モンテ・ローザ縦走 (3)

2023/06/25

テオとしては4時起床の4時半出発としたかったようですが、山小屋の食事の準備が間に合わないことから30分後ろ倒しになり、4時半起床後ただちに朝食をとって5時前に出発しました。

手近のプンタ・ツムシュタインまでは歩かれているもののそこからプンタ・デュフールまではトレースされておらず、トレースをつけながらのアプローチとなるためにデュフール山頂までは(トレースされていたら2時間のところを)3時間はかかるだろうというのがテオの見立て。しかし私にとってはそうした労苦よりも標高差の方がパフォーマンスに影響大ですが、既に4500mを越えているマルゲリータ小屋と標高4634mのデュフールとの差は無視できる程度ですから、実は昨日よりも今日の方が気は楽です。

朝焼けに染まりつつ堅く締まった雪面にアイゼンとアイスアックスをしっかり利かせて斜面を下り、すぐに登り返してプンタ・ツムシュタイン。どうやら体調は問題なさそうです。

ツムシュタインの山頂で先行していたパーティーと言葉を交わしましたが、彼らはここがゴールだそうで、やはりデュフールへのトレースは期待できない模様。しかし、ここまでくればむしろ先行パーティーの力を借りずにデュフールに達する方がやり甲斐があると思えてきますし、テオが早起きにこだわっていたのもどうやらそれを狙っていたフシがあります。

そのプンタ・デュフールへは、両側がスパッと切れ落ちた雪と岩のリッジをいったん大きく下って登り返すことになります。ここから見てもスリリングですが……。

……実際に歩いてみてもスリリング。ただし雪はしっかり締まっているので、リッジの側面に両足のアイゼンの山側だけを利かせた状態でも不安なく進むことができました。

基本的にはスノーリッジの左側2mほど下を下降気味にトラバースしていきましたが、ところどころに設置されているボルトを使ってラペルダウンする場面もあれば、リッジの左を私、右をテオが進んで互いの墜落に備えたり、雪が緩い箇所ではリッジに馬乗りになってじわじわと渡る場面もありました。

この高度感!形容する言葉が出てきません。

それでも無事に最低鞍部に達し、残りが登り基調になればぐっと安全度が増してきます。

ルートの性格はそれまでのスノーリッジから岩稜に変わりますが、アルパイングレードでせいぜいIII級程度なので、カムを用いて確実に確保支点を作れば不安なく登ることが可能です。

残念!いつの間にか我々がつけたトレースを辿って後続パーティーが後ろに迫ってきており、ほぼ水平になった頂稜上の山頂直前で先後を交代せざるを得ませんでした。まぁ、こういうところは相身互いです。

枠組みだけの十字架をほとんど埋めた雪の盛り上がりがプンタ・デュフールの山頂で、ここはヨーロッパアルプスの山の中でモン・ブラン(4808m)に次いで2番目に高い場所[1]です。

我々の後にも他パーティーが続いており、狭いピークはあっという間に満員になってしまいました。ガイドとガイド、ガイドとゲスト、ゲストとゲストが互いの健闘を賞賛し合い、山頂は思いの外に賑やかです。

こちらのリッジはスイス側。左奥の目立つ山はマッターホルンです。スイス側の登山基地となるモンテ・ローザ・ヒュッテからここへ上がってくるルートは複数あり、そのうちの一つはこのリッジを上がってくるものですが、我々がわいわいと語り合ったり写真を撮ったりしている間にも一組がそちらから姿を現しました。

90度右に目を転じると、きれいな三角形のノルトエンド。モンテ・ローザ山群のいわば最果ての山ですが、顕著なクレバスをものともせずこの雪面を登る登山者たちの姿が早い段階から見えていました。

見るべきものを見たら、元来た道を帰るだけ。数組のパーティーが歩いた後なのでトレースはしっかりしており、行きに比べれば楽に・安全に歩けるはずです。

実際、プンタ・ツムシュタインからプンタ・デュフールまで往路は2時間半あまりを要しましたが、復路は1時間40分ほどでした(上の写真は他パーティーのガイドがプンタ・ツムシュタイン山頂から撮ってくれたもの)。

プンタ・ツムシュタインに登り着いたらほっと一息。ここからはロープウェイ駅まで標高差1300mもの下降が待っているとはいえ、基本的には雪の上の下り一辺倒なので気が楽です。

ところが、下り始めの頃は「ニフェッティ小屋に立ち寄ってランチをとっていこう」などとのんびりしていたテオは歩きながらiPhoneで調べて下りのロープウェイが11時45分にクローズすることを知り、これはまずいとスピードアップします。実際には11時45分がこの日の最終便というわけではなく、そこから2時間ほど間が空いて午後の便の運行が始まるようだったのですが、そうとは知らない我々はこの日のうちにシャモニーに戻るためには全力で飛ばすしかない!と悲壮な覚悟を固め、雪を蹴立てて次々に他のパーティーを抜き去っていきました。

最後は雪の状態が悪いルンゼの下降に冷や汗をかいたりしながらも、どうにか11時43分頃にインデルンの山上駅に到着。手持ちの水を飲み尽くしていたために極度の喉の渇きを覚えて私はすっかりグロッキーでしたが、下界に降り着いて装備をテオの車に放り込みテオが顔馴染みの近くのレストランに入ってビールで乾杯すると、一気に疲労が消えていくようでした。

▼この日の行程
04:55 プンタ・ニフェッティ 4554m
05:20-25 プンタ・ツムシュタイン 4563m
08:00-10 プンタ・デュフール 4634m
09:50-55 プンタ・ツムシュタイン 4563m
11:45 プンタ・インドレン 3275m
▲この3日間で歩いた行程。スイス側からでは想像できない山群の奥深さを見ることができる。

