モン・ブラン登頂 (2)

2023/06/28

予定通り午前2時半に起床。厳冬期用のシュラフを使っていたにもかかわらず夜は相当寒い思いをしましたが、てきぱきとシュラフを畳んでテントの外で湯を沸かしモンベル製リゾッタ(調理時間3分・安心の味!)で手早く朝食をすませました。もちろん外はまっ暗ですが、デポ品をすべてセキネくんの大型ザックに入れてテントの外に出てみると、既に何組かの登山者のヘッドランプの光がテート・ルース小屋からグーテ小屋へと上がるルート上を動いていました。我々もデポ品を山小屋に運んでしかるべき場所に保管したら、アイゼンを履きヘッドランプの光を頼りに出発です。この日の行動を標高差で示すと、テート・ルース小屋からグーテ小屋までがざっと700m、グーテ小屋からヴァロ避難小屋までが500m、ヴァロ避難小屋から山頂までが450mで、合計1650mの標高差を往復することになります。

最初のポイントはグラン・クーロアールの横断で、ここは同時行動にせずに一人ずつ「せーの!」で一気に歩き抜けましたが、目論見通りこの時間帯の寒さの中では落石は起きておらず二人とも無事に渡ることができました。ついでグーテ小屋に向かう岩稜の登りになり、このパートも明瞭な踏み跡やところどころのペンキマーク、さらにはワイヤーなどに導かれて順調に高度を上げました。

岩稜の登りは我々の足でも2時間弱かかり、その途中で徐々に空が明るくなってきました。振り返り見ると、テート・ルース小屋を出てこちらに登ってくるいくつものパーティーのヘッドランプの光がゆらゆらと動いています。

やがて前夜グーテ小屋に泊まりこの日下山するパーティーとすれ違うようになり、すっかり明るくなった頃に旧グーテ小屋に到着しました。この建物の横の雪の斜面を登り詰めるとそこには……。

シャモニー方向に展望が一気に開けて、朝日が登ってきている様子を目の当たりにすることができました。先を急ぐ身ではありますが、このすばらしい光景には二人ともカメラを向けないわけにはいきません。

あらためて山頂方向を眺めてみての印象は、とにかく大きい!の一言。もちろん日本にも(たとえば御嶽山のように)ボリュームの大きな山はあることはありますが、なんと言うか、この大きさはただ単に物理的に大きいというだけではなく「偉大」という単語と結びつくほどの風格を備えているように感じます。

ひとしきりこの荘厳な景色を眺めた後、グーテ小屋に立ち寄ることはせずにその近くの雪道上で行動食をとりクレバス対策のロープ(8mm20m)を結び合って、手にしていたピッケルをダブルストックに持ち替えてから、ロープコイルを肩に掛けたセキネくんが後ろ、私が先頭という順番で山頂を目指して歩き始めました。

よく締まった雪面には明瞭な踏み跡によるルートがあたかも登山道のように切られていて、これならたとえホワイトアウトになったとしてもなんとかなりそう。そして空の赤みが薄れていくにつれ、あたりの色彩は青と白とのツートーンに変わっていきました。

背後を見れば半透明の薄い空気の層が下界を覆っていて、こちらは天上界にいるようないい気分。しかし本当は浮かれている暇はなく、登っても登っても近づかない山頂の遠さに徐々に脚力を削られていきます。私の方は高度順化という点ではモンテ・ローザの貯金があるので体調万全ですが、そうは言っても酸素の薄さのために燃費効率の悪いゆっくりした歩みに終始してしまっており、一方のセキネくんも後から聞いたところさすがに頭痛などの高度障害を感じていたそうです。

ドーム・デュ・グーテDôme du Goûterを左から巻いて傾斜がいったん緩んだ先の斜面の途中に、ヴァロ避難小屋Refuge Vallotが見えてきました。遠目に見る限り、そこから山頂までは大した距離がないように思えてしまいますが、実際にはヴァロ避難小屋から山頂まで2時間行程であることを知っている我々は、かえってこの山の大きさを強く実感することになりました。

それにしても驚くのは、こんなに高いところまで登ってきてもあちこちに姿を見せ、ときにはまたがなければならないクレバスの存在です。中を覗き込むと相当に深いものもあって、これを目の当たりにするとモン・ブラン登山を単独で(ロープを結ばずに)行おうとは思えなくなってきます。

ようやくヴァロ避難小屋に到着しましたが、この頃から山頂方向にかかる雲が非常に強い風に乗って動いている様子が窺われるようになってきました。このため、ここで腰を落ち着けて行動食をとると共に防寒着を1枚着込むことにしました。

