C3〜アマ・ダブラム登頂〜C1

2024/10/29

△02:45 C3 → △07:50-08:10 アマ・ダブラム → △09:50-10:50 C3 → △12:50 C2 → △15:50 C1

前夜21時すぎから強い風がテントを叩く音がしていましたが、予定どおり午前2時にパルス・オキシメーターを指にはめました。Sp02は72%とまずまず良好。温かい飲み物だけを飲んで2時半すぎにテントの外に出ました。

02:46

我々の前には早くも行動を起こしている先行パーティーのヘッドランプが動いています。我々もC3のすぐ近くから山頂まで続くフィックスロープに、最初はランヤード、傾斜が強くなったらアッセンダーをセットして、一歩一歩進みました。夜半の強風はなかばおさまっていて登攀の妨げにはなりませんでしたが、やはり空気の薄さがこたえて足を出すだけでも苦労し、たびたびアッセンダーに体重を預けて荒い息をつくことになりました。

04:40

強い呼気で肺の中の空気を全部出し、返す刀で肺にできる限り多くの酸素を取り込み、さらに凍らないよう胸に入れたハイドレーションの水を5分おきに吸うことを心掛けながら、ひたすら雪壁登りを続けること2時間……とは言っても時間の感覚はほとんどなく、しかも登っている時間と足を止めて肩で息をしている時間のどちらが長いかもわかりません。ピッケルも手にしてはいますが、この角度では杖代わりとはならず、ダガーポジションでバランスをとるために用いることになります。そしてこのピッケルやアッセンダーを握る手が冷たくなるので、時折手を離して指を動かし凍傷を防ぐことにも努めました。

04:47

やがて、傾斜がきつく狭いクーロワール状の場所に入りました。雪が十分に締まっているので片手のピッケルをアイスクライミングのごとくにピオレトラクションで使うと高さを効率よく稼ぐことができましたが、ここでも昨日のグレークーロワールのように先行パーティーがかたまってスタックしており、彼らをかわして先に進ませてもらうことになりました。

05:30

地平線が徐々に明るくなってきました。相変わらず息は上がっているのに足は上がらず牛歩の登りにしかなりませんが、頭痛やめまいといった高山病の症状が感じられないのは幸いです。

05:44

この上なく美しい夜明け。右寄り手前に見えている鋭峰は未踏峰マランプランMalanphulang(6573m)です。

05:45

周囲は急速に明るくなってきましたが、山頂はまだまだ遠そうです。この辺りで我々の先頭を行くチリンは長いスリングの先にカラビナを付け、私のアッセンダーに連結して私を引くようになりました。もちろん私よりも体重が軽いチリンが私の身体を引っ張り上げられるわけではありませんが、足を上げようとしてもなかなか上がらない私の身体に加わる彼の力強いひと引きひと引きが前進を続ける力になったことは疑いようがありません。

06:59

まだかなり上の方ではあるものの、山頂稜線らしきものが視界に入ってきました。赤いウェアのチリンの前にいる緑のガイドは、すっかりへばったブルーの西洋人ゲストをあの手この手で鼓舞して登らせようとしていましたが、さすがにここでは脇によけて道を譲ってくれました。がんばれ西洋人!

07:43

やった!あれが山頂です。しかし、この位置から前方に立つ先行の二人のところに達するまででも、たっぷり5分はかかりました。

07:51

登頂。優斗と肩を組んで撮った記念写真の背後にはエベレストが顔を出しています。この山行は私をゲスト、優斗とチリンをガイドとする商業山行ではありますが、優斗自身もアマ・ダブラムに惚れ込んでの登攀だったので、敗退することなく彼と共にこのピークに立つことができて本当によかったと思いました。

下界から見上げて憧れ続けたあのアマ・ダブラムの頂上にこうして立っているという事実を受け止めることがなかなかできませんでしたが、四囲の山々の位置関係はここが紛れもなくアマ・ダブラムの最高所であることを証言してくれています。

奥の三角形はエベレスト(8849m)、その右がローツェ(8516m)。

右に目を転じると、ディンボチェの背後の尾根からもすっきりした姿が見えていたマカルー(8463m)。そのはるか右奥はカンチェンジュンガ(8586m)。

振り返ると左からカンテガ(6782m)、タムセルク(6608m)、そして奥にはコンデ・リ(6182m)。眼下の谷はトレッキングを続けてきたエベレスト街道の一部(クンデとクムジュンからパンボチェにかけて)です。