シャモニーに帰ってホテルに戻ると、この日の夕方から合流する予定だったセキネくんが既に到着していました。彼とは経費節約のために相部屋としているので、これまでの気ままな独り暮らしはこれで終了です。そのセキネくんは、私の姿を見て日焼けしているだけでなくげっそり痩せていることに驚いた様子でしたが、確かに旅の始まりからこの日までレストなし、しかも最後の3日間は高度の影響も受けつつ体力の限界に近いところで行動していましたから、今ここで体脂肪率を測ったら一桁になっていたに違いありません。

さて、テート・ルース・ベースキャンプのキャンセル可能期限であるこの日の時点での天気予報では、2日後から始まる彼とのモン・ブラン山行は問題なく決行できそう。そこであらかじめFFCAMから指定されていたように、ル・ファイエLe FayetからベルビューBellvueまでのトラムウェイのチケットをオンラインで購入することにしました。本来、モン・ブランに登るのであればニー・デーグルNid d'Aigleまで上がるべきなのになぜ途中のベルビューまでのチケットを買おうとしているのかと言うと、今年は一般向けにはトラムウェイがベルビューまでしか運行されておらず、その代わりモン・ブラン登山者向けに1日3便(ル・ファイエ発7時・11時・15時)の特別列車が用意されていて、これを利用する際は事前にベルビュー行きのラウンドトリップチケットをオンライン購入しておいた上で、乗車当日にル・ファイエの駅で山小屋予約票を提示してニー・デーグル行きチケットに変更するというややこしい手続を求められていたからです。

また、ぎりぎりのこのタイミングまでチケット購入を控えていたのはTickets cannot be changed or refunded.だからで、頻繁にトラムウェイのチケット予約サイトにアクセスしては乗りたい便(ル・ファイエ発11時)の残席を確認しながら、確実な天気予報が得られるタイミングを見計らっていたという次第です。

ところが、さあいよいよとチケット予約サイトにアクセスして私とセキネくんの属性を登録し、クレジットカード情報を入力して決済しようとしたところ、なぜかこれが通りません。何度か試行錯誤してみましたが、私のカードでもダメだしセキネくんのカードでもダメ。同じMont-Blanc Natural Resortが発行しているマルチパスの券売機では問題なく使えたクレジットカードがこの場面で使えないという事態は想定していなかったので唖然としてしまいましたが、こういうときの頼みの綱はよろず相談に乗ってくれる(はずの)観光案内所です。そこで疲労困憊している私に代わってセキネくんが外出して観光案内所へと向かい、私の方はシャワーを浴びてから部屋でぐったりしていると、やがて意気揚々とした様子でセキネくんが戻ってきました。彼の言によれば、次のような話に落ち着いたそうです。

  • まず、観光案内所は気の毒がってはくれたが本件では対応できることがないと言われた。
  • そこでホテルに戻ってフロントの上品な老マダム(日本語をまじえて元気よく挨拶してくれるマダムとは別人)に相談してみたところ、老マダムはあちこちに電話をかけて、以下の話を引き出してくれた。
    • ル・ファイエからのチケットを事前に購入する必要はないし、そもそも遠いル・ファイエまでわざわざ行く必要もない。
    • 当日バスでレ・ズーシュLes Houchesに行き、そこからロープウェイでベルビューへ上がってベルビューのトラムウェイ駅で「山小屋を予約済みである」と申告すれば、特別列車に乗せてもらえる。

えっ、そうなの?FFCAMからのメールに書かれている方法とはまるで異なる簡易な内容に私は半信半疑でしたが、親切な老マダムが請けあってくれたのだから間違いはないはず。そうであるならこの問題は解決ですが、念のため当日は十分な時間的ゆとりをもってベルビューに上がることをセキネくんと申し合わせました。

▲シャモニー、レ・ズーシュ、ル・ファイエ等の位置関係。

一難去ってまた一難。スーパーに買い物に出て帰ってきた我々を待っていたフロントの男性は、深刻な顔をして「あなた方はモン・ブランに登るつもりなのか?」と聞いてきました。そうだと答えると彼は自分の英語とスマホのGoogle翻訳(仏→日)とを併用しながら、

  • モン・ブランに登るつもりならプロフェッショナルのガイドを付けなければならない。
  • ガイドが付いていないと登山道の途中で待っているポリスが先に行かせてくれない。
  • あなた方がすべきことは、明日の朝に市内のガイド組合に行ってプロガイド帯同の要否をしっかり確認することである。

と忠告し、最後に「これはvery importantである」と厳かに付け加えました。

いや、そんな話は聞いてないけどなぁ……と思いながらも彼の親切心に丁重に礼を言って部屋に引き上げた私は、早速テオにWhatsAppで今の話の真偽を問い合わせてみました。すると、ややあって帰ってきた返事は次の通り。

At the moment there isn’t any restriction to climb Mont Blanc alone - the only rule is to have the booking in one of the huts ( Nid d’Aigle - Tete Rousse or Gouter ) - and you have no problem to climb Mont Blanc with your friend.

これでモン・ブラン登山に向けた障害はすべてなくなり、山行の成否を左右するものは当日の天候と自分たちの力量だけということになりました。

脚注

  1. ^The International Climbing and Mountaineering Federation(UIAA)が公表しているヨーロッパアルプスの4000m峰82座のリストではMont Blanc de Courmayeur(4748m)を独立したピークとして扱っており、Dufourspitzeは3位とされている。