ティティカカ湖

2006/05/18

ぐっすり眠れて、5時半起床。既に外はかなり明るくなってきており、窓から正面左寄りがひときわ明るいのでそこから太陽が昇るのだろうと見当をつけてカメラを準備しました。この時刻でも時折モーターボートが湖の上を横切って、湖面にさざ波を立てています。そして湖の向こうの空が徐々にオレンジ色に燃えてきて、予想通りの場所から6時ちょうどに御来光。

しばらく朝焼けのティティカカ湖を眺めてから、シャワーを浴びてホテル中二階のレストランで朝食をとり、そのままホテルの外に出てみました。このホテルは半島状の地形の上に建っていて、その先端のちょっと高いところに屋外展望台がしつらえてあり、右手には湾をはさんでプーノの町、左手にはティティカカ湖が見渡せます。ここからの眺めも絶景で、横着せずにここまで出て御来光を仰げばよかったなとちょっと反省しました。今日も素晴らしい天気で、Peruvian Skyを映すティティカカ湖は実に静かです。

インカ帝国の創始者=初代皇帝マンコ・カパックにまつわるインカ創世説話には複数のバージョンがありますが、その一つではマンコ・カパックとその妹で妻のママ・オクリョはティティカカ湖の太陽の島に現れ、クスコに移動してそこに都を建てたことになっています。つまり、このティティカカ湖はインカ帝国発祥の地の一つというわけで、インカ帝国を征服したスペイン人の記録によれば、当時、太陽の島は宗教的な巡礼地として崇められていたそうです。ただし、インカ帝国は征服地の既存の統治機構や宗教をうまく利用したと言われており、太陽の島についても征服前からの巡礼地であったものをインカ帝国の宗教施設として利用したものであったようです。

ロビー集合は9時半。しかしそこに、クスコのホテルで酸素ボンベのお世話になっていたN氏がダウンしたという情報が伝わってきました。夕べは少し食欲を回復してパスタなどを食べていたのに、今朝になって奥さんが起こそうとしても意識が戻らないのだそうです。N氏は糖尿病を患ってインシュリンの注射を使っていて、それが高山病と関係があるのかどうかは不明ですが、とにかく添乗員Sさんは医師を呼び、診察の結果ドクターのクリニックにN夫妻を退避させることにしました。その間、我々は心配しながらロビーで待っていましたが、この標高でツアーも半ばを過ぎると、N氏以外にもグロッキーな人、下痢の人などいろいろ出てきています。

ともあれ、1時間遅れでホテルを出発し、すぐ近くの湖面に降りて待ちくたびれていた様子のモーターボートに乗船しました。このボートは屋根の上に乗れるようになっていて、ボートが湖の沖合の方に出ていくとあたりの様子がぐるりと見渡せていい眺めです。湖底の水草や湖面を走りながら離水する水鳥などを面白く見ているうちに、水路沿いの桟橋のようなところを通過。そのときボートの船頭のお兄さんが待ち構えていた男二人に何か渡していて、ここが入場料を支払うところのようでした。

そしてその先、水草によって自然の水路になったところを進み、ホテルの桟橋から20分ほどの航行で前方に現れたのが、葦を積み重ねた浮き島=ウロス島です。島の上には普通に家が建ち並んでおり、我々のボートが近づくと島民たちが「しめしめ、今日もカモが来た」(←想像)という満面の笑みで迎えてくれました。

島民の助けを借りてボートから島に降りると、足の下がふにゃふにゃしていてびっくり。なるほど、これが浮き島の「地面」なのか。そして、まずはデルフィーナさんのウロス島講義から。