中央の白い大きな山はチョ・オユー(8201m)、右端の尖った山はプモ・リ(7161m)、両者の間の高い山はギャチュンカン(7952m)。地図で見る限りはチョ・オユーの左のはるか彼方にシシャパンマ(8027m)が見えていてもおかしくありませんが、私の目では同定できません。そして左下の白い山頂部が目立つ山はタボチェ(6495m[1])、その右隣がチョラツェ(6440m)ですが、BCから何度も見上げてそのたびに励まされてきたタボチェがこうして自分のいる場所よりもずっと下に見えていることに気づいたとき、やっと自分が6812mの高みにいることを実感として認識することができました。

08:14

山頂にいる者同士で何枚も記念写真を撮り合ってからようやく下山にかかったところ、途中で抜かした西洋人が上がってきました。相変わらず消耗し切った様子でなかなか進めない彼の後ろには根気強く彼を導き続けたガイドと辛抱強くその後に続いた後続パーティーがいて、私が山頂はすぐそこだ!と声を掛けると涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃに凍らせた彼は「ウオー!」と獣のような叫び声をあげ、そして命の残りを絞り出すように緩慢な動作で一歩ずつ足を前に出しました。

09:25

山頂からの下降は基本的に懸垂下降、傾斜が緩ければフィックスロープにランヤードを掛けての歩きとなります。私の下降器はエイト環ですが、チリンはランヤードのヴェルティゴにロープを半マストで手早くセットしてぐんぐん下って行きます。

それでもさすがに登りで5時間かかったところをすいすいと短時間で下るというわけにはいかず、山頂から2時間弱を要してC3に戻り着きました。ここで高所用ダウンスーツを脱ぎ、テント内にデポしてあったシュラフとマットも回収したら、さらにC1を目指して下降を続けることになります(登りのときと同様に私のダウンスーツとシュラフはチリンに担いでもらっています)。

10:52

C3を去る前に、一気に下ってきたアマ・ダブラムの雪の斜面をまるで信じられないものを見るような目で見上げてから、昨日の登路を逆に辿りました。

おそらくチリンと優斗だけならもっとスピーディーに(BCまででも)下れたでしょうが、疲労困憊して少々危なっかしい私を安全に下ろすために懸垂下降を多用した結果、やはりどうがんばってもこの日はC1までしか届きそうにないペースでの下降となってしまいました。

12:40

これはアマ・ダブラム名物、際どいリッジ上のC2を山側から眺めた構図です。誰が最初にこんなところにテントを張ろうと思ったのかと呆れるしかありませんが、せっかくならここに泊まってみたかったという気もしないでもありません。

なお、AG社では2017年にアマ・ダブラムに日本隊を送り込んでおり、そのときはBC→C1泊→C2泊→C3泊と一歩ずつ足を進めて4日目に近藤さんプラス隊員4名中3名(その中には2018年のエベレスト隊に参加していた泡爺と沙織さんが含まれ、チェパも同行しています)の登頂を果たしたそうです。実はAG社から出発前に送られてきていた今回の山行の行程表でもこの進め方が踏襲されていたのですが、このプランではC1以上の高度に滞在する日数が1日長いことの影響を免れないので、高所の影響が食欲不振というかたちで現れていた私がそれで頂上アタックまでスタミナを維持できたかと問われると自信がありません。

13:46

C2でアイゼンを外した後のイエロータワーの垂壁も下りなら簡単。その後の腕力トラバースもどうにかそつなくこなして、それでもいつまでも続くトラバースや懸垂下降にうんざりした頃にC1に帰り着きました。

15:10

しかし、実はこれで一安心というわけにはいかず、テントに戻ってから出された夕食のラーメン(ラ王)を一口食べたとたんに強い嘔吐感に襲われて、そのままテントの外へ胃の中のものを全部出してしまいました。もっともほとんど食べていないので口から出たものはわずかでしたが、テントの外の冷たい空気の中に顔を出し、うずくまって嘔吐感が治まるのを待った後は、すっきりして横になることができました。こうしてみると、どうやら私の緊箍児[2]は頭ではなく胃に巻かれていたようです。

脚注

  1. ^タボチェの標高は、参照する資料によって「6367m」「6495m」「6501m」「6542m」などとひどく大きな揺らぎがある。ここでは英語版Wikipedia(2024/11/20閲覧)に記載されている標高を採用したが、他の山も含め、今後標高が訂正されることは十分にあり得ると思われる。
  2. ^『西遊記』において、三蔵法師の手によって孫悟空の頭にはめられた輪っか。三蔵法師が「緊箍呪」という呪文を唱えることで輪が収縮し、孫悟空は頭を締めつけられる。ここにこの単語が出てきた理由は〔こちら〕を参照。
  • Hatena::Bookmark