チョ・ラ越え
2025/11/13
△06:05 ゾンラ → △09:15-25 チョ・ラ → △12:30 ダグナ
今日はゾンラから「三つの峠」の二つ目であるチョ・ラ(5420m)を越えて、氷河の手前のダグナ(ク)まで歩く日。なお、この峠はチョ・ラという名前が短かすぎるので「チョラ・パス」と呼ばれることが多いですが、「ラ」自体が「峠」という意味なので本稿ではシンプルに「チョ・ラ」と表記しています。

ゾンラからダグナまでは半日行程ですが、ダグナで昼食をとろうと言うわけでまだ寒々しい6時に出発です。


ルートは浅い谷筋を奥へ奥へと進んでいきます。ところどころに黄色いポールが立って道しるべになってくれていますが、水流を横断するところでは凍結した水に足をとられないように注意が必要です。

谷の中まではまだ入ってきていない朝日の下、黙々とルートを進むトレッカーたちとこれを見守るチョラツェとアマ・ダブラム。頭上を飛んで行ったヘリコプターは、私の隣室で夜通し苦しんでいた西洋人のレスキューだったかもしれません。


日が高くなるにつれて谷の中が明るくなってきました。それでもしばらくは緩やかな登りが続いていましたが、やがて部分的に等高線が詰まった区間が出てくると、若いポーターたちは大音量で音楽を流して景気をつけながらここを軽やかに登っていました。

再び緩やかな雪原の回廊になり、しばらくこれを進むとどん詰まりに目指すチョ・ラが見えてきました。


雪の上に切られたステップをありがたく使わせてもらって、チョ・ラに到着。ゾンラからここまで約3時間を要しましたが、これは長い足でぐいぐい歩く西洋人トレッカーたちと比べるとずいぶん遅い方だったと思います。

来し方(ゾンラ方面)はこちら。狭い谷の中を辿ってきています。

行く末(ダグラ / ゴーキョ方面)はこちら。ぐっと開けた感じです。
チョ・ラの上は大賑わいで、噂の充電器と太陽電池も置かれていましたが、これらが機能しているかどうかは確認できませんでした。おそらくこれは、観光客向けというよりガイドやポーター向けに設置されたものなのでしょう。それよりも面白かったのはこの高さの峠に雀のような鳥が来ていたことで、この鳥はトレッカーたちが食べこぼしたシリアルなどの行動食をせっせとついばんでいました。

峠からの展望をひとしきり楽しんだら、ダグナに向かって下ります。峠の手前(ゾンラ側)の雪がパウダー状で柔らかかったのに対し、こちら側の雪が堅くクラストしているのは、チョ・ラでは西風が卓越していることを示しています。

チョ・ラからの下りは最初は急傾斜でしたが、コンマ・ラのようにアイゼンを持ち出すほどのことはなく、チェーンスパイクで順調に高度を下げていくとやがて緩やかな斜面に下り着きました。

振り返ればチョ・ラが高いところに見えていますが、よくこんなところに峠を設けたものです。シェルパ族に限らずネパール人全般に言えることとして、山の地形を徹底的に利活用しようとする姿勢には脱帽するしかありません。


それはいいのですが、下り着いた底のようなところから登り返しがあるのはどうしたことか。地形図で見ればたいしたことがないように見えるこの登り返しは、実感としては地味に長くつらい。そう言えば昨年のアマ・ダブラム登攀を終えてルクラに帰ったところで、同じGH社のアテンドを受けてチョ・ラとレンジョ・ラを越えたSさんが「チョ・ラを越えた後が大変だった」と言っていたことを思い出しました。

それでも我慢の登りによってこの登り返しをクリアすると、後は緩やかな下りが続くばかり。長くて退屈な下りですが、途中でチェーンスパイクを外したら足がはかどるようになりました。

チョ・ラから3時間、地味につらい登り返しを終えたところから1時間で、前方にダグナのロッジが見えてきました。時間だけを見ればここでランチをとった後にさらに歩を進めて氷河を横断し、ゴーキョまで行くことも可能ですが、今日はもう歩きたくないと全身の筋肉が言っています。


そんなわけでMountain Paradise Lodgeに荷物を下ろし、昼食は軽くポリッジ、その後部屋でベッドに寝そべって身体を休め、夕食はいつものようにダルバート。そしてこの日ようやく、トレッキング期間中に読もうと思ってKindleに入れていた本の2冊目である『大乗仏教の誕生 「さとり」と「廻向」』(梶山雄一著)を読み終えました。その論旨をぐっと縮めて記すと、本来の仏教(上座部)は出家者が僧院において厳重な戒律の下に高度な学問と瞑想を通じて悟りを得ることを目指すものであったのに対し、それでは救われることがないあまたの在家信者のニーズに応える必要から、ゾロアスター教の影響を受容して救済者たる阿弥陀仏の恩寵という概念を中核に据えたのが大乗仏教である、というものです。
この仏教に対する西アジアの宗教の影響という考え方は、昨年見た展覧会「バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰」の中でも言及されていたことでたいへん興味深いのですが、いかんせん薄い空気の中で読むにはこの本は難しすぎました。今回の旅には、ひまな時間を使って読もうとKindleに数冊を入れ、文庫本も同様に数冊を持参していたのですが、どうやらそれらの多くは手付かずのままに終わりそうです。