ヤンゴン - バガン

2009/12/30

この日は日中はヤンゴン市内観光、そして夕方にバガンへ移動です。朝、ホテルに迎えに来たマーマーさんと最初にこの日の行程の打合せ。とにかく寺院大好きな私はできるだけ多くの寺院に連れ回して欲しいとマーマーさんに伝えてあり、そのリクエストを踏まえて、まずはヤンゴン最大の寺院であるシュエダゴォン・パヤー、スーレー・パヤーなどを巡る旅程が用意されていました。ところがここで「バガンでのニューイヤーイヴ・ディナーは今夜です」と言われてびっくり。ニューイヤーイヴって大晦日じゃないの?マーマーさんもおかしいとは思っているようですが、なにせGreenからそのように伝わってきているので仕方ありません。ま、行けばわかるか、と深く詮索することはやめて、車に乗りました。

シュエダゴォン・パヤーには初めてヤンゴンに来たときにも訪れていますが、この寺院は何度訪れても飽きることがありません。それに前回は雨模様(それはそれでしっとりといい雰囲気でしたが)だったのに対し、この日は抜けるような青空。そして今回はマーマーさんがたっぷり時間をとってくれていて、見どころを漏れなく紹介してくれました。下記の写真は、その一部です。

南入口のエレベーターで境内に昇ってすぐ右手にある菩提樹。仏様はいきなりキンキラキン。
安産祈願の廟。向かって右の像はちゃんと男の子とわかる赤ん坊を抱えていますが、向かって左の像が手に持っているのは蓮の蕾で、これが女の子を示しているのだとか。
アクリルケースに入った翡翠の仏像。中国から寄贈されたもので、顔立ちも確かに中国風。
太陽と月の祠。祠の上にある円の中は、左が孔雀で太陽、右がウサギで月をそれぞれ表わしています。日本でも「玉兎(月)」「金鶏(太陽)」という言い回しがあります。たぶん、どちらも中国由来なのでしょう。
寺院を守る双獅子胴の守護獣。このモチーフは他の寺院でも普通に見られるもの。
ロンジーを着けた帝釈天、といった趣きのナッ神2体。お供えは青いバナナ。
3月の祭りに向けて筵が巻かれた仏塔に金箔を運ぶゴンドラ。3年ごとの張り替えだそうですが、これは信者のお布施によって賄われるものです。詳しくは〔こちら〕。
木曜日の祭壇の横に立つマーマーさん。線香、蝋燭、花などを捧げるとともに、お母さんの胎内にいた期間も合わせて年齢プラス1杯の水をかけるのだそうです。ちなみに私も木曜日生まれ。
西祈禱堂のモニター。ミャンマーの寺院は、積極的に(でもレトロに)電化されているのが特徴。
モン族のペグー朝のシンソープ女王(15世紀)の寄贈仏。よって女性が祈ると願いがかなうとされています。手前の木に白く細かいビルマ文字がびっしり書かれているので何と書かれいるのかとマーマーさんに聞くと「I love you.」みたいなことなんだとか……。
マハ・ガンタの釣り鐘。1778年鋳造で重さは23トンもあり、19世紀にイギリスが持ち出そうとしたものの、あまりの重さに船への積み込みに失敗して川に沈んだという逸話があります。上部の龍の飾りも見事。
北の門近くの祈りの場所。周囲よりわずかに高いテラス状になっていて、左足から入って右足から出るのが決まり。久しぶりに裸足で石畳を歩く感触は格別です。
手前が仏足石。でも、つい奥の電飾光背に飾られた仏像の方に目が行ってしまいます。お坊様もなぜかきつい目付き……。
ボー・ミン・ガウンの像。ポッパ山で修行をした偉い坊様ということですが、風貌はいたってバンカラ。本当はタバコ好きなんだそうですが、今は境内は禁煙なので、心なしか寂しそうでもあります。
マハ・ティッサダの釣り鐘。1824年鋳造、さらに重たい42トンで、びっしりと文字が刻まれており、たとえば「来世に行かずに涅槃に至りたい」といったことがパーリ語で書かれていたりするそうです。

これでもシュエダゴォン・パヤーの中を駆け足で見て回っただけ。ここは、あちらで祈り、こちらで祈りしてゆっくり一日を過ごしてもいいところです。しかし忙しいツーリストの身である自分、1時間半ほどでシュエダゴォン・パヤーを後にすると、ヤンゴン市内の中心部に位置するスーレー・パヤーに向かいました。こちらは規模こそ小振りですが、ヤンゴンのランドマークとも言える仏塔です。

交差点のど真ん中にあるスーレー・パヤーは、車で近づくと道の向こうに美しく聳え立っているのが見えますが、車を停めて徒歩で中に入るときにはその周囲を環状に巡っている車道を、およそ歩行者優先という感覚を持ち合わせない車の群れの中をかき分けて横断しなければならないので、かなりスリリング。なんとか入口から中に入ると、目の前に仏陀の聖髪(パーリ語で「スーレー」)を納めた仏塔が黄金色に輝いています。そして回廊を巡っていくと、孔雀と兎、八曜日のシンボル、カラウェイといったおなじみのモチーフに混じって、なにやらユーモラスな2体の達磨(?)も。

