BC〜パンボチェ
2024/10/31
△13:00 BC → △14:15 パンボチェ
午前4時頃、私の個人テントの外を歩くWA隊のA氏の荒い息づかいの音で目が覚めました。肺の不調による呼吸困難を訴える彼の言葉にチェパたちが対応している様子をテントの薄い壁越しに聞きながらうとうとしていると、やがて優斗がやってきて以下のことを告げました。
- A氏は体調不良のためヘリコプターでルクラに降りることになった。
- そのヘリコプターに我々の登攀用具も乗せて先に下ろすので急ぎ荷造りをするように。
そんなわけで下ろせる荷物をばたばたとダッフルバッグに詰めて外に出したのですが、BCから見るルクラ方面の谷は雲に覆われていてすぐにヘリが飛べる状況ではありません。仕方なくA氏はダイニングテントでストーブにあたりながら椅子に深々と腰掛けて安静にし、その姿を横目に見ながらKさんと私と優斗は朝食に出された広島風(?)お好み焼きをおいしくいただきました。
待望のヘリコプターが飛来したのは10時すぎ。ダイニングテントからヘリポートまではちょっとした距離がありますが、朝方にはぐったりしていたのにヘリポートへ向かうA氏の足取りは意外にしっかりしていて、どうやら安静にしている間に肺の具合が良い方向に変わっていたようでした。これにはA氏自身もうれしいようなとまどうような複雑な表情を浮かべていたものの、目の前に降り立ったヘリ(「ヘリとの地上での付き合い方」参照)の操縦士の隣の席に納まった彼が見送りのKさんや私に手を振ってくれたと思ったら、ヘリはあっという間に飛び去ってしまいました。ここで白状すると「いっそ自分もこれに乗ってルクラに戻れれば楽なんだが」と思わなくもなかったのですが、BCからルクラまでヘリならたったの7分で着いてしまうとチェパから聞かされたときには、さすがにそれでは悲しいのでバックキャラバンをがんばろうと心を入れ替えました。
ランチ時にはWA隊でC1ステイからひと足先に戻ってきたM氏とも会話をすることができましたが、C2まで足を延ばしている他の方々が戻ってくる前に我々がBCを発つ時刻がやってきました。10月22日のBC入り以来足掛け10日間をこのBCとアマ・ダブラム南西稜上で過ごしたことになりますが、いざアマ・ダブラムから離れる段になってみると名残惜しさとほっとする気持ちとが半々です。
お世話になったBCスタッフの皆さんと雲に上半身を隠したアマ・ダブラムとに別れを告げたら、タボチェに見守られてパンボチェを目指します。バックキャラバンに伴う必要装備(主に防寒着)は自分で担ぐことになったので、往路でずっとダッフルバッグを担いでくれていたカンツァともここでお別れです。
はるか下方に懐かしのパンボチェが見えてきました。あそこまで行けば、そこから先は平和なトレッキングの世界です。
BCからわずか1時間で下り着いたイムジャ・コーラに架かる橋を渡ると、彼岸から此岸へ戻ったという気持ちになりました。今日からは心置きなくビールを飲むぞ!
有言実行。懐かしのEco Holiday Lodge Pangbucheに入ったのは14時すぎでしたが、夕食を待つことなくビールを注文しました。もちろん優斗とチリンの分は私のおごりです。そしてこれまた10日ぶりにWi-Fiをつないでみると、Facebookには多くのバースデーメッセージが並び、さらにこれに対するリプライがないことを心配した山友からの「お元気ですか?」(訳「生きていますか?」)というメッセージまでも入っていました。
WA隊のその後が気になっていたのですが、彼らは好天を待ちながらBC滞在を続け、11月9日に4名(うち1名は後から合流したWA社のN社長)が登頂に成功したことがFacebook上でWA社から公表されました。そこには2名は出発直前のコロナの後遺症の影響により高度順応が進まず肺炎リスクからの撤退となりました
とあり、これはおそらくA氏とKさんのことだと思います。また後日ネット上で公開されたレポート[1]によれば、この日のランチをご一緒したM氏も最終アタック時に体調不良のためC1まで届かず、さらに登頂者のうち1名がC3まで戻ったところでヘリコプターレスキューを受けるといった具合に波乱万丈だったそうです。このように、親しく言葉を交わさせていただいた3人が登頂できなかったことは残念ですが、天候待ちでBCに長期滞在を余儀なくされたにもかかわらず頂上まで隊員を送り込むという結果を出したWA隊の頑張りに敬意と祝意を表すると共に、彼らを無事に山頂まで導いたチェパたちGH社スタッフの力量に対して賛辞を惜しみません。
脚注
- ^日本山岳会千葉支部『千葉支部だより 第68号』(2025/01/25閲覧)