クスコ

2006/05/15

目覚めてみれば、今日も窓の外は霧模様。リマのある太平洋岸地域は、フンボルト海流(寒流)の影響で年間を通して気温がさほど上がらず、特に5月から11月にかけての半年は太陽を見ることが稀なのだそうです。朝食をとって、荷物を持ってバスで空港へ赴くも、クスコからの飛行機はこの天気のために延着とのアナウンスがありました……が、幸い遅れは45分だけで済み、STAR PERUのB737で10時ちょうどにtake off!あっという間に雲海の上に出て、当たり前ですが雲の上はよく晴れています。1時間未満のフライトなのに機内で軽食が出たのですが、今日から過ごす高所では消化機能が落ちるので、ここは我慢。そのかわり、窓の外には雪に覆われた高山が次々に見えて、なかなか楽しい眺めでした。

クスコの空港に降り立ってツアー参加者が一様に仰天したのが、空気の澄み具合、空の強烈な青さ。空気が乾燥しているからでしょうか?添乗員Sさんの話によれば、二週間前には空は白っぽかったようですから、いよいよ本格的な乾期到来ということなのでしょう(その分、紫外線もきついのでしょうけれど)。そして予想されたことではありますが、やはりなんとはなしに息苦しさを感じます。ここは既に標高3,400m。富士山で言えば八合目で、海に面したリマからたった1時間で移動してきたのですから、身体が慣れるまでは努めてゆっくり動くことを心掛ける必要があります。

こちらでの現地ガイドのルイスと合流して、バスで空港からクスコ市内へ。ホテルまでの移動の間のルイス(日本語がとても上手)の説明では、クスコは本来ケチュア語ではコスコと呼ばれ、これは「世界のへそ」という意味なのだそうです。日本ほどではありませんが、リマに比べればはるかに潤いのある緑の斜面に、赤茶色のアドベ=日干しレンガの家々が駆け上がっているのも好ましい眺め。大きな車道を走るバスは、すっくと高いインカ帝国第9代皇帝パチャクテクの像の横をすり抜けて、アルマス広場を目指しました。

このパチャクテク(在位1438年-1471年)は、インカ帝国の歴史ではかなりの重要人物です。というのも、クスコ周辺の小部族に過ぎなかったケチュア族がアンデス高地に拡大し、広大な版図に中央集権体制を樹立し始めるのがこの皇帝からで、後で見るサクサイワマンの建築もパチャクテクのときに始まったものですし、明日見るマチュピチュもパチャクテクの離宮とする説が有力。パチャクテクの即位時に宗教的権威と軍事的実権との間に立場の逆転があったらしく、パチャクテクによるクーデターが推定されているそうです。続く第20代皇帝トゥパク・インカ・ユパンキ(在位1471年-1493年)は北へ、第21代皇帝ワイナ・カパック(在位1493年-1527年)は南へ、それぞれ版図を押し広げてインカ帝国の最盛期を実現したのですが、ワイナ・カパックの二人の息子ワスカル(キト)とアタワルパ(クスコ)との間に内戦が起こり、その直後に現れたスペイン人につけいられて、帝国は実にあっけなく滅亡してしまいます。

バスはアルマス広場の横を通過して、すぐ近くの小さなレゴシホ広場のそば、石畳のちょっと狭い道に面したホテル、ロイヤル・インカ・ドスの前に到着。小さな入口からこじんまりしたエントランスを抜けるとパティオに出て、部屋はこの中庭を三方から取り囲んでいます。このパティオがいい感じで、明るくそれでいて落ち着いた色遣いの巨大なモザイク画が見下ろしていますし、さまざまな植物が元気よく茂っているのもGood。エントランス寄りには大きな薪ストーブがあって、その前はゆったり寛げるソファーコーナーになっています。このパティオで、まずはコカ茶のサービス。初めて飲んだコカ茶は、色はわずかに黄色っぽい透明、甘茶っぽいマイルドな味でおいしくいただきました。コカ茶は高山病の症状を緩和するので、この日以降機会があるごとに飲みましたが、日本では麻薬扱いで栽培も持ち込みも禁止です。