ヴァロ避難小屋の先でルートは傾斜をぐっと増し、我々はダブルストックの片方をピッケルに持ち替えて一歩一歩足を運び続けます。

急斜面とは言っても見事なまでにステップが切られていて歩行に支障はありませんが、この傾斜よりも横殴りの風の方が登高の邪魔をするようになってきました。耐風姿勢を要求するほどではないものの、時に身体をぐらつかせるほどのその風力は、おそらく15m/sくらいはあっただろうと思われます。

そして残念なことに、山頂が近づくにつれて周囲がガスに覆われるようになってきてしまいました。あと1時間早くテート・ルース・ベースキャンプを出ていれば、青空の下を最後まで歩くことができたのですが……。

10時39分、最後はセキネくんを先頭にしてモン・ブラン登頂。もちろん日本の山のような標識があるわけではありませんが、左右が緩やかに落ちた雪稜上の最高地点であるここが山頂であることは間違いありません。

ここで白状すると、私はこのときまでモン・ブランに登ることにそれほどこだわりがあったわけではありませんでした。シャモニーに来るたびに見上げてきた山ではあるものの、歩き続ければ登頂できてしまう面白みに欠ける山……という先入観があったことからさほど熱心に取り組もうとしてこなかったためですが、こうした実際に登ってみるとその大きさは圧倒的で、ボリュームが価値を生むこともあるのだと目を見開かされたほど。それだけに、モンテ・ローザを登り終えた翌日をまるまる休養日に当てられたことは私にとっては登頂達成のポイントとなりました。ここで休養をとれていなかったら、あるいはヴァロ避難小屋と山頂との間のどこかで力尽きていたかもしれません。

展望には恵まれませんでしたが、それでも達成感に包まれながら居合わせた他のパーティーと写真を撮りあったり、時折ガスの中から水墨画のように姿を現す周囲の景観にカメラを向けたりしてしばらく山頂に滞在し、頃合いを見て下山を開始しました。

我々が下っていく間にも、後続のパーティーがどんどん登ってきます。しかしガスはますます濃くなり、風もますます強くなってきて危険を感じるほど。これでは途中で諦めて引き返したパーティーもいたに違いありません。

しかしぐっと高度を落として雪の大斜面の先にグーテ小屋を見下ろすことができるようになる頃には、再び青空が広がり始めました。もっともこれがこの標高だけのことなのか、それとも山頂も今は雲がとれているのかは不明です。

旧グーテ小屋のあるあたりから山頂方向を振り返ってみるとやはり白いものがそちらを覆っているようにも思えますが、もしかするとそれは山頂での展望を逃した自分のネガテイブな希望(煩悩)がそう見せているだけだったかもしれません。

気持ちを切り替えて、ここからは目の前に集中して岩稜を下ります。登りでは容易だったこの岩稜も、前方に他の登山者がいる中で脆い岩を落とさないように注意しながら下るとそう簡単ではなく、神経を使う下降が続きます。

そして最後の関門はグラン・クーロアールの横断です。我々の前を渡っていったパーティーはガイドパーティーだったらしくひと塊になって通り抜けていきましたが、我々は行きのときと同じく一人ずつ別れて横断しました。ここを無事に渡り切れば、もはや安全地帯です。

▼この日の行程
03:40 テート・ルース小屋 3167m
06:00 旧グーテ小屋 3810m
08:35-55 ヴァロ避難小屋 4362m
10:40-55 モン・ブラン 4808m
11:55 ヴァロ避難小屋 4362m
13:30-14:05 旧グーテ小屋 3810m
15:45 テート・ルース小屋 3167m

テート・ルース小屋に入って、まずは登頂を祝って乾杯。その後にデポ品を回収して再びキャンプサイトに移動し、昨日とは異なるテントを確保して落ち着きました。熱射病にやられたらしいセキネくんはやや元気を失い食欲もない様子でしたが、こういうときの強い味方はカレーです。私が買った「Vanilla Rice Pudding」なる怪しげなデザートには手を伸ばそうとしなかったセキネくんも、モンベルの白米にアマノフーズの「畑のカレー」を合わせたものには食指が伸びる様子。やはりなんだかんだ言ってもフリーズドライは日本製に限る、というオチを自ら作ってくれました。

21時頃、ようやく日が傾いてきたところを見計らってテート・ルース小屋の前のヘリポートまで歩き、雲海の広がりとオレンジ色に染まる山肌とを飽かず眺めました。もはや心残りは何もなく、明日はすべての荷物を背負ってニー・デーグルまで下るだけです。