  • ティティカカ湖はぺルーとボリビアの国境に位置し、国境線が湖の東寄りを通っている。
  • 広さは8,562平方kmで、これは琵琶湖の12倍以上。
  • このあたりの水深は20〜30m。湖全体では平均100m強、最も深いところで270〜280m。
  • 標高約3,800mは、汽船が航行する湖としては世界最高所であると言われている。
  • 「ウロス島」というのはこのあたりの浮き島の総称で、我々がいるこの島はトクブーナ島といい、8世帯が住んでいる。
  • 切った葦を厚さ1.5m以上に積み重ねて浮き島ができあがり、浮き島同士を杭と綱でつないでより大きな島にする。だから、同じ島に住んでいる者同士がいざこざを起こすと、杭を抜いて島を分割してしまうこともある。
  • そんなわけで島の数は一定していないが、現在は25くらい。
  • 外国人もテンポラリーに滞在することはできるが、永住できるのはここに生まれた人だけ。

ついで、この浮き島を作っているトトラ(葦)を見せてもらいました。皮をむいて白い芯を出すと食べることができて、食感はさくさくとふわふわの中間くらいのスポンジみたいな感じ。微妙に甘味がありました。また、ここで獲れるカラチという魚は体長15cmくらいで、島民は自分たちで食べるほか、プーノの市場へ持っていって物々交換で必要なものを仕入れるのだそうです。

ひとしきり説明を受けてから、トトラの家の中を見せてもらったり見晴し台に登ったり、さらにはミニチュアの浮き島に乗って漂流体験をしてみたり。

見晴し台から見渡したとき、すぐ下にソーラーシステムがあり、また向こうにはトタン葺きの家が多かったのには驚きました。電化製品をたくさん持っている家庭もあるそうで、ウロス島と言えども、ライフスタイルはどんどん変わっているようです。もちろんこの島にも土産物屋があって、観光で稼ぐようになってからは現金収入もあるので、それでいろいろな物が買えるようになったようです。

次のワリキタタ島への移動の際、一人US$2でバルサ舟(15人定員)に乗れるという話に、もちろん全員が乗船を希望。島の若夫婦っぽい男女が10代と5歳くらいの二人の娘さんを乗せて船尾につき、櫓で漕ぎだしました。ゆったりとしたリズムで湖面を漂うように進んでいると、上の娘さんが舟の前の方にやってきてツアー参加者のYさんと商談開始。バルサ舟のミニチュアが商品で、先ほど島の上の売店(?)でYさんが欲しそうにしていたのを覚えていたのでしょう。スペイン語の数字だけで交渉して、US$10からスタートしてUS$7までは下がったのですが、あとUS$1が折り合わず最終的に商談は決裂し、二人とも残念そうでした。

一方、添乗員Sさんはモータボートで移動していて、ほとんど全員のカメラを預かって追い抜きざまに「○○さーん、ポーズとってー!」などと叫びながらばしばし写真を撮っていました。その女傑ぶりもさることながら、どのカメラが誰のものかを瞬時に記憶しているところがさすがプロ、と感心してしまいました。

ワリキタタ島に着いて、島の学校に入りました。生徒は6〜12歳で、ここの運営は寄付によって賄われ、また、我々がもたらす現金収入は子供たちの学用品の購入にもあてられます。教室では、部屋の片方に子供たちが勢揃いし、我々は反対側の椅子に座って子供たちの歌を聴かせてもらいました。地元の歌ももちろんありましたが、「春が来た」「鳩ぽっぽ」など日本語の歌も多くて、子供たちにしてみれば、日本人相手に一所懸命お国の歌を歌って喜んでもらおうというサービス精神なのでしょうけれど、いったい誰が教えたんだ?という感じ。ともあれ、歌が終わればお礼をしなければならず、ここで登場するのが、昨日買い求めたあのでかいパンでした。飴とかチョコレートとかだと虫歯になっていけない、という発想からパンが選ばれるようになったそうですが、添乗員Sさんがとりだしたパンを適当なサイズに割って子供たちに手渡しで配ると、うれしそうに受け取ったり、膝の間に隠してもっともらおうとしたり。また、学校の出入口に寄付箱があったので私は手持ちの硬貨を落としましたが、US$10札を入れている人もいました。

学校の外では、何気に炊事風景。おっ、シャッターチャンス!とツアー参加者の一人にモデルになってもらって写真を一枚撮りましたが、そのとき構図に収まっているグランドマザーが「有料よ」と指を一本立てているのに気づかず、シャッターを押した次の瞬間、しっかりUS$1を請求されました。

