引き続きカトマンズで待機

2025/11/02

フジホテルで朝食をとってから、 同じホテルに泊まっているGH社のクライアント3人とロビーで合流して挨拶を交わした後に、共に空港に向かいました。3人のうち紅一点は昨夜ご一緒したOさんで目的地はロブチェ・イースト、男性2人は私とほぼ同年輩のA氏とまだ20代のF氏でターゲットはアイランド・ピークです。先述のとおり私のトレッキングはソナムがガイドし、残りの登攀隊はチェパが引率することになっていますが、ロブチェとアイランド・ピークではあさっての方角になるのにどうやって両方を引率するんだろう?

空港に着いたところで、チェパ組は飛行機待ちでゲートの中に消えていき、一方の私はソナムと共にヘリコプターに乗ることになってゲートの外で待機することになりました。これは、飛行機の運賃が外国人とネパール人とでは天と地ほども違う(後日教えてもらったところでは、カトマンズ〜ルクラ間が外国人ではおよそ225ドル、ネパール人は6500ルピーなのでざっと5倍の開きがあります)ので航空会社が外国人優先で搭乗させようとするためで、私のように外国人とネパール人がマンツーマンの組合せではすんなり飛ぶことができないというわけです。

かくしてKindleを片手にベンチに座って自分のフライトを待っていたのですが、周囲の会話を聞くともなしに聞いていると、10月末の悪天候(=飛行機の欠航)の影響でルクラには周辺の村も含めると2,000人を越える観光客がカトマンズ行きの飛行機を待って滞留しており、これを早くはけさせるために各社はルクラからより近いマンタリに飛行機を振り向けて便数を稼いでいる(マンタリに運ばれた客は陸路6時間でカトマンズに戻ることになる)のでカトマンズからルクラへ飛べる機体がそもそもないのだそうです。それだけならヘリコプター利用の我々には関係ない話ですが、ヘリコプターの方も大雪のためにルート上に閉じ込められてしまったトレッカー(その中には高山病で状態が悪い人々も含まれます)のレスキューに駆り出されており、やはり機体の絶対数が足りないのだとか。そんなわけでゲートの中のチェパ組もゲートの外の我々も無為に時間を過ごしているうちに、私は田部井淳子さんの『人生、山あり “時々”谷あり』を読み終えてしまいました。

どうやら今日もダメらしいと見切りをつけた私とソナムは、チェパに「先に帰る」とメッセンジャーで連絡を入れて空港を後にしました。事前にGH社と共有してあった計画書に照らすと、昨日はカトマンズにステイするつもりだったので飛べなくてもともとですが、今日はルクラからパクディンあたりまで進む予定だったので、これで計画書上に見込んである予備日3日のうちの貴重な1日を消費してしまったことになります。

ホテルに戻って荷物を置いて、ランチはソナムの案内で日本人御用達の「桃太郎」でおいしい生姜焼き弁当。ちなみにソナムは日本に6年間住んでいたことがあって日本語はおおむね不自由せず、食の方も刺身・寿司が大好きなのだそうです。

食後は今のうちにお土産を買っておこうと茶葉店「Mountain Tea Trade」に案内してもらって、試飲の上でネパールが誇るイラム茶をお買い上げ。さらにネパール山椒Timur Pepperもここで買い求めましたが、これに関しては後日あらためて触れることにします。

フジホテルに帰ってみると、チェパ組もこの日のフライトを諦めてホテルに戻っており、デンディさんも交えてロビーでビールのグラスを傾けているところでした。これはやけ酒?しかしデンディさんは「明日は100%飛ぶ!」と自信たっぷりです。ただし、ここで私が作成しGH社に送ってあった行程表をデンディさんが再チェックしていくつかの指摘や助言をくれた上で、今後とも不測の事態が起きないとも限らないので通信手段をWiFiだけに頼るのはまずかろうという話になったので、街のスマホショップでSIMカード(30days/20GB)を購入することにしました。

夜はチェパとソナムの案内で、フジホテルから至近にあり前から気になっていた「東方宮」でディナー。肉も野菜もご飯もうまい中華料理店で大満足でしたが、後で看板を見てみたら蘭州ラーメン兰州拉面が売り物だった模様です。そう言えばチェパは最後に「ラーメンどう?」と聞いてきたのですが、すでにお腹いっぱいで断ってしまっていました。次回この店に入ることがあれば、そのときこそはラーメンを食さなくては。