・イーストも3人のアイランド・ピークもまとめて成功させてしまうチェパの剛腕に脱帽です。また、そうしたチェパのオペレーションにしっかりついていってそれぞれの登頂を成功させたOさんと島トリオもすごい。とにかく皆さん、おめでとうございました。