マンダレー

2001/05/05

今日はマンダレーへ移動する日ですが、その前にどうしてもアーナンダ寺院の美しい姿を写真におさめておきたくて、早朝に一人で自転車を走らせました。ホテルを出てオールド・バガンの道を右手にマハーボディー・パヤーを見ながら走り、突き当たりの丁字路を左に曲がってタラバー門を出ると、すぐ目の前にアーナンダ寺院の金色の塔が聳えています。寺院の周囲をぐるりと回って朝日に染まる様子を撮ってから、名残りを惜しみつつホテルに戻りました。

ヤンゴン航空の飛行機でバガンを発ち、大変近代的で立派なマンダレー空港に着きましたが、ここで私はお手洗いへ直行しました。恐れていた下痢です。ここ2日ほど出される料理を目いっぱい食べて胃腸を酷使していたのが気になってはいましたが、とうとう来るべきものが来たという感じです。

それでもとりあえず済ませることは済ませて、タクシーで向かったのはマンダレー近郊のアマラプラ。ここにあるウー・ベイン橋は、コンバウン朝の時代(18世紀〜19世紀)にインワからアマラプラへ遷都されたときにインワの旧王宮のチーク材を集めて作った橋で、タウンタマン湖を渡って向こう側の仏塔へ行くためのものですが、作られて200年たってもまだ現役です。雨期には橋の下は一面水がたたえられるそうですが、今は水が少なく地面が広がっていました。

ついでマハーガンダーヨン僧院を訪ねました。1000人近い僧侶や僧侶見習い(白い衣)が生活しており、朝10時頃に炊き出しのおばさんたちから御飯をお櫃いっぱいにもらってお堂で一斉に食事をします。偉くなるほど副菜が増えるのが面白いところですが、当然のごとく余る御飯は収入のない人々や近在の動物たち(犬や猫)に分け与えられるのだそうです。しかし、ここで我慢できなくなってまたトイレへ駆け込みました。

ここから織物工房でミャンマー独特の巻きスカート=ロンヂーを作っているところを見ました。ロンヂーは男女を問わず広く着用されており、男物の方が柄が単純で安く(1,200チャットから5,000チャットまで)、女性用は模様が細かく高価(1,500チャットから上は25,000チャットまで)。しかし、この頃になると説明も上の空で、早くホテルに落ち着きたくなってきました。

マンダレーの市街に近いところにあるマハムニ・パヤーは、本尊のマハムニ仏が信仰を集めており、人々がさかんに金箔を貼りつけるのでごわごわと金色に輝いていて一種異様な美しさです。

ちょうどこの日は得度式が行われており、新たに寺に入ることになった子供たちが着飾って写真撮影をしているのに出会いました。そこでこちらもカメラを向けると、父親らしい人物がうれしそうに子供にポーズをとらせてくれました。

また、ここにはクメール様式の青銅像もありました。これはもともとアンコール・ワットに置かれていたものを1431年にアユタヤ朝の軍勢が持ち去り、1564年にアユタヤを攻めたモン族の王がバゴーへと持ち去ったものです。

ようやくマンダレーのSedona Hotelに到着。午後は宗教都市ザガインへ足を伸ばす予定でしたが、体調不良のため16時まで休憩することにし、ユウコさんからウイルス性の下痢に効くというナリジクス酸カプセルをもらって昼食もとらずにベッドに寝込みました。

16時になんとか起き上がってとにかく旧王宮へ向かいました。マンダレーはコンバウン朝の最後の王都で、ミンドン / ティーボーの2人の王が統治したところです。

旧王宮は幅広い濠に囲まれた広大な敷地に建てられたミャンマー様式の美しい建物ですが、第2次世界大戦のときに日本軍とイギリス・インド軍との戦闘で消失してしまい、現在の建物は戦後の再建です。しかし、中にはかつて使われていた玉座なども残されていました。

ついでシュエナンドー僧院に行って、細かい装飾の木造建造物を見学しましたが、ここでもトイレに走ることになり、とうとうギブアップ。この後マンダレーヒルに登るプランをキャンセルしてホテルに戻ってもらいました。

ホテルの部屋に戻りぐったり寝ていると、心配したチョチョルィンさんがホテルの従業員を連れて部屋にやってきました。ミャンマーでは下痢をしたときは熱く濃いお茶に砂糖をたっぷり入れて飲ませるのだそうで、電動ポットやお茶のセット、砂糖をわざわざ持ってきてくれたのでした。それまで、脱水症状を避けるために水を飲んでもお腹の中で超特急並みのスピードでぐるぐる動いているのがわかるくらいでしたが、この砂糖茶は身体に優しく、またユウコさんにもらった薬の効き目も出てきたようで、夕食も抜いてじっとしていると次第にお腹の調子が落ち着いていきました。

それにしてもマンダレーはよく停電します。ほとんど30秒からせいぜい数分で復活するのですが、部屋にいると急に空調の音がしなくなって、しばらくしてから思い出したように音がしだすといったことを、私が寝込んでいる間だけでも片手くらいは繰り返していました。翌日のことになりますが、日本人観光客がホテルのエレベーター内でこの停電に出くわしてしまい、回復して中から出てきたときに皆どきどきした顔をしていたのを見てつい笑ってしまいました。