めげずにあたりを見回すと、不思議なモニュメントが立っているのが何やら風情があって惹き付けられましたが、これは別に伝統的なものではないそうです。

ひとしきり見終わって島を離れ、モーターボートで湖岸のレストランに向かいました。すると、レストランの手前の桟橋付近の水上では、時あたかも黒い水鳥の集団同士のバトルが行われていました。2羽の黒鳥が正面から向かい合ってばたばた喧嘩していると、横から別の鳥が割り込んできて片方を追い、すると別の1羽が報復のために駆け寄ってくるといった具合で、地元の船頭たちもにやにやしながら眺めていましたが、あれはたぶん、片方が「ジェット団」、片方が「シャーク団」とか言うのに違いありません。

レストランでの昼食はビーフコンソメと、ティティカカ湖産の鱒のソテーにアイスクリーム。N氏の容態を確認しに行った添乗員Sさんを待つ間レストランの外の芝生に出てみると、そこここにクイがうろちょろしていました。やがて添乗員Sさんが戻ってきてN氏も回復した旨を告げ、一同ほっとしてバスに乗ってフリアカの空港に向かいました。N氏はドクターのクリニックから空港に直接やってきて、車椅子で登場。後で聞くと、昨夜寝てからこの日のお昼くらいまでの記憶が飛んでいるそうで、医師に言われてインシュリンの注射を自分で射ったのですが、それだけで30分もかかった上にこのこと自体も覚えていないのだとか。

いろいろとお世話になったデルフィーナさんに心からのお礼とお別れを言って、リマ行きの飛行機に搭乗しました。他の乗客に先立ってタラップに向かったN氏もほぼ自力で階段を上がっていましたし、ここから後は高度を下げるばかりだから、もう大丈夫。我々を乗せた飛行機は、離陸するといったんティティカカ湖上に出て左に旋回し、そのとき眼下にティティカカ湖の全貌を見せてくれました。このとき初めて、我々がウロス島訪問のためにボートで渡ったのは湖のほんの端っこに過ぎないことを目の当たりにし、あらためて湖の大きさを実感しました。

飛行機での移動は、まずはフリアカ(標高3,825m)から中継地のアレキパ(標高2,335m)まで30分。着陸前に窓から見下ろすと、まったく樹木の緑が見えない赤茶けた大地に富士山のような顕著な山が聳えているのが見えました。その麓に広がる乾いた市街はもちろん遺跡などではなく、インカ帝国時代からの歴史をもつ人口90万人のぺルー第二の都市です。

離陸までの間、座席で待機している間にデイパックからペットボトルをとりだしてみるとぺちゃんこに凹んでおり、標高差1,500mでこれほど気圧が違うものかと驚きました。二列後ろに座っているN氏に声を掛けてみるとどうやら回復した様子で、やれやれ、これでひと安心。そして再び飛び立った飛行機は、70分後には海沿いの首都リマに到着しました。初日に比べると魚の匂いが薄いリマの空港でアシスタントのサトウさんと落ち合い、ここからは専用バスで夜の道を南の町イカへ向かいます。夕食はバスの中で、おにぎり・のり巻き・巨大コロッケほかのお弁当。飛行機の中でも軽食が出ていたのであまり食べる気がしなかったのですが、試しにおにぎりを口にしてみるとお米がしっとりしていて、昨日のフリアカや今日のお昼のレストランで出てきたぱさぱさのライスとはひと味もふた味も違いました。

4時間半のバスでの移動の後、0時過ぎにイカのホテルMossoneに到着。真っ暗であたりがどんなところかよくわかりませんが、珍しく猫が追いかけっこをして遊んでいる広いパティオのある、コロニアルっぽい雰囲気の古いホテルらしいことはわかりました。部屋も広くて天井が高くなんとも古めかしい感じですが、何はともあれこれが、ぺルーでの最後の夜です。