カティナッチョ「Steger」

2022/08/03

今日はルート自体が長い上に、下山後に翌日のチマ・グランデ登攀に向けて東ドロミテへ移動しなければならないので、5時半朝食・6時出発となりました。

カティナッチョCatinaccio(ドイツ語名「ローゼンガルテンRosengarten」)はドロミテ西部の代表的な山岳グループの総称であり、その最高峰はカティナッチョ・ダンテルモイアCatinaccio d'Antermoia(標高3002m)ですが、今日登るのは標高こそ3000mに満たないものの山群の主峰と言えるチマ・カティナッチョCima Catinaccioの東フェースの中央を直上するラインです。

これがカティナッチョ・グループの全体像。明後日に登ることになったトーリ・デル・ヴァヨレットTorri del Vajoletもこの中に含まれます。これだけでも相当な広さですが、ドロミテ全体で見ればほんの一部に過ぎません。

車を駐めた場所からルートの取付きまではさして標高差のない1時間ほどの歩きですが、やはり高度の影響があるのか息が切れて足が捗りません。それでも朝日が岩壁を徐々に上から下へと照らしていく変化を見上げながら歩き続けて、最後に踏み跡を離れて岩壁の足元に進みました。

見上げる岩壁のこの迫力!ルートは顕著なチムニーに入って高距600mの山頂のわずかに右肩を目指すものですが、本当にこれを登り切れるのだろうか?と威圧感を覚えます。ロープの方も、下降時の懸垂下降を念頭に置いてのダブルロープです。

20ピッチものルートなので各ピッチについてこまごまと解説する必要はないだろうと思いますが、とにかく最初からやられました。出だしの右上ランペ(II級)は足慣らしのようなものですが、続くルンゼ状と言っていいほど広いチムニーがIV+、ついでV、VI-とどんどん難易度と高さを上げていきます。

▲前夜確認した『The Dolomites Rock Climbs and Via Ferrata』によるピッチグレードはII→IV+→V→VI-→V→IV-→IV+→IV+→V→IV+→IV→IV→V+→IV→IV→V→V+→III→II→II→I。

しかもIV+のピッチを登った時点で既に「これ、本当にIV+か?」とそのグレーディングの辛さに震撼していたのですから、その後のピッチの苦労は推して知るべし。なんとかこらえていたのは最初の内だけで、途中からぶら下がってムーブを探したり、上からひっぱり上げてもらったりするようになっていきました。

厳しさを感じていたのはテオも同様で、彼は途中で一度フォールを喫したのですが、後で「トポにはIV+とあるが、あそこは6bはあったぞ」と言っていました。

そんなグレードの辛さとどこまで行っても終わらないルートの長さが自分のゆとりを失わせていたのでしょう。とあるピッチで回収していたギア類を、普段ならハーネスのギアラックにクリップするところをたまたま肩に掛けていたスリングにクリップしながら登ったところ、その最後で行き詰まって引きずり上げられるところでスリングが切れたか結び目がほどけたかしたために、カムやカラビナを含む複数のギアを私が喪失してしまうというアクシデントも発生しました。

ルートはチムニーを単調に登るだけというシンプルなものではなく、途中から右のフェースに出て隣のチムニーに移ったり、逆に左にトラバースして登路を探したりとルートファインディングが一筋縄ではありません。

しかもドロミテらしく残置ピンがそれほど豊富ではないので、果たして自分たちが向かっている方向が正しいのか、それともその先にトラップが待っているのかわからないという緊張感を強いられながらの右往左往になりました。ただ、幸いなことに我々の後ろから快速の二人組パーティーが追いつき、彼らの助言も得られたことでどうにか軌道修正しながら正しいラインを辿ることができたようです。しかし、終盤になると疲労の蓄積のせいか、左手の親指や右手の中指・薬指が攣り始めました。ギアのクリップなどでこれらの指を曲げると曲がったまま元に戻らず、反対の手で無理やり指を伸ばすことの繰り返し。これは初めての経験です。

