モンジョ〜ナムチェバザール

2025/11/04

△08:00 モンジョ → △11:25-13:00 ナムチェバザール → △13:20-14:40 アーミーキャンプの上の丘 / シェルパ文化博物館 → △15:20 ナムチェバザール

今日はモンジョからナムチェバザールまでの短い行程。ナムチェバザールには過去2回のネパール山行でも泊まっていますが、今回は私が歩くスリー・パス・トレックにとって扇の要にあたるため、とりわけ重要な場所になります。

ロッジのテラスからは正面に(ロッジの名前が示すとおり)タムセルクが大きく聳えており、また谷の上流方向には三角形のクンビラが朝日を浴びてくっきりと見えていました。

サガルマータ国立公園のエントランスゲートをくぐって急な石段を下れば、いよいよ山懐深くへ入っていくという気持ちになってきます。

おなじみ、ナムチェバザール手前の二重橋。よく見ると五色のタルチョが賑やかだった上の橋はそれらが取り払われてなんだかすっきりしてしまっており、また下の橋のバンジー・ジャンプも現在は休業中のようです。この橋の下をまっすぐ進む川筋がドゥード・コシ、左に分かれているのがボーテ・コシで、私の山旅は前者を奥へと詰めてから峠越えを三つ重ねた上で後者の谷筋を下ってくることになります。

橋を渡ってジグザグ道を登っていくとトイレのある休憩ポイントに登り着きますが、おや?掲示板の地図に描かれた赤い線は、まさしく私がこれから歩こうとしているスリー・パス・トレックではありませんか。なお、ここからはエベレストも見えることになっていますが、周囲の木の枝が伸びてしまい視界が限られていてよく見えません。むしろここに着く手前の登り道の途中からの方が、エベレストがクリアに見えていました。

お昼前に無事にナムチェバザールに到着。かつては標高5700mを越えるナンパ・ラ(峠)を越えてやってきたチベット人との交易の場であり、また逆にラサへと巡礼する人々の休憩地でもあったこの街は、今では西洋人とアジア人とがごっちゃになって賑わう観光拠点・登山基地になっています。

この日の宿は昨年も泊まったKhumbu Resort。荷物を自室に納め、ランチのチョウメンを食べ終えたら、高度順応を兼ねて近くの丘へ散歩に向かいました。

アーミー・キャンプの上の高台にエベレストに背を向けて立っているのは言うまでもなくテンジン・ノルゲイの銅像ですが、私の目はその右に半身を見せているアマ・ダブラムの秀麗な姿に釘付け。OさんとF氏も初めて見るアマ・ダブラムの想像以上の美しさに感銘を受けたようです。実はA氏も私が登頂した日から11日後の昨年11月9日にアマ・ダブラムに登頂していて、彼と私という「サミッター」2人を見るOさんの目にはかすかに尊敬の色が浮かんだような気がしたのですが……これは気のせい?

それにしても見事なまでに360度山また山。そして山の高さを引き立てるのはその周囲を穿つ谷の底知れぬ深さです。こうしたダイナミックな地形は、日本ではまずお目にかかれません。

ひとしきり山岳展望を楽しんだ後、シェルパ文化博物館にも立ち寄りました。伝統的なシェルパ族の生活習慣を伝える民具の数々や、観光客に対して門戸を開く前(1950年以前)の古いナムチェバザールの姿(ロッジはほとんどなくジャガイモ畑が広い)を伝える写真、クーンブ地方の開発の歴史、ヒマラヤ登山史を示す遺品などが大量に展示されていて興味深く、1時間半ほどの見学時間があっという間に感じられるほどでした。

ハイキングを終えて宿に戻った後は、あれこれ買い物をしたり休息をしたりシャワー(500ルピー)を浴びたりと各自思い思いに過ごしましたが、そうしているうちに1日遅れでカトマンズからルクラへ飛んでいたソナムが我々に合流できて一安心。そして「ここから先はちゃんとした肉を食べられないから」というチェパの勧めに従って夕食はチキンステーキとし、食後にはT氏が持ってきたトランプでババ抜きをして寛ぎました。ババ抜きなんて、何十年ぶりだろう?