塾長の渡航記録

塾長の渡航記録

私=juqchoの海外旅行の記録集。遺跡の旅と山の旅、それに諸々の物見遊山。

ペルー

2006/05/13-21

旅程寸描

▲マチュピチュとワイナピチュ。(2006/05/16撮影)

東南アジアの仏教遺跡を訪ねる旅が2003年末〜2004年初のボロブドゥールでおおむね一段落し、2005年は海外へ出掛ける余裕がなかったため、今年のゴールデンウィークはミャンマーへ行こうと早くから決めて航空券の手配もしていたのですが、仕事の都合でこの時期の見通しがきかなくなったためにミャンマー行きは断念することになりました。ところが4月中旬になると、図らずも5月にまとまったオフをとれることがはっきりしてきたので、それならと前々から気になっていたアメリカ大陸の遺跡を見る旅に出ることにしました。メキシコのアステカやマヤの遺跡とペルーのインカ遺跡のどちらにするかは多少迷いましたが、せっかくの長期オフなのでより遠く日数もかかりそうな南米を優先することにして、某社の添乗員付きツアーに参加することにしました。

振り返ってみるとインカ文明には中学生の頃から興味があって、岩波新書の『インカ帝国』(泉靖一著)は何度読み返したかわかりませんし、同じ頃にフォルクローレのレコードも買って聴いていました。スイス人ケーナ奏者レーモン・テヴノーを中心とするコンフント・マチュ・ピチュという楽団のレコードはジャケットにマチュピチュの写真を使っていてとりわけ旅情をそそりましたが、マチュピチュに憧れたからこのレコードを買った(ジャケ買い)のか、このレコードを買ったからマチュピチュに興味を持ったのかはよく覚えていません。

意気揚々と申し込んだこのツアーの行程は下の表の通りで、コンパクトな日程の中に見どころのツボをしっかり盛り込んだプランになっていますが、若干移動がきついのと、何より旅の中核をなすクスコ2泊〜プーノ1泊の3泊4日は富士山頂くらいの標高に滞在し続けることになるため、高度障害への対処がポイントになります。実際、後述するように参加者が1人ダウンしてしまってどうなることかと思ったのですが、敏腕添乗員Sさんの獅子奮迅の活躍で事なきを得ました。

また、マチュピチュの奥に聳える岩峰ワイナピチュは山屋の私にはやはり気になる存在で、上のレコードのジャケットの写真でもその山頂近くに段々畑のようなものが見えていて興味をそそります。調べてみると往復2時間あれば余裕で登ってこられるようなのですが、ツアー出発の3日前(ちょうど「予習」として見に行った「世界遺産ナスカ展」の会場にいたときでした)に事前確認として添乗員Sさんから電話がかかってきたので、これ幸いと訊いてみました。

J「マチュピチュの見学時間はどれくらいですか?」
S「2時間半です」
J「その中に自由行動時間はあります?」
S「全部ガイドによる引率と説明になります」
J「(少し落胆して)するとワイナピチュに登る時間はありませんね?」
S「それはクスコからマチュピチュ日帰りでは無理ですね」

急遽参加を決めたお仕着せのツアーなのだから仕方ないかな、と納得してこのときは電話を終えたのですが……。

行程表

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日程 行程
2006/05/13 成田空港からヒューストン経由、リマへ。
2006/05/14 リマ市内観光。アルマス広場 / サン・フランシスコ教会 / 黄金博物館 / 恋人たちの公園。
2006/05/15 リマからクスコへ。アルマス広場 / サント・ドミンゴ教会 / サクサイワマン要塞 / プカプカラ / タンボ・マチャイ / ケンコー。
2006/05/16 クスコのサンペドロ駅からビスタドーム列車でアグアス・カリエンテス。ミニバスでマチュピチュへ。夜、クスコへ帰着。
2006/05/17 専用バスでラ・ラヤ峠越え。シユスタニ遺跡。
2006/05/18 ティティカカ湖ウロス島観光。フリアカからリマへ。さらにバスでイカへ。
2006/05/19 イカからナスカ地上絵遊覧飛行。バスでイカからリマへ移動。
2006/05/20-21 リマからヒューストン経由、成田へ。

参考情報

→〔歴史

→〔飲料

→〔通貨

→〔言語