モン・ブラン登頂 (1)

2023/06/27

我々はベルビューを11時40分台に通過するトラムウェイに乗ることを予定している(予約はしていない)ので、それほど早くホテルを出る必要はないのですが、レ・ズーシュからベルビューに上がるロープウェイの運行頻度や混み具合、それに一昨日聞いた話の通りにベルビューでトラムウェイの乗車券を手に入れられるかどうかといった点が不確定要素として残っていたので、とにかく時間にゆとりを持って動こうと話し合って8時半にはホテルの裏手のバス停に並びました。

レ・ズーシュとレ・プラの間を往復している1号路線のバスは観光客で大賑わいでしたが、それでも首尾よく9時10分頃にはベルビューに上がるロープウェイの駅に並ぶことができました。ちなみに「レ・ズーシュ」というのは「シャモニー」と同じ程度に広域の地名であり、ロープウェイ駅があるバス停はレ・ズーシュの中の「ベルビュー」なので、慣れない観光客にとっては大変ややこしいことになっています。

ロープウェイの上りは今日ですが、下りは明後日です。それで往復チケットを買えるのだろうかという点も事前にはわからなかったことですが、窓口に並んだセキネくんが買ってきてくれたチケット(往復€22)を見ると「30日まで有効」と書かれてありました。これなら大丈夫。

思っていたよりずいぶん小さなロープウェイにさっさと乗り込んで10分もかからずに尾根上の駅に到着すると、トラムウェイのベルビュー駅はそこから尾根上の草原の中の道を右手に向かって緩やかに150m下った先にありました。

さっそく係のお姉さんにセキネくんが「私たちはテート・ルース小屋の予約を持っていて、11時台のトラムウェイに乗りたいんですけど」と申し入れると、お姉さんは「それならその時間にまたここに来てね」とにっこり笑ってくれました。ここでテート・ルース小屋の予約票(印刷して持ってきています)を見せて特別列車のチケットの発券を受けなければならないのだと思っていた我々はすっかり拍子抜け。それでは列車が来るまでコーヒーでも飲みながら待つか……とロープウェイ駅に戻り、その近くにあるカフェでコーヒー片手に1時間半も時間をつぶすことになりました。これは完全に出足が早すぎです。

コーヒーを飲みながらぼーっと時が来るのを待ち、頃合いを見て再びトラムウェイの駅に向かいましたが、どう考えても我々は特別列車に乗車できることの証を持っていないので再びお姉さんに「チケットはどうしたらいいのか?」と聞いてみたところ、お姉さんは怪訝な顔をして我々のロープウェイのチケットを確認し、その上で新たに2枚のチケットを取り出して「なくさないでね」と我々に渡してくれました。

赤いチケットは下界で買ったロープウェイのチケット、青いチケットはお姉さんがただで渡してくれたトラムウェイのチケットで、後者の裏面には「Spêcial Alpi」「LACHAT - NID AIGLE」「A-Retour」と印刷されており、そのすべてが我々はロープウェイチケット購入時に支払った料金の範囲内でニー・デーグルまで行き、帰ってこられることを示しています。ずいぶんとおおらかなものだなと思っているうちに我々が乗るトラムウェイがやってきましたが、さすがに1日3便の真ん中とあって車内は大賑わい。これでは車内検札などは不可能ですし、先走って書いておくと2日後の帰りのときも乗車前・乗車中・乗車後を含めてトラムウェイの特別列車に関するチケットをチェックされることは一切ありませんでした。

ベルビューから1駅乗るとモン・ラシャMont Lachatで、車内の一般ハイカーはここで皆が降りていき、残された山屋たちも運んでもらえるのは次のニー・デーグル駅まで。ここがこのトラムウェイの終点です。ちなみにベルビューの草原に立っていたハイキング道の道標にはモン・ラシャまで歩いて1時間、ニー・デーグルまで2時間35分と書かれていましたが、それほどの時間がかかるようには思えないあっけなさ(ベルビューとニー・デーグルとの標高差は約600m)でした。

トラムウェイを降りて岩場を回り込むように少し歩いたところにトンネルを抜けてきた線路の末端があり、その手前が広場になっていて皆がこの日の歩きの準備をしていました。ちょうどお昼どきでもあるので我々も適当なところに腰を下ろし、行動食をとってからシューズの紐を締め直しているうちに、同じ列車でやってきた面々の中で最後尾になってしまいました。しかし、この日の宿泊場所がグーテ小屋なら慌てなければなりませんが、我々の宿であるテート・ルース小屋まではゆっくり歩いても3時間もかかりません。曇りがちの少々暗い雰囲気の中でのんびりと準備を整え、のんびりと歩き始めました。

途中には大きな雪田も残されていましたが、道のほとんどはガラガラの岩屑の道で、なんとも潤いのない景観がどこまでも続きます。

そんなこちらの不満を察したのか、日本のカモシカに似たシャモアが顔を出したりもしてくれましたが、やがて道ははっきりと斜度の強い尾根道に変わっていきます。

ぐんぐんと高度が上がり、霧の中に大きな雪渓が現れたらテート・ルース小屋はもう間近。

雪渓の前に巨大交番といった趣のチェックポイントがあり、ここでテラスに座っている係のおじさんに「Bonjour」と挨拶すると彼は私の名前を手元の名簿から探し出した上で、にっこり「ダイジョウブ?」と声を掛けてくれました。相方のセキネくんがずいぶん先にここを通過しているので私が疲労して遅れたのではないかと心配してくれたようですが、「大丈夫、ありがとう!」と元気に返事をして目の前の大きな雪渓を横断しました。

