モンジョ〜ルクラ

2024/11/02

△07:35 モンジョ → △11:10 ルクラ

今日はトレッキングの最終日。ルクラまで歩きます。

こうしたロッジ暮らしもあとわずかで終わりかと思うと、なんだかしんみりしてきます(シャワーのお湯は出なかったけれど)。

秋の色に色づいた葉を茂らせた桜の木々と、その向こうに広がる美しい田園風景。

賑やかな田舎の少女たちやこれから奥地へ向かうトレッカーたち、次々に新設されていくロッジ、何度もすれ違ったゾッキョ隊。バックキャラバンの途上で出会うあらゆるものが、愛おしく感じられます。

こうしたマニ石ですらも、往路ではその左側を歩くことだけを考えていましたが、復路には一つ一つの個性と風情とを味わうゆとりが生まれました。

ついに終着点ルクラに到着しました。メインストリートをしばらく進んで入った宿は、2018年のトレッキングの帰りにも投宿した懐かしいEverest Plazaです。もっとも、実は朝の天気がすこぶる良かったのであわよくばこの日のうちにルクラからカトマンズまで飛ぶことができないか、という皮算用を持って昼食休憩なしに足を速めていたのですが、ルクラに着いたときには雲が広がり始めていてそれは難しそうということがわかり、少し落胆してもいました。おまけに一昨日・昨日も飛行機が飛べておらず、このためルクラには足止めをくったトレッカーたちが数日分も滞留している状態で、この宿のダイニングルームもそうした人たちで満員でした。

とりあえず今日のフライトが不可能だと知った私は、優斗に同行してもらって空港の様子を見物しに行った後、宿の近くの土産物屋で日本の山仲間たちのために大量のバフを買い付けました。この土産物屋も2018年に沙織さんと一緒に入った店で、そのときに少し会話した店の主人(当地に嫁いできた日本人女性)と再び言葉を交わすことができたのですが、そうこうしているところへチリンから呼出しがかかりました。

チリンの呼出しは要するに街のレストランで飲みましょうというもので、わざわざ店の前で我々を待ってくれていた彼の案内で席につくと例によってククリラムでの乾杯が始まり、ついでモモや揚げた魚や鶏が次々に注文されました。このとき同席したのはWA社のツアーとしてチュクン・リ、カラ・パタール、ゴーキョ・リの三つのピーク(その途中ではチョラ・パス越えも)を歩いた単独の日本人女性をサポートしたガイドのニマと彼の相棒のポーター君(まだ20歳前)で、明日アイランドピークに向かうために我々と別れるチリンの代わりにニマが我々をカトマンズ行きのフライトに押し込むところまでを担当してくれるということでした。

それにしてもこの二人(優斗とチリン)の屈託のない笑顔は素晴らしい。昨日モンジョで乾杯しながら私は二人に、私の夢を実現してくれたことへの心からの感謝を伝えると共に、多くの人の夢をかなえる手助けをするガイドという職業を「尊い仕事」だと語ったのですが、これからも二人には自分自身の夢とガイド業とを両立させていってほしいものです。

Everest Plazaに戻った私は、ゴーキョ・リに登ってきたという意気軒昂な日本人女性陣(平均年齢74歳・平均身長推定150cm)たちと交流し、ニマに引率されて厳しい長旅を終えたばかりのSさんともお近づきになり、しかる後に熱いシャワー(一時的に48℃!)を浴びてさっぱりして、昼のククリラムパーティーでお腹いっぱいになっていたので軽めの夕食をとってからダイニングルームで寛ぎました。

このとき、私もSさんもカトマンズ発の帰国便は11月5日深夜発の便なのでまだ日程にゆとりがあったのですが、74歳の奥様方は帰国便が明日らしく、引率の男性は落ち着いた中にも切羽詰まった雰囲気を漂わせながらカトマンズに戻るためのチャーター便の手配を試みている様子でした。しかし隣り合わせたシェルパ氏が説明してくれたところによると、このところのルクラはずっと天候に恵まれず、カトマンズ行きの飛行機は10月30日に2便か3便飛んで終わり、10月31日と11月1日はまったく飛ばず、今日は4便飛んだところでクローズになってしまったために、比較的天候の影響を受けにくいヘリコプターの値段が急騰しているとのこと。それでもどうにか手配のめどがついたらしい引率氏が追加費用の話を持ち出すと、今度は奥様方がエンドレスで侃侃諤諤の議論を始めてしまい、これには引率氏のここまでの苦労が容易に察せられました。

さしもの侃侃諤諤も最後には協議がまとまり、奥様方がそれぞれ自室に引き上げていって静かになったダイニングルームに残っていると、今度は窓の外から日本なら騒音防止条例違反でお縄頂戴ものの大音量の音楽が鳴り始めました。これはどうしたことかと窓から見下ろしたところ、まさにEverest Plazaの1階とその前の路上を使った屋外ディスコがこれまたエンドレスで繰り広げられています。さすがに毎日こういうことはないでしょうから何か特別なイベント(お祭りの一環?)だったのだと思いますが、この騒音は私が自室に引き上げて寝床に入ってからも一向に収まらず、やっと22時半頃に半強制解散となったようでした。やれやれ。

そして実は、優斗とチリンもこの喧騒に紛れて23時すぎまで外で飲みながら別れを惜しんでいたのでした。

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