部屋の鍵を受け取ってかなり年代もののエレベータで四階まで上がり、ちょっと開けにくい鍵をなんとか気合!で開けて自分の部屋に入ると、中はずいぶん暗いものの清潔で、もちろんお湯もちゃんと出るし、家具はアンティークで一目で気に入りました。ついでに言うと、入口近くのバーのカウンターに乗ったチェス盤上の駒がスペイン対インカ(ナイトがリャマだし)なのも面白いし、エントランスには二台のPCがインターネットにつながっていて宿泊客なら30分まで無料で利用できることも、もちろん見逃しませんでした。

部屋に荷物を置いて一服してから、アルマス広場に面したレストラン「La Tasca」に移動して昼食。お店自体もとても雰囲気のよいところですが、なんといっても二階の窓からアルマス広場を一望できて、カテドラルや教会の鐘塔の向こうにクスコを囲む山とどこまでも澄みきった青空が広がっているのが最高です。

いただいた料理は、野菜スープとポジョ。ポジョは鶏肉を揚げたもので、キヌアという雑穀をまぶしてあり、マッシュドポテトと温野菜を添えてあります。空気の薄さにめげずに、たいへんおいしくいただきました。そして、食後にはもちろんコカ茶。

ところで、空港を出たところで待ち構えていたカメラマンが我々の写真をばしばし撮っていたのですが、それが早くも現像され、大振りの絵葉書の裏に貼り付けられてでてきました。一枚US$1。いろんな商売があるものです。もちろん買っても買わなくてもいいのですが、せっかくなのでクスコの市街図が印刷されているものを買い求めました。これを見ると、クスコの町がピューマを象った設計になっていることがわかるのですが、この絵、ピューマというより……ウマ?

満ち足りたところで、アルマス広場に降りてあたりを散策しました。町の中心にアルマス広場を置くのはスペイン風の町づくりの定石ですが、クスコのアルマス広場はもともとインカ帝国時代から「ワカイパタ」と呼ばれる広場で、インティ・ライミ(冬至の日の神聖な祭り)のときには皇帝が太陽の神殿コリカンチャからワカイパタまで輿に乗って降りてきたのだそうです。広場の中央には噴水があって、芝生の中には色とりどりの花が咲き、見渡せばコロニアル風の建築群。しかし、どっしりと大きなカテドラルはビラコチャ神殿の跡に建てられたものですし、二つの鐘塔がすっきり高いラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会は第21代皇帝ワイナ・カパックの宮殿があった場所です。また、林立する街灯にはピューマの顔がデザインされていました。クスコが基層文化としてのインカの遺風を色濃く残していることが、これらのことからもよくわかります。

しばし自由に散策してから、徒歩でクスコ名物「12角の石」を見に行きました。例の、「カミソリの歯一枚通さない」というあれです。カテドラルの横を通って1ブロック進むと、両側に石組みが3mほどの高さとなり、さらにその上に建物があって谷底のようになった狭い道に入りました。この石組みは確かに立派なもので、石の辺や角は滑らかに磨き上げられ、石と石とは隙間なく組まれています。そして「12角の石」は、そうした石たちの王のようにひときわ大きく目立っていました。皆で交互にお約束の記念撮影。間近に近づいて見た感じでは、「カミソリの歯一枚」というのは多少誇張がありますが、複雑な形状にもかかわらず周囲の石と見事に組み合わされていることは確かに驚嘆に値します。ここは第6代皇帝インカ・ロカの宮殿跡で、12角は王の12人の家族、あるいは1年の12の月を表していると言われていますが、現在は、かつての大司教庁の建物を利用した宗教美術博物館がこの石組みの上に建っています。

