パンボチェ〜モンジョ

2024/11/01

△07:50 パンボチェ → △09:10-15 タンボチェ → △11:20-12:05 キャンズマ → △13:10 ナムチェバザール → △14:55 エントランス・ゲート → △15:05 モンジョ

バックキャラバンの実質初日は、パンボチェからナムチェバザールをかすめてモンジョまで。歩けば歩くほど酸素が濃くなるのだから、行けと言われればどこまででも行きますよ。

朝の斜光の中に浮かぶアマ・ダブラムを見やってから、下り道を歩き始めます。往路では高度順応のためにとにかくゆっくり歩くことを心掛けましたが、復路ではそうした気遣いは無用なので飛ばせるだけ飛ばします。

イムジャ・コーラの下流方向の美しい眺めにうっとり。飛ばすだけ飛ばすとは言っても、こうして撮影スポットが出てくるとつい足が止まってしまいます。

橋の向こうにタンボチェの僧院が見えてきました。まずあそこまでの登りがこの日最初のアルバイトですが、真の苦行はその先に待っています。

タンボチェ・ゴンパの前の広場から振り返ると、アマ・ダブラムがとりわけ大きく見えました。その左奥にはローツェ、そしてさらに左にエベレストの頂上も見えていますが、このように遠ざかるほど大きく見えるのは、その山が偉大であることの証拠です。

タンボチェからドゥード・コシへジグザグ道をぐっと下り、橋を渡ったら大きく登り返してクムジュンの下にあるキャンズマへ。ここがトレッキングルート中で最もアップダウンの激しい区間です。

水力マニ車を横目にプンキ・テンガを通過し、ドゥード・コシ右岸の斜面の道を我慢の登りでこなした先に、キャンズマのロッジ群が現れました。チリンはとりわけ眺めのよいAmadablam Lodge Kyangjumaのテラスに入り、ここで昼食休憩をとることにしました。

……はるばる来ぬるものかな(遠い目)。

2時間前に越えてきたタンボチェ・ゴンパが乗る尾根の向こうに、ローツェとアマ・ダブラムが並んでそびえ立っています。そしてこれが、この旅の中でアマ・ダブラムの姿を見る最後の機会になりました。

キャンズマからナムチェバザールへ向かう水平の道を歩く途中で振り返ると、アマ・ダブラムの姿は雲の中に隠れて二度と姿を現しませんでしたが、ナムチェバザールに着く直前に光沢のあるカラフルな鳥の姿を見ることができました。ネパールの国鳥「ダフェ」(虹雉)です。

懐かしのナムチェバザールに到着しました。しかしこの日の泊まり場はさらに下流のモンジョなので我々はこのすり鉢の中に入ることはなく、街並みの外れをかすめるようにして下ります。

これがいわゆる「バザール」。食料品、衣類、日用品などさまざまなものが売られていましたが、仔豚をまるまる一頭肩に担いで階段を登る商人(肉屋?)とすれ違ったときにはぎょっとしてしまいました。

ナムチェバザールからドゥード・コシに下ったところにある二重橋の下橋がバンジージャンプのスポットになっていることには往路でも言及しましたが、こちら側からだと飛び降りた客が水面近くまで落ちてぶら下がるさまの全貌を眺めることができました。いやー、恐ろしい。自分はあんなことようせんわー……となぜか関西弁で考えているうちに、上橋を対岸からゾッキョの大部隊が渡り始めてしまいました。この手の橋は人間同士なら橋の上ですれ違えるのですが、ゾッキョが来るとなるとそういうわけにはいかず、そしてここでのルールは「物流優先」なのでゾッキョたちが橋を渡り終えるまで観光客は橋のたもとでじっと待っていなければなりません。

そんなわけで二重橋で思わぬ時間を費やしてしまいましたが、エントランスゲートを抜けてモンジョの集落に着いたところで、この日の歩きは無事に終了しました。

この日泊まったMount Kailash Lodgeは個室ごとにシャワールームがついていてなかなかモダンでしたが、残念ながらお湯は出ません。このため私はシャワーを浴びることを諦めたのに、優斗は水シャワーをかぶってすっかり身体を冷やした状態でダイニングルームに出てきたのですが、これを見たからかどうかは不明ながら、チリンがにやにやしながら我々に「今からお酒飲みますか?」とククリラムのお湯割りでの乾杯を勧めてきました。こうなるとタガが外れてしまう我々はあっという間にククリラムの小瓶を2本空け、酒のアテも次々に注文し、おかげで私は手持ちの現金が相当寂しい状態になってしまいました。

ただ、こうして飲みながらチリンにクライミングシェルパの経済事情について率直に質問してみたところ、どうやら我々日本人が思うほどにはシェルパというのは儲かる商売ではないらしく、8000m峰を年間2座登ってやっと生活が成り立つ程度なのだそうです。しかもこの仕事は当然に危険を伴うし、家族と離れていなければならない期間も長いしで、本人はともかく家族からはあまりいい顔をされないとのこと。チリン自身も、ある程度の年齢(さほど遠くない未来)になったらこの仕事から足を洗って(できれば日本で)ネパール料理店を開きたいといったことを話していましたが、これには驚くと共に考え込んでしまいました。

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