ナムチェバザール〜ルクラ

2025/11/18

△07:00 ナムチェバザール → △10:55-11:55 パクディン → △14:20 ルクラ

今日はナムチェバザール からルクラまでの、いわばウイニングウォークです。

早朝のきんと冷えた空気の中、まだナムチェバザールらしい活気が立ち上がってはいないセンターストリートを下り、水力マニ車を横目に眺めてから町のゲートを抜けました。

見れば対岸の垂直に近い谷筋に長大な氷瀑ができています。アイスクライミングの対象にするにはまだ発達が悪そうですが、あの滝がもっと太く凍ったら楽しい登攀対象になりそうです。

帰路の最初のチェックポイントで手続をしてから、ソナムと私は1人1kgのバッグを受け取りリュックサックにくくりつけました。このバッグには国立公園内で収集されたゴミが入っており、ルクラのステーションまでキャリーバックすることで国立公園の浄化に協力できるというものです。

二重橋を渡ってドゥード・コシ沿いの道を歩くようになった頃、ゼッケンをつけて下流から上流へと早歩きするランナースタイルのアスリートたちと行き交うようになりました。どうやら何かのレースが行われているようですが、アスリートたちはタイムトライアルに伴う切迫感とは無縁の笑顔で「ナマステ〜」と挨拶してくれて、こちらも「アレー!」と声援を送りました。

モンジョにあった売店では、ネパール山椒を買い求めました。これは私の行きつけのカレー屋である「カリカリスパイス」の店主ミナミさんからリクエストされたもので、すでにカトマンズでも買ってあったものの、トレッキングの往路でチェパから「田舎の山椒の方が香りが高い」と言われたために買い足したものです。しかし、チェパの言によれば一袋200ルピーということだったのに、売店の店主が提示した価格は500ルピー。外国人だからとふっかけられたのかもしれませんが、これもネパールに対するお布施だと思ってこの値段で購入しました。実は山椒の木は道すがらにも生えていて、ソナムが教えてくれたようにその葉を手に取り揉んでから嗅いでみると、確かに鮮烈な刺激のある山椒の香りがしました。

パクディンでランチ休憩。真新しいロッジに入りスパゲティ・ボロネーゼをリクエストしましたが、すこぶる美味でした。今年の秋はカトマンズでの暴動や悪天候の影響でトレッカーの数が例年に比べ少なかったようですが、これからも増え続けるであろうエベレスト街道のトレッカーのために、こうした新しい設備と高いサービスレベルを擁するロッジが次々に建てられて、逆に古いロッジはどんどん淘汰されていくのでしょう。こうしてみるとロッジ経営も決して楽ではなさそうです。

昼食を終えてほんの少し歩いたところで、ソナムは私を待たせてとあるロッジに入っていきました。「?」と思っているとソナムが私をロッジの裏手に招き入れたのですが、そこにある怪しげな掘立て小屋は実はネパールの伝統酒であるロキシーの製造所。その片隅にあって薪をくべられている器は、ソナムの説明を待つまでもなく明らかに蒸留器です。ロキシーは雑穀を主体に麹を加えて作った発酵液をこの蒸留器を用いて蒸留酒にしたもので、したがってアルコール度数も高いのかと思いきや、この醸造所の主で笑顔がかわいいおじいさんとおばあさんが作るできたてを試飲してみたところ、甘味があって穏やかな味わいのこのロキシーのアルコール度数は10度もない模様。これはいける!いくらでも飲める!と喜んでいると、おばあさんはロキシーをPETボトルに詰めて渡してくれました。どうやらソナムが事前に代金を払ってくれていたらしく、ソナムはこれを受け取ってリュックサックに入れ「今夜ルクラで皆で飲みましょう」と言ってくれました。

パクディンから淡々と歩いて、やがて道が石畳の登り道になればルクラまであとわずか。ついに到着したルクラのゲート直下のチェックポイントでナムチェバザールから運んできたゴミのバッグを返却してから、意気揚々とゲートをくぐりルクラの目抜通りを歩いてEverest Plazaに到着しました。これで、11月3日から始まったトレッキングが無事に終了したことになり、ここまでのGPSログをもとに計測してみると総歩行距離はほぼ160km、累積標高は上り下りとも11,000mほどでした。

ディンボチェからヘリコプターで先にルクラに着いていた面々も揃って記念撮影。この中では凍傷を負ったために一足早く戻っていたF氏の具合が心配だったのですが、どうやら軽度ですみ切断には至らない様子であることに安堵しました。

祝宴の方は、それぞれ好みのドリンクでの乾杯、チキンシズルの着火パフォーマンス、サミットケーキ入刀と進み、ソナムが買ってきてくれたローカル・ロキシーのアルコールも加わって賑やかなダンスタイムへと突入しました。ダンス音楽の1曲目は定番のResham Fiririですが、実はこのときにポーターさんたちにチップを渡すのがお約束であるらしく、チェパの指導のもとにOさんやA氏は札束を見せびらかすように開いてから、それぞれお世話になったポーターさんに最敬礼をしつつチップを渡しました。こうしてすますべきことをすましてしまえば、あとは好き勝手に踊るだけ。曲がアップテンポになるにつれて他のテーブルのトレッカーたちも踊りの輪に加わってきましたが、西洋人たちの気合いの入ったダンスが披露されたところで私はひと足先に祝宴の場を後にし、自室に引き上げました。