帰国

2023/06/30

今日は帰国の日。モン・ブラン弾丸登山を成功させたセキネくんは午前10時台のバスでひと足先に帰国の途につくことになっており、一方、私の方は夕方に迎えがくることになっています。

このホテルでの朝食もこれが最後かと思うとちょっとしみじみ。それにしてもとことん動物性タンパク質に偏ったメニューでしたが、最後まで健康を維持できた自分の身体をほめてやりたいと思います。ところで、セキネくんは往路の機中でモーリス・エルゾーグの『処女峰アンナプルナ』を読んできたということだったので、それなら朝食を終えてからバスが来るまでの2時間ほどを使ってシャモニーの鉄道駅の向こう側にある墓地へエルゾーグの墓参りに行こうという話になりました。

パルマとソシュールの銅像が見上げるモン・ブランは今日はすっかり雲の中。我々は本当に幸運でした。

フランス国鉄駅近くのグスタヴィアホテルは、2014年に初めてシャモニーを訪れたときに滞在したホテル。ここから自分のシャモニー通いが始まったのかと思うと感無量です。

国鉄の線路を陸橋でまたぎ、さらにモンタンヴェール登山鉄道のレールを踏切で越えてすぐのところにあるのが目指す墓地です。私はこれが三度目ですが、セキネくんは初めての訪問です。

墓地の入口を入るといきなりそこにエルゾーグとウィンパー(マッターホルン初登者)の墓が建っていることにセキネくんは驚いていましたが、持参した『処女峰アンナプルナ』と共に記念撮影。さらにこれらの近くにあるリオネル・テレイの墓や奥まった位置にあるガストン・レビュファの墓にもそれぞれ詣でて、仏教式の合掌で冥福を祈りました。さらに見て回ると『処女峰アンナプルナ』の日本語訳者である近藤等氏を初めとしてシャモニーに所縁のある日本人を祀った墓碑もあれば、モン・ブラン山群で登山中に亡くなった各国のクライマーを葬った一角もあっていずれも興味深く、いくら散策しても見飽きるということがありません。

ことに後者の一角の中ではエギュイ・ノワール・ド・プトレイで亡くなった韓国人クライマーの墓を見つけて心の中で手を合わせたのですが、そろそろ帰ろうとしたときに墓地に入ってきてそちらの方に向かう東洋人の一団が目に留まり、その先頭を行く男性の姿にピンときて後を追いかけて声を掛けたところ、やはり彼はこの冬に土旺城瀑布のクライミングでお世話になったJeon Yonghak氏でした。握手を交わして話したところでは、彼はこの後7月中旬までシャモニー滞在。一方の私は今日で旅の終わり。互いの今後の山での安全と幸運を祈りあって別れました。

さようなら、シャモニーに骨を埋めた幸福な皆さん。

その後、町中で土産物を買いながらホテルに戻り、セキネくんを見送ってからロビーで時間をつぶし、最後に長年お世話になってきたフロントのマダムにこれが最後のシャモニー訪問になるであろうことを話して心からの御礼を述べると、強く降り出した雨の中をやって来たバスに乗って私もジュネーヴ空港へ向かいました。

この日、ジュネーヴ空港は職員がストライキを行っており欠航便が続出している状況で、エミレーツ航空のカウンター周辺にも驚くほどの長蛇の列ができていたためにこれを見て気が遠くなりかけましたが、実は皆が大荷物をカートに乗せて並んでいるので長く見えるだけで、1人捌けると一気に2m進むといった具合に順調に待ち行列が捌け、無事に予定の帰国便に搭乗することができました。

ジュネーヴからドバイまではなるべく睡眠をとるようにし、一方ドバイから羽田までの間は映画鑑賞に時間を使いました。今まで観ておらず今回初めて観た映画は『The Last Mountain』(2021年)、再鑑賞となったのは『The Alpinst』(同)。前者はナンガ・パルバットで亡くなったTom Ballard(及びその24年前にK2で亡くなった彼の母親Alison Hargreaves)を、後者はアラスカで亡くなったMarc-André Leclercを追悼する内容のドキュメンタリーですが、その悲しい内容もさることながら、両者の共通点として人間は死んでしまうと「He」ではなく「His body」と呼ばれることになるのだなと妙なところに反応してしまいました。自分は、少なくとも山では絶対にそういう風に呼び方を変えられるような目には遭わないつもりでいますが。

