塾長の渡航記録

塾長の渡航記録

私=juqchoの海外旅行の記録集。遺跡の旅と山の旅、それに諸々の物見遊山。

出発

2006/05/13

ゴールデンウィークも終わってがらんとした成田空港に13時半集合。小柄な肝っ玉母さん風の添乗員Sさんと私以外のツアー参加者9組16名とはここで初めての顔合わせです。そしてコンチネンタル航空を使っての空の旅は、まず成田からヒューストンまで12時間、さらにヒューストンからリマまでが6時間。さすがに地球の裏側、南米は遠い。

毎度のことですが、今回も自分の荷物は手提げにもバックパックにもなるバッグ一つだけで、旅の途中で荷物が増えれば中に丸めて入れてあるデイパックを取り出すまでというつもりです。そしてB777に乗り込んで手荷物を収納へ納めた後に自分の席(窓側)に座ろうとしたところ、そこにはなぜかでっぷり太ったアメリカ人。「そこ、私の席なんですけど」「え、そう?」みたいなやりとりを交わして彼は本来の彼の席である3人掛けの真ん中に移ってくれましたが、なんとその辺りに座っていたアメリカ人3、4人がてんでに適当な席に座っていたことが判明しました。まったくアメリカ人というのは、なんといいかげんな性格なのか。さらに、飛び立って30分もすると安定した水平飛行に移り、すぐに機内食が配膳されましたが、見れば隣のアメリカ人もそのまた隣のアメリカ人も、ステーキや魚料理をコーラで流し込んでいます。こちらは見慣れた光景ではありますが、それにしてもアメリカ人というのは、なんといいかげんな味覚なのか。

食事を終えたら映画タイムにしましたが、他に面白いのがなかったせいもあって『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』(日本語吹替版)を3回も見てしまいました。ダンスパーティーで盛装したハーマイオニー(エマ・ワトソン)がとても綺麗でうれしくなり、ハーマイオニーや森番ハグリッドと一緒に♫ホグワーツ・ホグワーツ・ホグホグ・ホグワーツ・おっしっえってっよーなんて心の中で歌ってしまいましたが、実際にはかなり重い内容とちと残酷なシーンもあって、アメリカではR-13指定です。

北米大陸の上からは、眼下に雪を戴き見事に氷食を受けた山々(Salmon River Mountains)、乾いた大地の広がり、その大地に給水施設によって作られた真円形の緑の農地がパッチワークのように連なる様子を見ました。そして、ぐらぐら揺れながらどんと乱暴に着陸したところがヒューストン。地名の通り(?)とはいえ、まったくアメリカ人というのは、なんといいかげんな操縦なのか(←ほとんど偏見)。

トランジットのための入国手続は簡単なもので、指紋も顔写真もとられなかったのですが、再出国の手荷物検査では靴を脱ぎました。添乗員Sさんからも「トランクの鍵は必ず開けておくように」との指示が出ていましたが、ナーバスという雰囲気ではないにしても警戒は厳重です。

最近話題の新書『ウェブ進化論』を読みながら待つこと2時間、添乗員Sさんの「あと6時間、頑張りましょう!」との檄に励まされながらペルー行きの飛行機に乗って、ここでもまた『Harry Potter and the Goblet of Fire』を見てしまいました。今度は英語版なので、前の飛行機で聴いていた日本語版の吹き替えが英語のセリフをずいぶん上手に翻訳していたことに気付きます。I'm not an owl !!フクロウ扱いしないで!(ハーマイオニー)とかOh, such a handsome boy.おお、凛々しい若者ではないか。(ヴォルデモート)とか。こうしてみると日本語の方が、ちょっとした言葉遣いや単語の選択の中にも話し手の性別や年齢、性格をきめ細かに表現しやすそうですし、それだけに翻訳の苦労もひとしおだろうな……などとヒマに任せてハリー・ポッターを素材に言語学的考察を深めました。そうこうするうちに飛行機はいつの間にか月明かりの中を飛ぶようになり、南米大陸の上ではところどころまばらにオレンジ色の町の灯が見えるようになりました。都合18時間のフライトはなかなかに厳しいものでしたが、我々モンゴロイドの遥かなる祖先はマンモスを追ってシベリアからベーリンジアを渡り北米の大氷床に開けられた回廊を抜け、我々とは比べものにならない時間をかけて南アメリカ最南端までの5万kmの移動を成し遂げたのです。その末裔たちが掲げている灯があのオレンジ色なのだと思うと、何とはなしに感無量になりました。

リマの空港に着くと、当たり前のことながら一気にスペイン語濃度が高まります。それと同時に仕事のペースもゆっくりになって、イミグレーションの窓口はどこもなかなか進まず、到着した乗客たちの行列はこのまま兵馬俑のように化石になってしまうのではないかと心配になりました。

←イメージ

どうにか外に出られたときには24時を回っていて、薄く霧が立ちこめる空港の外には何とも言えない(少なくとも「快」とは言えない)きつい匂いが漂っていましたが、何の匂いかと思えば添乗員Sさんの説明では海と魚の匂いとのこと。そして我々を迎えてくれた現地のツアー会社のガイド・オスカルがバスに案内してくれて、25時頃にやっとリマ市内のホテル、シェラトン・リマにチェックインすることができました。

長い移動の一日がこれで終了し、腕時計に加えてカメラの時刻設定も14時間戻して、明日から本格的な観光の始まりです。