バガン II

2009/12/31 (2)

BOBのバスでホテルに送ってもらい、昨夜と同じ庭のレストランでゆったり朝食をとってから、今度は地上からのバガン観光。これで3度目のバガンですが、ここには何度来ても新鮮な感動が待っています。

最初に案内されたのは初めて訪れるタヨッピェ寺院。それほど大きなものではありませんが破風などに見られる浮彫りの細かさは特筆もので、何やらヒンドゥー寺院の趣きすら漂っています。中には1階と上階にカクタン、コーナ、カタパー、ゴータマの4人の仏陀(顔や手のかたちがそれぞれ違います)がおわし、さらに屋上の回廊まで登ることができて周囲の景色も見事です。見れば近くに斬新なデザインのバガン・ビューイング・タワーが立っていますが、マーマーさんの言によればただで入れるタヨッピェ寺院からほぼ同等の景観を得られるので、あちらのタワーには誰もいかないのだそうです。かわいそうに……。

車で移動する途中で、ティーローミィンロー寺院を遠望しました。ここには初めてバガンを訪れたときに中に入ったことがありますが、13世紀建立のこの寺院は本当に立派です。

ついで、ダマヤンヂー寺院に向かいました。ここも以前に来たことがありますが、改めて見ると大きい!高い!その圧倒的なボリューム感は何度見ても感動ものです。

中には仏像が納められていますが、回廊の上の方からは不気味なコウモリの鳴き声が……。そしてマーマーさんによると、内側の壁の中には寺院建設にかかわった職人たちが閉じ込められているのだそうです。それというのも、この寺院を建立しようとした悪名高いナラトゥ王(暗殺により未完)が、後世の王がこれより立派な寺院を作れないようにしたためというのですが、そんな言い伝えがあるのでは確かに夜中に幽霊が出るという噂がたつのもむべなるかな。

バガン訪問時の恒例行事となっているタビィニュ修道院へのお布施タイムは、ちょうどお坊様たちが地元の人々に囲まれて食事中(いろいろな主菜・副菜にみかんやカステラもついてずいぶん豪勢なランチ)でしたが、一言挨拶してから祭壇の横にあるお布施箱に100USドル札を寄進しました。

続いてすぐ横にある、バガンで最も高いタビィニュ寺院に向かいましたが、その入口には緑の絨毯が敷かれています。マーマーさんがそこにいた地元の少女に問い掛けたところ、どうやらこの日ここに偉い人(ということは軍政関係者)が来ることになっているのだそうです。

ところがそのとき、その少女の目がキラーンと光った様子。そう、彼女は観光客相手に絵葉書を売る仕事をしているのでした。デビューしたてのころの西田ひかるさんみたいな爽やかな笑顔で近づいてくると「10枚1ドル」。いや、いらないよと断って中に入ろうとしたのですが、少女はあっけらかんとした様子で「お兄さん、後でね。お兄さん、かっこいいね!」。えっ、そう?とつい釣られそうになりながらも回廊の中に入りました。ところが、回廊のところどころに出入りと明かり取りのための口が開いていて、少女は行く先々に立ち回っていて顔をあわすたびに外から「後でね!」「かっこいいね!」を繰り返します。可愛い顔してばりばりの営業トーク!こうなると見物どころではなく、根負けして「わかったわかった、表で待っていて」と言うと期待をこめた表情で戻っていきました。

そんなわけで寺院の表に戻ったところで感動の(?)再会となり、10枚ひと綴りの絵葉書を2種類渡されてどちらにしようかと見比べていたら、彼女は優しく両方をとりあげると、まとめて折り畳んで「はい!」と渡してくれました……って、両方買えということですね?恐るべし、タビィニュガール。ドルよりもチャットの方がいいということだったので(このへん私は英語、彼女はミャンマー語、それでも意思が通じるから不思議)2,000Kでお買い上げとなりました。

せっかくだから記念撮影。気持ち肩を寄せてくれているのがわかるでしょうか(←アホ)。別れ際に「また会いましょうね」と言ってくれてまんざらでもなかったのですが、それにしても、これらの日本語のセリフは誰が教えたんだろう?

気を取り直して次に向かったのは、タビィニュ寺院の近くに立つナッフラウン寺院です。ここはバガンに残る唯一のヒンドゥー寺院ということになっていて、中にはヒンドゥー風の彫刻がありましたが、どう見ても新しく作ったもの。それでも寺院の外観は風情があり、また寺院の入口から見通すタビィニュ寺院の姿も絵になる構図でした。

ついでに、ものは試しと好奇心にかられて黄金王宮に入ってみました。これはバガン朝の建物を再現したという触込みで2008年に完成した建物だそうですが、正直に言って、あえて立ち寄るだけの価値は感じられませんでした。スケールが大きく金色に輝いたこの施設は海外からの賓客を招いてのレセプションなどに使われているそうで、なるほどそれなら理解もできますが、普通の観光客を惹き付ける要素は備えていません。

喫茶店でお茶とケーキの休憩をとってから、日中の最後の訪問先としてグービャウッヂー寺院を訪れました。レンガ造りの寺院の中壁にはたくさんのジャタカ(仏伝図)が並んでいて見事ですが、そこに書かれている文字はモン語です。また内壁の壁龕に納められている小仏像は造形がずいぶんリアルで、ジャタカに描かれた人々も妙にハンサムだったり美人だったりとインド風の彫りの深さが感じられました。

この寺院はチャンスィッター王の息子ヤザクマラが父王の追悼のために建てたものですが、マーマーさんの解説によれば、チャンスィッター王の先代のアノーヤター王が三蔵経を手に入れるためにモンの国(タトォン)を占領した後、チャンスィッターは民族融和のために自分の娘をモンに嫁がせて、その子アラウンシトゥをバガン王に即位させたのだそう。実際のところ、アノーヤターがバガン王朝の始祖として即位した頃はバガンは大乗仏教のアリー僧と呼ばれる集団の影響力が大きく、これを嫌った王がモン僧シン・アラハンの教えを受けて上座部仏教を導入するとともに、タトォンを攻略してモンの人々や文化をバガンにもたらしたのは歴史的事実です。

よって、隣の白い建物=ミャー・ゼディーの境内にはチャンスィッターと息子ヤザクマラ、さらにバガンとモンの混血の孫と家臣たちのジオラマがあって、場面はその孫(アラウンシトゥ)の即位式であるようです。さらに石碑が納められた部屋もあり、その石碑にもバガンの言葉とモンの言葉とが記されていました。

ここでいったんホテルに戻り小休止。続いてアーナンダ寺院のお祭り見物、そして2009年最後のサンセットへと続きます。