バガン - マンダレー - ミングォン

2010/01/01

2010年の元旦。暗いうちに起床して、初日の出を見るべくホテルを出ました。徒歩で向かったのは、バガンの日の出ビューポイント、ミニェィンゴン(Mi Nyein Gone)・パヤーです。建物の中は真っ暗なために階段を登るのに一苦労しましたが、テラスに出てみると地平線は明るく、その手前の寺院群の電飾の明かりがきれいです。よく見ると、こうして日の出を見ようと待機しているのは東洋人ばかり。西洋人には、旭日を拝む習慣はないのでしょうか?

待つこと30分、オレンジ色の太陽がシュエサンドー・パヤーの右奥の山の端から顔を出しました。完璧と言ってよい日の出の光景、今年もいい年になりますように。やがて力強さを増した日の光の中を気球が飛び始め、物売りがテラスに現れる頃に仏塔を下りて、ホテルに向かいました。

そして、ホテルに隣接して建つゴドーパリィン寺院で、初詣を行いました。ここはバガンで2番目に高い寺院で、本体の白壁と屋根のトゲトゲ(←何と呼ぶのだろう?)が均整のとれた意匠になっている美しい建物です。ここで今年最初のお布施をして、床にべたっと座り静かに頭を垂れました。

朝食をいつものガーデンレストランでとった後、8時15分にホテルを出て、空港へ。朝から夜まで嫌な顔一つせず働いてくれた矢沢永吉似のドライバーとは、ここでお別れです。ありがとう!バガンの空港の金属探知機はなぜかほぼ全員がひっかかっていて、空港係員はコニチワーとか言いながらささっとボディチェックして終わり。あの金属探知機にはどういう意味が?

10時にマンダレー空港に降り立ち、ひまわり畑や乾いた灌木林の中の道を車で走って、やがてマンダレー市内に入りました。さすがにマンダレーの市街地の広がりは大きなもので、幹線道路を進むうちに徐々に人口密度が上がってくるのがはっきりとわかります。コンバウン朝の最後の王都であるマンダレーは、現在はミャンマー北方でとれる翡翠の交易を目的とした中国人が多く住んでいる(中国には翡翠は産出しない)そうで、またバイクや自転車が多いことでも有名だそうです。実際、市街の中心部に入るともの凄い数のバイクがいて、信号があまり生きていないのでお互いに交通整理し合いながら縦横無尽に走り回っていました。

かくして11時すぎにゴージャスなMandalay City Hotelに到着しましたが、マーマーさんも私も少しアクティブに動き過ぎなので、王宮内の見物はパスしてホテルの部屋で1時間半ほど休憩をとってから活動を再開しました。今回の旅では、この日と翌日の2日間をマンダレー及びその近郊の観光に当てることにしています。最初のミャンマーへの旅のときにお腹をこわしてダウンしてしまったので、そのリベンジというわけです。まずは、王宮の濠沿いに車を走らせてマンダレーヒルの麓にあるクドードォ・パヤーへ向かいました。

ここのポイントは、境内にずらりと並んだ白い小仏塔群の中に納められた仏典の石版です。王都マンダレーを建設したミンドン王が、第5回仏典結集によって整理された経典を大理石に刻んで永遠に残すことを企図したもので、パーリ語で書かれた経典が彫られた729枚の石版と、この寺と石版経典が造られることになった経緯が記された1枚の石版が小仏塔の一つ一つに納められています。そして寺院の中心にはバガンのシュエズィーゴォン・パヤーを模した仏塔があり、その仏塔の高いところからも、周囲の小仏塔からも、風に吹かれて風鈴がきゃらきゃらと涼やかな音をたてていました。

続いて訪ねたのはシュエナンドー僧院です。ここは以前来たことがありますが、何しろそのときは下○で息も絶え絶えだったので、今回落ち着いて見ることができて幸いです。

この建物は、かつて王宮の中にありミンドン王が夫人とともに過ごしたところだそうですが、その後王宮の外に移築されて僧院となったものです。木造の建物は極めて精緻な彫刻に覆われており、よく見るとところどころに金箔が残っていました。まさに、建物全体が一つの芸術作品と言える素晴らしさです。

先ほどのクドードォ・パヤーもさることながら、この建物を含む王宮の建設には莫大な労力を要したことでしょうから、ミンドン王時代のコンバウン朝がどれだけ財力に恵まれていたかが窺えます。しかし、ミンドン王がマンダレーの建設を開始した1857年には、第2次英緬戦争で下ビルマはイギリス軍に占領されており、軍事的・外交的な緊張の下にあったはずですが……。

この日のマンダレー市内の見物はこれくらいにして、エーヤーワディー川を10kmほど遡ったミングォンに向かいます。ミングォンは王都ではありませんが、世界最大の仏塔を目指して建設され、その途中で放棄されたというミングォン・パヤーがあります。そこまで陸路で行くのは不便なために、王宮をはさんで反対側にある船着き場まで車で向かうのですが、マンダレー市内を走るドライバーには、四方から押し寄せてくるバイク、自転車、屋台、人、犬をかき分けて進む高度なドライビングテクニックが要求されることを実感しました。私には、とてもこの町で車を運転する勇気がありませんが、マーマーさんによれば、ここでは事故を起こすと両方とも刑務所行きになるので微妙に譲り合いの精神が働いて、不思議と交通事故は少ないのだそうです。

