ロブチェ〜ゾンラ
2025/11/12
△08:05 ロブチェ → △12:00 ゾンラ
今日はロブチェから、チョ・ラの手前にあるゾンラまでの短い行程です。


十分に日が昇った8時に出発。まずはクーンブ氷河右岸の道を下流へ進み、この道が氷河の末端で谷を渡ろうとするところでこれと分かれ、引き続き右岸を進む道に入ります。

この道が分岐するあたりの右側には特徴的な平坦地があり、そこはロブチェ・イースト登攀のBCの一つとして利用されています。私も2018年にこのBCに数日泊まったのですが、この日も雪原の奥に小規模なテント村ができていました。これらの奥に見えている立派な山は、もちろんロブチェ・イーストです。しかし、このときすでにOさんはあの山の登頂を終えて下山にかかっていたことを、私は知る由もありませんでした。

ゾンラに向かう道は、徐々に右岸の斜面を登り始めました。いや、正確には道自体は等高線に平行に、つまり水平につけられているのですが、谷がどんどん高度を下げていくために相対的に高度感が出てくるという寸法です。

今日のトレッキングはチョ・ラを越えるための中継地であるゾンラへの単なる移動日だろうと思っていたのですが、これは大間違いであることがやがて判明しました。上記の通り、道は谷に対して相対的に高いところをトラバースするようになってきたため、高度感を伴う広い眺めが得られて実に爽快です。雪景色と緑の景色という大きな違いはありますが、雄大な谷を見下ろしながらの平坦なトラバース道という点では2019年に歩いたニュージーランドのルートバーン・トラックを連想しました。

この角を回り込むと、道はチョラツェの前(対岸)を横断することになります。ルクラで会ったアユミさんは、あんなすごい山に登ったのか!と感心するばかり。

チョラツェの足元には堰止湖であるチョラ・ツォ。エメラルドグリーンが神秘的です。


歩いているうちにゾンラからロブチェへ向かうトレッカーの数が増えてきました。これはチョ・ラを我々とは逆コースで越えてきた人たちということになりますが、見ればソナムは彼らとすれ違うときにほぼ例外なく谷側で避けています。なぜ安全な山側で避けないのか?と不思議に思いましたが、すぐにピンときました。これは彼が不浄ではない右半身を対向者に向けるためです。ソナムに確かめてみたところこの推理は正解で、相手がゾッキョやヤクの場合は安全重視で山側に立つのだということでした。そんな話をしているうちにルート上のレストポイントに到着し、ここで実に陽気なロシア人一行がわいわい語り合ったりチョラ・ツォをバックにポーズをとったりするのをしばらく眺めました。


チョラ・ツォの上を通る道は、途中で入江のように山腹に入り込んだ平坦地を通過します。ここは最短ルートを横断してもよい(地形図にはそのように点線が描かれている)のですが、ソナムはそちらが凍っていて危険だと判断し、平坦地の奥に入り込むルートを選択しました。結果的にはこれは失敗で、他のトレッカーはなんの問題もなく最短ルートを歩いていたのですが、この判断ミスのおかげで面白いものを目にすることができました。

それがこれらの石組みで、これは何かと言うとロブチェ・イーストへのもう一つのBCです。上の写真の右奥にはプジャで使うものと思われる石組みもあり、さらに上の方に見えているのはロブチェ・イーストのHCに通じる尾根です。なるほど、こちらはこんなふうにもろもろ完備されたキャンプ地だったのか。


そんな面白い体験はできましたが、ソナムは完全にルートを見失ったようで、正規ルートへ回帰するまで道なき斜面をしばらくトラバースする羽目になってしまいました。これに関してはソナムも「こっちの方が安全だと思ったんですが……すみません」と謝っていましたが、この程度のトラバースは丹沢バリエーションでいくらでも経験済みなので無問題です。


ゾンラへの道に戻って少し進んだところで日本人グループと一緒になりましたが、これがまたしてもハイジさん一行でした。ずいぶんとご縁が深いなぁと驚くやら喜ぶやらですが、この後ゾンラとダグナでは違うロッジになったものの、ゴーキョでは同じロッジで再会することになります。

投宿したのはGreen Valley Lodgeで、この「Green」というのはたぶんチョラ・ツォの色からとったものだと思いますが、それよりもロッジの正面から見て右前方に近いチョラツェと中央遠くのアマ・ダブラムが実に立派です。この眺めを堪能してからロッジでWiFiカードを買い求め通信を再開してみたところ、なんとチェパからOさんと共にロブチェ・イーストに登ったという連絡が入っていました。昨日HCに登ったのは高度順応ではなく、すでにサミットプッシュに入っていたというわけです。ここまで高度順応と言えるのはディンボチェのNangkartshangの5000mちょっとしか行っていないはずのOさんが、いきなりロブチェ→HC(泊)→サミット→ロブチェの行程をこなしてしまったことに私もソナムも仰天してしまいましたが、このニュースを聞いたソナムは「彼女はたくさん食べてましたから」と思いがけない感想を漏らしました。言われてみれば確かにOさんは、ダルバートを必ずおかわりしていましたし、何を食べてもおいしそうに食べていて、その小柄な身体に似合わない健啖ぶりは胃が四つあるのではないかと疑いたくなるほどでした。そして「食べられない者は登れない」というセオリーはこれまでのエクスペディションで私自身が実感しているところです。何はともあれ、Oさんおめでとう!本当にすごい。そして一つ肩の荷を下ろしたチェパは、これからは島トリオをアイランド・ピークの頂上に立たせることに専念できるはずです。

1,000ルピーでシャワーを浴びて、夕食には中ぐらいの質素さのダルバートをいただき、水とタトパニを合わせて1,000ルピーで買い求めたら、残自室に戻って早々に就寝します。隣室のヨーロッパ人の具合がずいぶん悪いらしいことは壁越しに伝わる気配で感じられ、これは明朝レスキュー必至だなと思いましたが、夜の間はどんなに苦しくても耐えて夜明けを待つしかありません。気の毒ですがこればかりは、標高4800mを越えるこの場所に泊まろうとする者に等しく求められる覚悟です。