先回りして待っていたバスに乗って、サント・ドミンゴ教会へ。ここは太陽の神殿(コリカンチャ)の跡です。地震によってスペイン人が建てた教会は崩れましたが、その土台となっていたインカの石組みはびくともしなかったという有名な話は、ここが舞台になっています。かつてここに押し入ったスペイン人たちは、神殿を埋め尽くしていた黄金の像やら石壁の上部を覆っていた黄金の装飾やらを根こそぎ持ち出してから、神殿の建物を壊して教会を建てたのです。それでも、中庭を囲む教会の建物の中に今もコリカンチャの石組みによる部屋がたくさん残っているのですが、こちらの石組みの緻密さにも驚きました。きれいな直方体に切られた石と石との間には本当に隙間がないし、壁には金銀の像が置かれていたという台形の壁龕が並び、複数の部屋を寸分の狂いもなく一直線に見通せる同じ高さ・大きさの窓があって、よせばいいのに1cm角くらいの石が石組みの中にさりげなく(?)嵌め込まれていたりします。さらに、通路の入口には14角の石があり、かつてビラコチャを祀った太陽の祭壇があったという隅の石壁は石材が優美な曲線を描いていて、これでもかというくらいに石組みの技術を見せつけている感じです。

コリカンチャには、大きな役割がありました。帝国内の四つの州に配置された多くの聖所(神殿、礼拝所、泉など)に対して、クスコから仮想的な線が伸びており、その起点がこのコリカンチャであったということです。つまり、コリカンチャはインカ帝国の観念上の中心点でもあったということになるわけです。

コリカンチャの黄金は一切なくなってしまったのか、と思っていたら、高さ2mほどの将棋の駒の形をした金色の板に太陽だの月だの星だの虹だの……が打ち出された天文図のようなものが展示されていました。なんだかありがたそうだぞ、と思いながら眺めていましたが、隣のスペイン語と英語が併記された解説を斜め読みしてみると、「コリカンチャの儀式を模したものではあるが、この線刻のオリジナルは1613年に成立したもので、口承に基づいて描かれたものに過ぎない点に注意」という趣旨のことが書かれていました。なーんだ。しかし、呑気なことばかりも言ってはいられず、この教会を巡っているうちに、ツアー参加者の中で酸素ボンベのお世話になる人が早くも出てきてしまいました。

修学旅行生などで大混雑のコリカンチャをバスで離れ、郊外に出て高度を上げました。まずは、クスコを一望のもとに見下ろす自然の展望台で眺めを楽しみます。こうして見てもピューマの都市計画というのはさっぱりわからなかったのですが、教会くらいしか高い建物がなく、赤茶色の瓦と白壁の建物が盆地をびっしりと埋めたクスコの景色は素晴らしいものでした。また、ここには民族衣裳を着た地元のおばちゃんが待ち構え、アルパカと一緒に写真に撮らせる商売をしていて、お値段は一人sol./2と言っていましたが、添乗員Sさんはsol./1に値引きさせていました。

続いて、サクサイワマン。クスコの北西の要塞で、ピューマの頭にあたる場所です。長い年月をかけ、膨大な労力を投じて建設されたと思われる巨石構造物で、今残っている三層360mの石壁やそこに使われている巨石のボリュームだけでも相当な迫力ですが、実際はさらにその上に城壁や塔が聳えていたとのこと。しかし、そうした上部構造物は1536年、征服者ピサロが新首都リマに下り、その仲間アルマグロもチリ方面へ出ている隙に蜂起した傀儡皇帝マンコ・インカ・ユパンキの軍が、天然痘の蔓延と夜戦(インカ人は夜は戦わない)とによって破れた後、徹底的に破壊されてしまいました。マンコ・インカはこの後ウルバンバ川奥地(下流)のビルカバンバに退き、スペインへの抵抗を続けることになります。

遺跡の前には広場があり、毎年6月24日にはここでインカの儀式を再現するインティ・ライミ(太陽の祭り)が執り行われています。インカ帝国の残照?しかし、今日はがらんとしていて、本当に斜めにかげってきた日差しの中に、修学旅行の子供たちが隊列を作って体育座りしているばかりでした。

