バガン III

2009/12/31 (3)

しばしの休憩の後、今度はバガンで最も美しいと言われるアーナンダ寺院へ向かいました。タラバー門を抜けるといきなり屋台が並んで凄い人出で、これが年に1度のアーナンダ寺院の祭りの賑わいです。

祭り見物は後に回して、まずは寺院の中へ。北の門から入り、お供えの花500Kを購入しました。ここも過去仏を含む4体の仏像が中に安置されていますが、北と南はオリジナル、西はモンゴルに持っていかれ、東はロウソクの火で焼けて造り直したもの。遠くから拝む大衆には慈愛のこもった顔で、近くから拝む王族には厳めしい表情で見下ろすように造られています。

地元の子供たちがキャーキャー言いながら4体の仏像を拝んで回っており、こちらもオリジナルの仏様には座して三拝しました。三拝は仏法僧の三宝のために、五拝はさらに両親と先生のためにということだそうですが、最初のうちはあれこれと御利益を願っていたのに、だんだん何も考えず、願わず、自然に頭が下がるようになってくるから不思議です。

仏像が置かれる4面をつなぐ回廊には、漆喰の下のオリジナルの細かい意匠の壁画を見られるところもあってなかなかに興味深いのですが、それよりも回廊の壁に穿たれたたくさんの壁龕の中の立体ジャタカに目を奪われました。手が届く高さの壁龕には格子がはめこまれていてジャタカに触れることができないようになっているのですが、その豊満な肉体表現の迫力は尋常ではなく、立体的で写実性に富んだ表現にはガンダーラ的な要素が感じられました。

さらに、寺院近くのアーナンダ・オーチャウン(元僧院)にも入りました。ここは18世紀のもので、アーナンダ寺院そのものに比べるとそれほど古くはありませんが、それだけに壁画の色彩の鮮やかさには目を見張ります。朱・緑・白・黒といった色で描かれた鳥(♂ケイナーヤー、♀ケイナージー)、花、コンバウン朝の宮廷風景(なぜか女性が裸……)、音楽、戦争、幾何学模様。撮影禁止なので写真が撮れなかったのが残念です。

さてさて、いよいよ2009年最後の夕日を見るためにサンセット名所のシュエサンドー・パヤーに登ります。日没の40分前に着きましたが、当然のごとく既に観光客が鈴なりでした。

急な階段を登って最上階を回ると、東側のバガン平原の広がりの中に夕方の気球が浮かんでいるのも見えました。そのままぐるりと西側に回り込んで、夕日を眺める場所を確保するのに苦労しましたが、気が付けばコックンカー集団(つまりタイ人のおばちゃんたち)に囲まれていました。

やがて、太陽は薄くかかった雲の下端をオレンジ色に染めながらゆっくりとエーヤーワディー川の向こうの山並みに隠れていき、日輪の最後の光芒が消えると、期せずして拍手が湧き起こりました。

もう一度東側に回ると、そちらでは寺院群の上に低くまん丸な月がかかっていました。まさに月は東に日は西に。日本では決して拝めないこの雄大な景観をしっかり目に焼き付けてから、階段を下って手持ち無沙汰に待っていたマーマーさんと合流したら再びアーナンダ寺院へ向かいます。といってもお目当ては寺院ではなく、祭りの屋台です。

寺院近くの敷地にはありとあらゆる物を売る屋台や食堂が並んでおり、子供向けの遊具も本格的なものが置かれています。おなじみタナカも売っていますし、国情を反映してかライフル銃の模型がぶら下がっているおもちゃ売場の近くには仏具屋もあって、そうしたものが同居しているのが何とも不思議です。ポスター屋にはきれいなお姉さんたちのポスターが所狭しと貼られていて、今いちばんの売れっ子は?とマーマーさんに聞いたところ22歳の女優さんのポスターを示してくれましたが、確かに美人です。また、DVD屋でミャンマー語(?)のラップソングが流れているのには仰天しましたが、そうした諸々をライトアップされて金色に輝くアーナンダ寺院が慈愛に満ちた姿で見下ろしているのも印象的でした。

ホテルに戻って、いよいよ年越しのディナーとなりました。岡田真澄似の支配人の挨拶で始まったディナーは、赤い衣装の相本久美子さん似の司会者と青い衣装の三田寛子さん似の歌手を中心に進行します。ステージではミャンマー独特の打楽器を中心とする楽団の演奏をバックにさまざまなアトラクションが披露され、庭にしつらえられた屋台ではいろいろな種類の料理が供されました。アトラクションの多くはミャンマー伝統の舞踊であったり遊びであったり行事の再現であったりするようで、美しい宮廷装束の女性たちの優美な踊りとか、女の子にちょっかいを出す眼鏡男のコミカルな踊りとか、一本指立てた子供の踊りとか、蹴鞠(飛び入りの客多し)とか、竹の棒によじ登る少年たち(つるつる滑って登れず)とか、丸太の上にまたがって相手を枕で叩き落とす遊びだとか、人形劇とか、得度式とか、牛車とか……。そして最後に2010年へのカウントダウンが始まって、微妙に早いタイミングで全員で花火を打ち上げました。

さようなら2009年、こんにちは2010年。こうして海外で正月を迎えるのは、これで3年連続です。