▼この日の行程
12:35 ニー・デーグル 2372m
15:15 テート・ルース小屋 3167m

この山域の山小屋はたいていそうですが、このテート・ルース小屋も登山靴のままで入れるエリアは建物の入口からすぐの一角までで、そこから先に入ろうとするときはここに登山靴をデポし備付けのサンダルに履き替える必要があります。我々もそのようにして建物の中に進むとそこは広い食堂で、受付のカウンターも目の前にありました。印刷してきた予約票をようやくここで取り出し、2晩2名でキャンプサイトを予約し半金(€60)を支払い済みであることを示したところ、受付のお姉さんとその後ろからやってきたお兄さんは確かに予約が有効であることと我々が小屋の食事を必要としていないことを確認した上で、まず今夜1晩分の残金の支払いを求めた後に以下のようないくつかの注意事項(当方からの質問に対する回答も含みます)を説明してくれました。

  • キャンプサイトはここからモン・ブランに向かって続く踏み跡を2分歩いたところにあります。
  • そこにはプラットフォーム上にテントがたくさん張られており、どれを使ってもかまいません。
  • プラットフォームの上ではアイゼンを履かないように。またアイスアックスはテントの中に入れないように。
  • 明日出発する際にはテントの中には何も残さず、デポしていくものは小屋に持ってきて入口近くのプラスチックのボックスに入れて置いていって下さい。
  • また、出発するときには風で飛ばされないようにテントの入口をしっかり閉めていって下さい。

これらの説明を聞き終えたところで受付手続は終了し、我々は早速キャンプサイトに移動することにしましたが、その前に明日出発する際にデポ品を入れるプラスチックボックスなるものをチェックしてみたところ、明らかにボックスの数が足りていない……というより空いているボックスが既にありません。しかし、実はセキネくんはキャンプサイトでの食料や水を運搬するために大型ザックを背負ってきており、そこに二人のシュラフも含めたデポ品の一切合財を入れてデポスペースに置いておけば大丈夫だろうという見通しを立てることができました。

お姉さんの言う通りキャンプサイトはテート・ルース小屋からすぐ近くにあり、組み立てたばかりという感じの清潔な木のプラットフォーム(複数)の上に大型テントがいくつも張られていました。約束通りアイスアックスやストックなどテントを傷つけそうなものをリュックサックから外してプラットフォームを囲む手すりに立て掛けてからテントの中に入ってみると、床に敷いてあるマットも下からの寒気を遮断するのに十分な分厚さがあり座り心地は抜群。あらかじめ示されていた条件ではAccommodation at Tête Rousse base camp includes tents with camp beds. There is no duvet, blanket or pillow. Bring a very cold sleeping bag.とされていたのでなんとなく野戦病院のようなものをイメージしていたのですが、これなら快適に過ごせそうです。トイレは併設されていないので用を足すためにはテート・ルース小屋まで足を運ばなければなりませんが、それもこの距離なら苦にはなりません。

とは言ってもこの時間帯(16時前)ではまだ日差しが強くてテント内は暑くてたまらず、テントのベンチレーションを全開にして風を通したりプラットフォームに出てグーテ小屋の方を見上げたりしながら所在なく過ごしていたのですが、それにしても気になるのは目の前に見えているグラン・クーロアールです。この浅くて広いクーロアールの下部の横断は上部からのロシアンルーレット的な落石の頻発によって過去に少なからぬ事故を起こしていますが、事前の情報では十分に雪が付いているので落石のリスクは低いということだったのに、実際には雪解けによってクーロアールの真ん中に縦に一本はっきりとした溝ができており、見ている間にもその周辺にバラバラと石を落としていて話が違う感じ。ただしセキネくんの見立てとしては、落石が生じるのはクーロアールの高い位置からなので、横断に際し耳を澄ませて音がしていたら止まり、していなければ一気に走り抜けるということで対処できるのではないかとのこと。いずれにしてもここが問題になるのは気温が上がる復路の方であり、聴覚と視覚の両方を使って危険予知をするしかなさそうです。

夕食は昨日の午後の買出しの際にスネルスポーツで買ってきたフリーズドライ食品群で、「Farfalle with Gorgonzora and Spinach Source」「Creamy Pasta with Chicken and Spinach」「Chili Con Carne」の3種をお湯で戻していずれもシェアしましたが、とりわけ「Farfalle ...」は味覚・食感共にすばらしく二人とも大絶賛。こうした製品の品質は日本製が頭抜けている思っていたらしいセキネくんは、一種のカルチャーショックを受けたようでした。ただし1袋で€10というお値段が懐に痛いですが、主菜は別の安いものを各自が用意し、そこそこボリュームがあるこいつを副菜として複数人で分け合う食べ方ならイケルかもしれません。

それにしてもここで是非とも我が国の通貨当局に対し文句をつけておきたいのは、ここ1カ月ほどで一気に進んだ円安です。私が出国するときですら€1=156円という交換レートだったものが1週間後のセキネくんの出国時には160円ですから、食事の後にトイレかたがた山小屋に立ち寄って買い求めた缶コーラ€6などは960円もする計算です。もちろん高所加算というものもあって、特に水は山小屋で買うと恐ろしく高いのですが、かといって周囲の雪を溶かして水にすることは「衛生上勧められない」とあらかじめテオから強く戒められていましたから、このキャンプサイトを利用する場合は(アタック時のデポのことを考え合わせても)大型ザックを用意し、下界でリーズナブルな値段で調達した水を何リットルかは入れて担ぎ上げるのが破産を防ぐ道です。

……などととりとめもなく考えているうちに時刻はいつの間にか20時になってしまいました。明日の朝は2時半起床で手早く朝食とパッキングを済ませ、どんなに遅くても4時には出発する計画としています。外はまだまだ明るいのですが、早々に眠りにつかなくては。