モン・ブラン登頂 (3)

2023/06/29

この日は下山するだけですが、ニー・デーグルを8時10分に出発する一番列車に乗るために午前4時に起床しました。幸い、今度はさほど寒くない穏やかな夜を通して気持ち良く眠ることができており、セキネくんの体調も戻ったようです。

しかし、寒くないということはグラン・クーロアールの落石リスクが高まるということも意味します。私が山小屋で用足しをすませテントへと戻ろうとしたときクーロアールの方からガラガラという落石の音と人の叫び声が聞こえ、驚きながらテント場に帰り着くとセキネくんも私に「見ました?」と聞いてきました。彼がテントの外に出てグラン・クーロアールを見上げていたちょうどそのとき、グーテ小屋から降りてきた2パーティーのうちの1人がクーロアール中央の雪が溝状に途切れているところで数メートルも滑落し、さらに後続パーティーを落石が襲って逃げ戻るということが起きたのだそうです。恐ろしい……と思いながら見上げていると、しばらくして2パーティーはグラン・クーロアールを渡りきったところに集結し、やがて全員がこちらの方へ下り始めましたから、どうやら少なくとも行動不能な状態になった者はいなかったようでした。

そんな一幕はあったものの、手早く朝食をすませパッキングを終えた我々はテントの口をしっかり閉めて、オレンジ色の朝日の中、下山を開始しました。

2日前に登ってきたときは雲が湧いて見通しがきかなかったこの道も、今日ははるか下のベルビューまでがよく見えていて気持ちの良いデプローチとなりました。

さようなら、モン・ブラン。本当の山頂は見えておらず、むしろシャモニー市街からの方が見通しがいいけれど、やはりここからの方が別れを告げるのに相応しいような気がします。

こうして、テート・ルース・ベースキャンプを発ってから2時間もかからずにニー・デーグルに到着しました。私にとってここは、2週間にわたった山旅の事実上の終了点です。

▼この日の行程
05:55 テート・ルース小屋 3167m
07:35 ニー・デーグル 2372m
▲この3日間で歩いた軌跡。これがいわゆる「ノーマルルート」。

定刻通り8時すぎにやってきた下界からの列車に乗ってベルビューに下った我々は、その後も往路を逆に辿って午前中にホテルに戻ることができました。とにもかくにもシャワーを浴びて身を清め、衣服をすべて着替えてさっぱりし、アイゼンやストックなど汚れた用具は洗って泥を落として日の当たるベランダに干した後は、登頂の喜びをじわりと噛み締めつつ部屋でのんびり……したのは私だけで、セキネくんの方は身繕いを終えたら今回の旅行のために仕事や家事責任を引き受けてくれた家族・同僚たちのためのお土産をゲットするべく単身街に繰り出していきました。

この日、モン・ブラン周辺の天気は時間がたつごとに悪くなっていき、我々が打上げをしようとホテルを出る頃には山頂はどんよりした雲に押し包まれてしまっていました。

おいしいモノを食べに行こう!を合言葉に適当にメインストリートを流してふと目についた「Brasserie Le National」に入り、まずはビールで乾杯。しかる後に魚介サラダ、ピザ、リブステーキを注文したところ、すべての料理がいっぺんに出てきた上にやたらとフライドポテトが多く、しかもステーキは「ミディアムで」と頼んだのにがちがちのウェルダン。まぁシャモニーのレストランのクオリティなんてそんなものです。実は隣のテーブルでも同じことが起きていたらしく、そちらのカップルは堂々とステーキの交換を要求していましたが、典型的な日本人である我々は出されたものをあるがままに受け入れる度量の広さを示しつつ、さらにワインも注文して酔いと余韻とを深めましたが、その頃から雨脚が強くなってきたために一通り食べ終えたところでホテルへと退却しました。

そんな具合に少々せわしない幕切れとなりましたが、それでも今回の山旅を振り返り、互いの健闘を讃えあって楽しくモン・ブラン登山を締めくくることができました。セキネくん、お疲れさまでした。

部屋に戻ったら、翌日の帰国に向けて仮パッキング。お世話になった各種交通機関のチケットをひと揃えにして改めてこの2週間をしみじみと思い出してから、登攀・登山用具類を片っ端から100リットルザックに詰め込んでいきます。その際に用具のコンディションをひとつひとつ点検していったところ、ほとんどのギアがこれといった傷みもなく持ち帰れそうな中で、冬季用グローブだけが寿命を終えていたことがわかりました。モンベル製のこのグローブは、耐寒性と指先の操作性のバランスの良さからわざわざアウトレットで旧モデルを買い求めたほどのお気に入りだったので、ダメになったからといってもそのままゴミ箱行きとするに忍びず、貴重な容積の一部を割いて日本に持ち帰ることにしたのですが、これが「金龍閉店の悲劇」と並んで今回の山旅での数少ない悲しい出来事となりました。