マンタリ〜スルケ〜チェプルン
2024/10/15
△16:25 スルケ → △18:20 チェプルン
今朝も曇り。空を見上げる限り、飛行機が飛びそうな気配は微塵も感じられません。
だからと言ってはなから諦めるわけにはいかず、昨日と同じようにテンプーで空港に向かいます。
昨日飛べなかった客と今日飛ぶはずだった客とが入り混じって、空港の前は昨日以上にごった返しています。
我々は昨日と同じレストランに入って待機。今回はしっかりアメリカンプレクファースト(つけあわせのマッシュルームやポテトが美味)をいただきました。
それにしても、この雲ではやはり無理だろうなぁ……といった状況をチリンがデンディさんにレポートしたところ、11時まで待って飛ばなかったらヘリコプターをチャーターするようにという指示を得たそうですが、同じことは誰しも考えているわけで、今度はヘリの争奪戦になるのは必至です。そうこうしている間に、我々と同じく昨日1日足止めをくっていたメラピークチームは飛行機を諦めて陸路(ルクラを経由せずトレッキング開始地点まで自動車で8時間)に変更し、空港を去っていきました。グッドラック!
10時前時点の見通しとしては11時頃に天候が回復する予定でしたが、確かにマンタリ側の天気はよくなってきたものの今度はルクラの天気が悪くなってしまいました。やれやれ、こればかりはこちらの都合通りにはいかないものです。とりあえず少し歩いて目についたレストランでランチをとって、お腹と心を落ち着けることにしました。
なんとも暗い気持ちでの昼食後、空港に戻って状況を確認しましたが好材料は得られません。仕方なくさらに1日の停滞を覚悟してテンプーで昨日のホテルに戻りましたが、ホテルに着いたとたんにデンディさんから電話が入り、空港へとんぼ返りすることになりました。カトマンズのデンディさんの方でも八方手を尽くし、その結果ヘリコプターの確保に成功したのです。さすが社長!
空港に戻って待つこと1時間。その間にもひっきりなしにヘリコプターが滑走路上に降りてきます。
飛行機はダメなのにヘリコプターがOKなのは、ヘリなら柔軟に雲を避けて(雲の下をかすめて)飛べるからということのようですが、きっとヘリコプターのチャーター費用はここぞとばかりに高騰(ヘリ会社にしてみれば大儲け)しているに違いありません。
ようやく我々が搭乗するヘリコプターがやってきました。操縦士は右前の操縦席につき、助手席と左側の1席には別パーティーの2人、残る1席と右側の2席(向かい合わせ)に我々3人が窮屈な姿勢で座って、すぐにエンジンの音が高くなったと思ったらヘリはスムーズに飛び上がっていました。
ヘリコプターに乗るのはこれが初めてでしたが、乗り心地が意外に快適であることにまずは驚きました。しかし確かに途中の天気は怖いくらい悪く、キャノピーを雨が打つ様子に少々びびっていると、ヘリはこれまた怖いほど狭い谷の中を進むようになって「このままではルクラには届かないのでは?」と案じていたらやはりそのずっと下の村に着陸してしまいました。
他のヘリも次々に降りてくるこの場所はスルケという地名で、図らずもここが今回のトレッキングの起点になってしまいました。
まずは近くのロッジ(バッティ=宿泊施設兼レストラン)に入り、我々のポーターを一人で務めてくれる若者カンツァ(この名前には「末っ子」という意味があるらしい)がルクラから降りてくるのを待ってから、山道を歩き出しました。本来であれば昨日のうちにルクラから歩き出してパクディンに泊まり、今日はナムチェバザールに着いているはずなのですが、さすがにこの時刻(16時半近く)に歩き始めて遅れを取り戻すことは無理。それでも暗くなるまでの短い時間の中で、ナムチェバザール方向へできるだけ距離を稼ぐことになりました。
このマニ石がある広場が道の分岐点になっており、右奥の石段はルクラから降りてくる道(下り1時間ほど)、見切れていますが左へ水平に進む道はナムチェバザール方向です。
かつて(今も?)この道を歩いたポーターや商人が夜を過ごすために使ったという石室や、いかにもネパールなマニ車とメンダン(経文を彫った石板)、あるいはチョルテン(小仏塔)、そしてこれらとは裏腹に比較的新しい建築だと思われるロッジ群の間を抜けて、ひたすら歩き続けます。
すっかり暗くなった頃、チェプルンのEverest Trekkers Lodgeでこの日の歩きを終了することにしました。ここはスルケから緩やかに上がってきた道がルクラとナムチェバザールとをつなぐ道に合流する地点であり、したがって進捗はともかく一応本来のトレッキングルート上に乗ることができたと言えるわけです。清潔で広いロッジの中でまずはビールで乾杯し、さらに日本製のグリルで調理されたおいしいトマトチーズピザを食べて一息をつきました。
なお、ネパールに着いてからこの日まで毎日ビールを飲んでいましたが、ここより先は標高が3000mを超えてくるのでアルコールは控えることになります。この次に私がアルコールに接したのはちょうど10日後のBCでのプジャの振舞い酒でしたが、これは儀礼的に口をつけただけであって、本当に安心して酒を飲むことができたのは、そこからさらに5日後の登頂祝賀パーティーでのことでした。