船着き場で待っていたのは予想外に立派な船で、マーマーさんと私が乗ってデッキチェアに落ち着くとおもむろに動き始めました。貸し切りってこと?と驚きましたが、緩やかに流れるエーヤーワディー川の川面をそこそこのスピードで上流へ向かう船のデッキは気持ちの良い風が通って極めて快適です。右手の遠くにマンダレーヒルが見えていて、あれは明日の午後に行く予定。そして前方の右岸に見えている巨大な立方体がミングォン・パヤーです。

砂浜の船着き場には2頭立ての牛車が待っていて、その荷台の幌には「TAXI」と書かれています。あえてこれを使わなくてもいいのですがどうします?とマーマーさんから問われ、モノは試しと利用することにしました。しかし、これは失敗でした。子供や犬が走り回っている舗装道路の脇に牛車用の轍があってそこを自称TAXIは進むのですが、狭い荷台でがたがた揺られるのはしんどいものがあり、おまけにスピードも歩くより遅いのです。

まずは、ミングォンの一番上流側にあるシンピューメェに入りました。19世紀前半のバヂードー王が即位前に産後の肥立ちが悪く亡くなった夫人のために立てたという仏塔で、須弥山の山頂に建つスラマニ・パヤーを模したという白亜の仏塔は7段の回廊がうねうねと囲む特徴的な姿です。階段を登って最上段まで登ると、遠くにマンダレーヒル、そして近くは南(下流)にミングォン・パヤーの立方体が樹木の上にぐいと聳えていました。

ついで、養老院に立ち寄りました。こちらはヤンゴンでキリスト教の養老院を見た資産家のト・ウゾンがこれにならって1805年に建てたもので、今は寄付で運営されているそうです。中には70歳以上のお年寄りが70人ほど生活しており、男女は別棟。広い部屋の中に十分な間隔をとったベッドとキャビネットが並んでいましたが、お年寄りたちは皆さん屈託のなさそうな表情で、マーマーさんの問い掛けにも気さくに応じてくれていました。

養老院の向かいにあるのがミングォンの鐘で、これはミングォン・パヤーに納めるために鋳造されたものだそうですが、結局ミングォン・パヤーが未完成に終わったためにこちらのお堂に納められています。重量は90トンあるそうで、近づいてみるとかなりの威圧感を感じました。そしてここでは地元の少年(推定10歳)が私設係員を務めていて、撞木はどこを持て、鐘はここを撞けといろいろ指導してくれました。この子は、将来はいいガイドになるlことでしょう。

さて、いよいよミングォン・パヤーです。18世紀末から19世紀にかけて在位したボードーパヤー王が世界最大の仏塔を造ろうと建設にかかったものの、王の死によって未完に終わったもの。土台は一辺72mの正方形で、完成していれば高さ150mの仏塔になったはずだというのですが、それはアーナンダ寺院の高さのちょうど3倍です。建築技術もずいぶん進んだ時代の建立ではありますが、果たして強度的に可能であったかどうか、素朴な疑問も湧いてきます。

ミングォン・パヤーは未完成のまま放置された後、1839年に大地震で部分的に崩れてしまっており、その崩れた角のところに現在は階段が設置されていて、容易に上に登ることができます。マーマーさんは下で留守番、私は3USドルを払って一人で階段を登ることにしました。すると階段の途中に地元の少年たちが待ち構えて、頼みもしないのにガイドよろしく案内を始めました。参ったな、とは思いましたが、仕方なく彼らの後について階段を登ると、ところどころ足元の悪いところもあったりして確かにちょっと危険ではあります。

薄い煉瓦が敷き詰められた頂上のテラスは部分的に草茫々となっており、またひびが入っているところもありますが、ミングォンで最も高い建造物であるだけに広闊な眺めが得られました。北側にはミングォンの建物群が連なっており、また、東側のエーヤーワディー川に面したところには煉瓦のかたまりのようなものが二つ並んでいます。これは崩れたライオン像で、おそらくミングォン・パヤーが完成したあかつきには、人々は川岸からこの二つのライオン像の間を通ってパヤーに達することになっていたのでしょう。そしてそのライオン像の向こうには、夕もやにうっすら覆われたマンダレーヒルも見えていました。

日が傾きかけているので慌ただしく屋上から下りましたが、結局少年たちには1人1,000Kを支払うことになりました。恐るべし、ミングォン・ボーイズ。言い値で払ったのはまずかったかな?しかし価格交渉するゆとりがなかったのは、川を下る船の上から夕日を見たかったから。おかげで、かろうじて美しい夕景を眺めることができました。

ホテルへ戻る途中で夕食をとるために入ったのが「Golden Duck」というきれいな中華料理店です。マンダレービールと共においしくいただきましたが、1皿3,000〜5,000Kなのに凄い量。

2人でさんざん食べて17,400Kというのが、2010年最初のディナーのお値段でした。