パンボチェ〜ディンボチェ
2025/11/07
△08:00 パンボチェ → △10:50 ディンボチェ
今日は、当初のプランではパンボチェからディンボチェを越えてチュクンまで歩き、その翌日にチュクン・リに登る予定でしたが、チュクン・リ登山には半日あれば足りる(つまりチュクンに午前中に着けるならその日の午後に登れる)ことと、ディンボチェの丘からアマ・ダブラムを正面に見る構図に魅力を感じたため、ソナムと相談の上でプランを変更しディンボチェまでとすることにしました。

短い行程のため、今日もゆっくり8時出発。青空が広がってとてもよい天気です。


昨日に引き続きイムジャ・コーラ沿いの荒涼とした、しかしところどころのチベット仏教を背景とするモニュメントが温かみを感じさせる道を上流へと進みます。
道の途中にいたのはそうしたモニュメントだけでなく、岩山の上のジャコウジカ(Musk Deer)の群もトレッカーたちの注目を集めていました。私も彼らの姿をじかに見るのはこれが初めてです。

おっと、ここはモンゴルか?[1]と勘違いさせるくらい颯爽とした馬上の娘さん。エベレスト街道では、ナムチェバザールから下流ではロバが、上流ではゾッキョが、さらに奥地ではヤクが物資運搬に活躍していますが、ところどころにレンタルホースのステーションがあって歩くことが嫌いなトレッカー[2]や高度障害で歩けなくなったトレッカーをその背中に乗せています。この馬もその一頭で、お客を上流のロッジに運んだあと下流のホースステーションまで戻るところなのでしょう。

そして、イムジャ・コーラの二俣を目の前にしたあたりで日本人5人ほどのパーティーと並行するようになったのですが、その中にYAMAPつながりのハイジさんが含まれているといううれしい驚きがありました。ハイジさんとは2014年に私が鹿島槍ヶ岳天狗尾根の登攀を終えて大谷原に下り着いたときに言葉を交わしたことがあるだけという薄い間柄なのですが、その後お互いにYAMAPを利用するようになってネット上での接点が復活し、今年のネパール旅もほぼ同タイミング・同方向であることをお互いに承知していました。しかし、まさか現地で実際に出会うことがあろうとは思ってもいなかったのですが、たまたまこのパーティーの方との会話の中で出た「アマ・ダブラム」というキーワードにハイジさんが気づいて「塾長さん?」と声を掛けて下さったというわけです。

お互いのこれからの行程の無事を祈りあってハイジさんたちと別れ、それぞれのペースでディンボチェを目指すうちに、道はイムジャ・コーラの左俣(クーンブ・コーラ)を橋で渡ります。

橋を渡ってしばらくの歩きで、前方にディンボチェが見えてきました。その左上にある黒い山はNangkartshangで、そのピーク手前の5000m強付近までのハイキングは安全で効率の良い高度順応トレーニングになりますが、昨日アマ・ダブラムBCまで登っているので今回はそこまでは登りません。

そして実は、今回の目標であるスリー・パスのうち最初の峠であるコンマ・ラは、ここから見えている黒々とした山々の向こう側(北側)に位置しています。


この地での宿はYak Lodgeで、その複雑な立体構造からここが2018年に初めてディンボチェを訪れたときに泊まった宿であることを思い出しました。


ランチには再びシェルパシチューを注文し、一休みしたら裏の丘の適当なところまで一人で散歩に出掛けました。ディンボチェに着いたらまずはこの小高い丘の上の平坦地まで足を伸ばすというのは、自分にとっては過去2回の当地訪問でも欠かさず行っていたルーチンのようなものです。

丘の上に出ると、クーンブ・コーラ左岸の平坦地とその上の道がずっと奥へと続いている広闊な眺めを堪能することができます。これを左から見下ろしている山々は左端がタボチェ、その隣が先日アユミさんが登頂したチョラツェ、そして右奥の白い山はOさんが登ろうとしているロブチェ・イーストです。

反対側にはもちろんアマ・ダブラムが、パンボチェからの眺めとは異なり北西稜の北面を見せた荒々しい姿でそこに聳えています。

そしてイムジャ・コーラの奥には黒々としたローツェ南壁が立ちはだかり、その右下にアイランド・ピークが、高さこそローツェにはるかに及ばないものの独立峰としての気概を示す存在感のある姿で置かれていました。

そんな景色を眺めながら斜面に寝そべっていると、どこかで見たような黄緑色のキャップをかぶった集団が登ってきました。向こうもこちらに気付いて「日本の方ですか?」「奇遇ですね!」といった声を掛け合いましたが、もちろんこれはチェパ隊で、私たちより後にパンボチェを出発して私たちとは別のロッジに投宿した後、軽い高度順応ハイキング(Nangkartshangまでは登らない)のために上がってきたところでした。おそらくOさんも島トリオも、このハイキングの中でそれぞれ目的とするピークを目の当たりにして、心の中のギアを切り替えたに違いありません。


チェパ隊と別れた後もしばらくこの斜面に居座っていましたが、15時頃になってアマ・ダブラムが下流からの雲に隠されるようになったことをしおに下山を開始しました。この後はぐっと気温が下がってくるに違いありません。


夕食は例によってダルバートですが、さすがディンボチェ、まだまだ付け合わせは充実しています。そして寝る前に湯たんぽ代わりのナルゲンボトルにタトパニ(湯)を入れてもらい(400ルピー)、この夜からロッジ備付けの布団だけではなくGH社から貸与された分厚いシュラフを使って寝るようにしました。