かくして2週間の旅行を終え、16時間強の空の旅を経て深夜の東京に帰ってきました。連日のアクティビティでせっかく削ぎ落としたはずの体脂肪も、長い帰路の中でいただいたエミレーツ航空のおいしい機内食のおかげで元通りになったような気がするのが残念なところ。ともあれ、しばらくの間は時差ぼけを治しながら旅の記録を整理し、そしてその先に今度はどのような目標を設定するかを、時間をおいて考えてみようと思っています。

参考情報

セキネくんの装備と準備

セキネくんの旅程は、現地での高度順化と時差ボケ解消のための一日を必須と考えると予備日ゼロの超弾丸。モン・ブラン登山に限っては山小屋の予約が必須なので仮に予備日があってもそれを生かすことはできないのですが、それにしてももしこの短い滞在期間中に雨に降られていたら悲しいことになっていたことでしょう。これは彼の仕事や家庭責任との兼ね合いからやむなくそうなったものですが、この究極のワンチャンスを確実に生かすために彼が行った装備と準備の工夫はこれからモン・ブランを登ろうとする人にとって大いに参考になると思いますので、SNSに投稿されたセキネくんのノウハウを彼の了承を得て以下に紹介します。

【レイヤリング】

モンブランで着用したウエア類は全てモンベル。どなたでも容易に揃えられると思います。

▲上半身はこれら。 左から①ジオラインLW、②EXライトウインドパーカ、③サイクライムジャケットサーモ、④ULサーマラップジャケット、⑤ダイナアクションパーカ、⑥スペリオダウンパーカ。
▲下半身。 左から⑦アルパインソックス、⑧クロスランナーパンツ、⑨アルパインパンツ。

歩き始めるニーデーグル駅は標高2372m、そこから山頂まで2500mほど高度を上げる事になるので、標高差だけを考慮すると15℃程度の差。そこに天候、氷河、風などの要素が加わるのでかなりの温度差を体感する事になります。なので今回レイヤリングに関しては熟考し、結果、快適に歩く事が出来ました。

5000m近い山なので最初はアンダーは中厚手?とか思ってたんですが、完全に薄手が正解でした。基本暑いです。そこに②で微調整するととても良い感じ。あとテートルース小屋までは⑨は履かず、⑧だけで歩いたんですがとても快適でした。人によっては下半身のミドルレイヤーはハーフパンツという選択肢も有りかも知れません。一緒に登った相方はミドルレイヤー無しでアルパインパンツ1枚で最初から最後まで通していました。

【トレーニング】

ここ2年ほど、育児でまとまった時間を取る事が出来ず、大きい山に行くようなトレーニングはほとんど出来ませんでした。体力不足での途中敗退は絶対に避けたかったので隙間時間で出来るだけ近所の山に出かけましたが、体力の向上には少し効率が悪い気がしていました。そこで取り組み始めたのが『HIIT(短時間高強度インターバルトレーニング)』です。書籍やyoutubeで色々な方法が紹介されていますが、僕は「バーピー20秒+休憩10秒を8セット、計4分」を出勤前や隙間時間に実践しました。これはかなり効果を実感できました。特に心肺機能の向上(というか維持?)にはかなり効果がありました。たまの山行でも特に衰えは感じず歩く事が出来ました。

技術的な面(高度なクライミング技術だけでなく、ガレ歩きなど登山特有の歩行など)はやはり山に行く必要性を感じましたが、体力的な面だけであればHIITだけでもかなりカバーできる感覚がありました。忙しいクライマーの方々にお勧めです。頻度としては1週間毎日やる時もあれば、週3回ほどの時もあり、ここ半年は平均して週4回ほどは実践していたと思います。1日に2、3回やる日もありました。

私はと言えばレイヤリングもトレーニングも「なりゆき任せ」だったような気がしますが、セキネくんがこのように緻密な検討と周到な準備をしていたことを帰国後に知り、反省させられました。実際のところ、アタックに際し疲労がたまっていたために登高の途中で何度か私の足が止まる場面があり、そのため予定よりも時間がかかって登頂時にガスに巻かれることになってしまったのがなんとも申し訳なかったのですが、それでも登り切れたことで最低限の責任は果たせたかなと思う今日この頃……。

なお、我々の登頂の一月半後にこういう装備でモン・ブランに登頂した人もいました。つくづく世間は広いものだなと思いますし、セキネくんもモンブランでのレイヤリングでドヤってすみませんでした!ビジネススーツでも大丈夫でした!と脱帽していましたが、ある意味エクストリームなこのレイヤリングを万人にお勧めしようとは思えません(笑)。