このようにして永遠に続くかと思われたマルチピッチも7時間の苦闘の末にようやく稜線に出て終了し、そこから山頂まではIII〜II級の歩きが残っているだけでした。

途中で追い越していった2人組は既に下山にかかっており、我々が十字架の立つ山頂に着いた15時過ぎには誰もいませんでした。

山頂からの展望はある種荒涼としたものですが、スタイルはともあれ予定したルートをトップアウトして山頂を踏めたことにほっと一息。

下山ルートは頂稜を際どいクライムダウンも交えつつそのまま進み、やがて眼下に真新しい作りのRifugio Passo Santnerを見下ろすギャップから懸垂下降を重ねるものとなりました。

その下降の途中でトラバースするためにロープを操作していたとき、右手の親指を鋭利な刃物のような岩角にぶつけてしまいました。幸い傷口自体はさほど大きなものではありませんでしたが、出血が意外に多く周辺の岩や自分の白いリュックサックを赤く染めてしまいます。もちろんテオはこういうときのためにリュックサックの中にファーストエイドキットを入れており、すぐに消毒とテーピングの応急措置を施してくれました。

後は踏み跡を辿って右手のCima CatinaccioやPunta Emma、左手のTorri del Vajoletを見上げながらの下りとなります。やれやれ、疲れた。その「疲れ」は肉体的なものばかりではなく、V級以上のピッチでほとんど歯が立たなかったという技術的な徒労感によるものでもあったようです。

18時頃に宿に戻った我々は手早くシャワーを浴び、翌日の登攀の準備(と言ってもダブルロープがシングルロープに変わるくらい)をしてただちに出発しました。思い切り早出をすればカンピテッロ・ディ・ファッサからチマ・グランデを含むトレ・チーメまで通えないこともないのですが、テオとしては混雑が予想されるチマ・グランデ登攀の成功の鍵は先頭に立つことだと考えたようで、トレ・チーメの足元にあたるミズリーナ湖畔に別にホテルをとってこの日の夜はそこで過ごすことにしたのでした。

テオの運転する車はカナツェーイCanazeiの町で右折し、氷河崩落により11人が死亡する事故が発生したばかり(7月3日)のドロミテ最高峰のマルモラーダMarmolada(標高3343m)をフェダイア湖越しに見上げ、行く手には高距1000mの困難なマルチピッチルートがあるという意味不明なチベッタ山Monte Civetta(標高3220m)を見やりながら東を目指します。

SP638を走った車が越えた最高所がジアウ峠Passo Giau(標高2236m)で、草原に覆われた峠の彼方に夕日に照らされた東ドロミテの雄大な山岳風景を堪能することができました。その後、著名なリゾート地であり中世以来の歴史を持つ町でもあるコルティーナ・ダンペッツォCortina d'Ampezzoを経てミズリーナ湖畔に達しました。

空は明るいものの時刻は既に21時近く。宿泊先に赴く前に郊外の田舎家風レストランという趣の「Malga Misurina」で夕食をとることになりましたが、このレストランは雰囲気といい料理といい素晴らしいところでした。値段もほぼほぼリーズナブル(2人でしっかり食べて飲んで€70未満)でしたから、この辺りに再び来る機会があれば是非とも再訪問したいところです。

それにしても不思議なのは、イタリアでは飲酒運転に対する規制は存在しないのか?という素朴な疑問です。テオが注文したのはデキャンタでの白ワインで、食後には別にリキュールを試していましたから日本なら一発アウトとなるところですが、なんらそうした心配をするそぶりが見られません。イタリア人にとってワインは水のようなものだからいいのだろうか……と少々悩みながら、それでも豊かな夕食のおかげで満ち足りた気分になった我々はミズリーナ湖の近くのHotel Miralagoに投宿し、翌朝に備えて早々に就寝しました。

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▲今回のドロミテ旅行での各ピークの位置。西のカンピテッロ・ディ・ファッサを起点に登ったプンタ・デッレ・チンク・ディータ(8月2日)とトーレ・デラーゴ(5日)は地図中の「Sasso Lungo」の位置、カティナッチョ(3日)は「Rosengartenspitze」のイタリア名、Misurinaに宿をとって登ったチマ・グランデ(4日)は東にあって、両者の間には峠越えで2時間以上の距離がある。なお東西ドロミテの中心的な町と言えば、西はカナツェーイ、東はコルティーナ・ダンペッツォということになるだろう。