塾長の渡航記録

塾長の渡航記録

私=juqchoの海外旅行の記録集。遺跡の旅と山の旅、それに諸々の物見遊山。

ヤンゴン - バガン I

2001/05/03 (1)

エア・マンダレーの双発機で、ヤンゴンからバガンへのフライト。どこまでも続く茶色の沖積平野の中を、川がうねうねと蛇行しています。やがて地面にしわしわの起伏が見られるようになり、飛行機が高度を下げてきたと思ったら、左下にエーヤワディー川沿いの平地に無数の仏塔が点在している様子が見えてきました。これがバガンです。

小さな空港から車でまず向かった先はニャウンウー村のマーケットで、まずはこの地の人々の活気ある暮らしを見ようというわけです。細い路地が入り組んだ市場には、食材、衣料品、生活用品から骨董品、土産物まで何でもありました。切り口が白っぽく女の人の腕の太さくらいの丸太を何本も売っている店もあって、これがミャンマーの化粧品、タナカです。これはこの丸太をすりおろしたペースト状の粉を頬や腕に塗るもので、美容と日よけを兼ねており、売り子の女性の顔を見るとかなりの確率でこれを頬に塗っています。無造作に刷毛ではいたような塗り方もあれば、型紙を使ってきれいに木の葉の模様に塗っているのもありました。また、別の店では棕櫚からとれる黒砂糖や、食べるお茶ラペッ・トウッも売っていました。食べるお茶はお茶の葉を発酵させたもので、揚げた豆類や油などを混ぜて食べると独特の渋みや苦味があり、なかなかにおいしいそうです。ちなみにこれを売っていたのは、チョチョルィンさんの大学での同級生でした。

さて、いよいよニャウンウーの中心寺院であるシュエズィーゴォン・パヤーへ。「シュエ」は金という意味だそうで、車からはだしで降りカメラ使用料30チャットを支払って境内に入ると、目の前に名前の通り黄金色の巨大な仏塔が目が痛いくらいにまぶしく輝いていました。仏塔の正面の地面には15cmくらいの小さな穴があり、水がたたえられていて、その前にたって斜めに覗き込むと黄金の仏塔が水面に反射して目に飛び込んできます。これは、頭に重い飾りをかぶった王様が仏塔を見上げるのが大変なので、見下ろした楽な姿勢で拝むことができるようにした仕掛けだそうです。

シュエズィーゴォン・パヤーは、バガン王朝をミャンマーの統一王朝にしたアノーヤター王が11世紀に建設した仏塔で、在位中には完成せず次王チャンスィッターのときに完成したそうです。近くには右の写真のように不思議な親子像があり、これは仏塔の台座部分を父王が、塔の部分を子王が作ったことを表現しています。

それにしても、焼けた石の上を歩くと足の裏が熱くてたまりません。ミャンマーの人は平気なのかな?と思ったら、チョチョルィンさんも敷石の上をぴょんぴょん飛び跳ねるように歩いていました。

続いて、ニャウンウーから南西方向、城壁に囲まれた旧市街=オールド・バガンへ向かう途中にあるティーローミィンロー寺院を訪ねました。13世紀に建てられたこの寺院は非常に立派で、背も高く装飾も細密。内部には高いアーチの回廊もあって、バガン王国の建築技術の高さを物語っています。

ここで、御多分に漏れず観光客向けに各種の仏画を売っている物売りに出会いましたが、このうちの一人が去年のユウコさんのミャンマー旅行の際にユウコさんが不義理を働いた相手だったことから、その埋め合わせとして30ドル分の絵(八曜日や仏足などを布地の上にカラフルに彩色したもの)を買うことになりました。というのは、ユウコさんは去年この地を訪れたときに冷やかしで値段を聞いたものの結局絵を買わなかったのですが、ミャンマーではその日の最初の客にものを売れないとその日は一日商売にならないというジンクスのようなものがあって、そのことを後でチョチョルィンさんから聞いたユウコさんは長らく負い目に思っていたのでした。

次に訪れたのが近くのケイミンガー・パヤー。12世紀の仏塔で、待機している子供たちに案内されて上のテラスに登るととてもよい眺めでした。また、近くには「五つのパゴダ」という小さな仏塔群があり、それぞれ色の異なる細かい壁画が残っていました。

そして午前中の最後は、バガンを代表する寺院であるアーナンダ寺院です。11世紀にチャンスィッター王により建てられ、白い立方体の本堂の上に黄金の塔が聳える威風堂々とした寺院で、外観の素晴らしさもさることながら、中には東西南北に高さ10mほどの大きな金の仏像(巨大な木像に金箔を貼ったもの)が立っており、その表情は離れてみると微笑し近づくと厳しいものに変化する不思議なものでした。

ここで午前の行程を終え、タラバー門を抜けてオールド・バガンに入って、エーヤワディー川のすぐ近くにあるAye Yar Hotelに入りました。ここはこれから2泊することになる、ゴールデンシャワーの花がきれいな気持ちの良いホテルです。