日没までもうあまり時間がないため、せき立てられるようにしてバスでさらに奥へ進み、「赤い要塞」と言われる石造りの遺跡プカ・プカラを遠くから見物しました。ここはクスコへの前衛の役割を果たすとともに、タンボ・マチャイで沐浴する皇帝の警護のための施設でもあったそうです。ところで、プカ・プカラから右の方へ目を転じると、タンボ・マチャイを谷の奥に抱えた尾根筋が遠くに消えて、そのはるか先に雪を戴いた高い山が斜光の中にうっすらと見えました。標高6,374m、インカの霊峰アウサンガテで、ここから見えるのは本当に珍しいとルイスも声を弾ませました。

タンボ・マチャイは、バスを降りてから上り坂を水平距離で300mほど歩くのですが、ここまで来ると富士山の山頂と同じ標高なので、息も絶え絶えという人も出てきています。なんだかサバイバルなツアーになってきました。

雨期・乾期を通じて水量が変わらない聖なる泉が湧き出す皇帝の沐浴場タンボ・マチャイには、今も昔と変わることなく水が流れていますが、その水がどこを水源としているのかは不明だそうです。インカの人々はサイフォンの原理を知っていたので、地下水路で遠くから引いてきているのだろうと推測されてはいますが、詳しいことはよくわかっていません。また、泉の施設はこれまた石組みなのですが、これは三段の構造になっており、最上段には四つの台形の窪みが作られています。三段の構造はインカの人々の世界観である三つの世界、すなわち、

  • ハナン・パチャ=未来=天上=コンドル
  • カイ・パチャ =現在=地上=ピューマ
  • ウク・パチャ =過去=地下=蛇

を示しており、この三層構造のモチーフはこの後の旅の中で繰り返し見ることになりました。また四つの窪みは、クスコを中心として区分される四つの地方(スウユ)を示しています。インカ帝国の本来の呼称は「タワンティン・スウユ」(四つの州)であり、「インカ」とはケチュア語で「王」のこと。スウユの方は、次のようになっています。

  • チンチャ・スウユ=クスコの北→エクアドルを含む北海岸地方
  • コヤ・スウユ  =クスコの南→チチカカ湖周辺、ボリビア、チリ、アルゼンチンの一部
  • アンティ・スウユ=クスコの東→アマゾン地方へ下るアンデス山脈東側斜面
  • クンティ・スウユ=クスコの西→太平洋岸までの地域

とうとう日が落ちて、あたりが暗くなってきました。クスコ市街へ戻る途中で一応立ち寄ったケンコー遺跡は、生贄の血を流して占いをしたという祭礼場だそうですが、バスのライトで照らしてもらってぼんやり形と大きさを確認しただけ。高度障害でぐったりし、バスにとどまった人もいます。そんなわけでそそくさとバスに戻って、夜景が美しいクスコ市街へと下りました。

盛りだくさんだったクスコ観光を終えて、夕食はホテルの斜め向かいの「Don Antonio」へ。クスコ名物のクイ(モルモットの一種)のグリルやアルパカ料理なども含むビュッフェ形式のレストランで、クイはなんだか小骨が多くていまいちだし、アルパカはちょっと固めのぱさっとした感じの肉でしたが、実はここの売り物はステージで見せるアンデス舞踊とフォルクローレです。ダンスの方は、ケーナと太鼓をバックに男女二組が2拍子でステップを踏みながら賑やかに踊る回転系の舞踊ワイノ。フォルクローレは「ARCO IRIS」という名前のベテランの楽団で、構成は管楽器(ケーナとサンポーニャ)×3、ギター、エレクトリック・チャランゴ(!)、打楽器の六人。「花祭り」や「コンドルは飛んで行く」といった有名な曲のほか、「トルコ行進曲」「軽騎兵序曲」などをアレンジして演奏したので、西欧系の異常にノリのいい集団に大ウケしていました。

明日は、いよいよマチュピチュへ向かいます(←テレビ朝日『世界の車窓から』風に)。