続いて、これまた前に行ったことがあるチャウッターヂー・パヤーに足を運びました。ここは巨大(全長70m)なイケメン寝釈迦で有名です。堂内では、人々が僧侶の言葉に耳を傾けながらお祈り中。振り返れば壁の上の方には寄進者の名前がたくさん描かれていて、中には日本人の名前も書かれていますが、その漢字がかなり怪しい感じなので、寄進者が書いた名前を寺院の人が漢字の知識がないままに書き写したものではないかと思います。

前回気付かなかったのが、右下の古い写真です。これは1905年にインドの職人の手によって完成された最初の寝釈迦だそうで、趣味の違いなのか技術の不足なのか、ご覧の通り上体の起こし方も違えば顔の表情も異なり、これがミャンマーの人々には気に入らなかったとのこと。そのため、1967年に今の姿に造り直されたのだそうです。

ちなみに寝釈迦と涅槃仏との違いは、前者が「目が開いている」「手で頭を支えている」「足が揃っていない」「足の裏に108のシンボル」です。さて、マーマーさんによる怒濤の寺院案内はまだまだ続きます。次はカバーエー・パヤー。

ここは1952年に、独立ビルマの最初の首相であるウー・ヌによって建てられた寺院です。堂内には例によって電飾つきキンキラキンの仏様がいらっしゃいますが、それよりも外周にぐるりと描かれた世界各国の寺院の絵とそれぞれの国の様式による仏像が、この寺院が世界平和を祈願して建てられたという謂れを実感させてくれます。

ちなみに日本の絵は、富士山、大仏殿、それに微妙に中国っぽい五重塔でした。

カバーエー・パヤーの北にある聖洞窟は、一見自然の岩山のようですが実は人造のもの。1954年から56年まで、ここで仏典結集が行われたそうですが、この日は僧侶に対する三蔵経の試験中とかで、中には机と椅子がぎっしりと並べられていました。試験は早朝・午前・午後を1日として、3日試験・1日休み・3日試験と続くとのこと。訪れたときはちょうど休憩時間だったのか、ぐったり横になって休んでいる僧侶の姿も見られました。

さあ、待望の昼食です。メインはチキンカレーとButterfish(イボダイ)カレー、それになまず・空心菜・たけのこ・ひょうたんのスープ、野菜のつけあわせ(ネムノキの葉を茹でたものが不思議な苦味)、唐辛子と海老をすり潰して発酵させた塩辛いペーストです。おいしくはあったけれど、ミャンマー料理の常道として油ぎとぎと。私は最初のミャンマー旅行でお腹をこわしたトラウマがあるので、少々控えめにいただきました。これで4,000チャット=400円です。

お腹もふくれたところで、マーマーさんの所用で今回のツアーのセッティングを依頼したImperial Amazing Green Travels & Toursのオフィスに立ち寄りました。そこに待っていたのは、旅の手配に関して何度もメールのやりとりをしたスタッフのSabeiさん。いかにもキャリアウーマンという感じできびきびした英語を話すSabeiさんには、どうやらマーマーさんもたじたじとした感じでしたが、テンポラリーな雇われガイドだからということもあるのかもしれません。

この日ヤンゴンでの最後の寺院はスウェドー・ミャッ・ゼディドー。ここの見どころは、ミャンマー風の装束を着た四天王に守護されて中央に鎮座する仏陀の聖歯です。美しい祭壇の中に納められた聖歯は周囲からではちょっと遠くて判然としませんが、そこはミャンマーのこと、参拝者のためにモニターで拡大して映し出していますから心配はいりません。ただし、マーマーさんの言によればこの聖歯はレプリカで、本物は中国にあるのだそう。ちょっとがっかり。

そのままミンガラドン空港へ移動しました。待合室のテレビに映るCMのモデルさんはみな美人ですし、エア・バガンのスチュワーデスさんも美人で、中にはサトエリ似の人もいたりして鼻の下を長くしてしまいましたが、真っすぐバガン行きかと思ったらそんなの聞いてないよのマンダレー経由。それでも簡単な機内食が出たのですが、この日の夜はニューイヤーイヴ・ディナーだと聞かされているのでデザートだけで我慢しました。周囲を見回すとイスラム系が多いような気がしますが、日本人もちらほらいて、マーマーさん曰く、この冬はここ10年で一番日本人観光客が多いそう。しかしもっと多いのは今の政権と仲がいいロシア人で、彼らは4週間くらい休みをとってミャンマー国内を旅するし、すぐに酔っぱらうしで、これにつきあうガイドは大変なんだとか。

そんな話を聞いているうちにも西側の窓のシェードが日に焼けて熱くなっているのを感じていると、やがて飛行機は12月だというのに煮えたぎるような熱気の中をマンダレー平原へ着陸しました。停止した機に近づいてきたのは明らかに日本の路線バスの中古で、吊り革、緑の椅子、車椅子マークなどに望郷の気持ちをかきたてられ……はしませんでしたが、やはりミャンマーはこうでなくてはと妙に納得しました。マンダレーで降りる客と入れ替わりに新しい乗客を乗せて再び飛び立った飛行機は、放物線を描くような20分のフライトで、夕日を反射して金色に輝くエーヤーワディー川の上からバガン平原に滑り降りました。

空港のロビーで待っていてくれた矢沢永吉似の壮年のドライバーが運転する車に乗って、さすがに涼しくなってきた夕景色のバガンを走り、やがてタビイニュやアーナンダーといった懐かしい寺院たちが7年前と同じように建ち並んでいる姿が見えてきて、目いっぱい感激してしまいました。

今回のホテルは、ゴードーパリィン寺院のすぐ近くにあるBagan Hotel River Viewです。ここでのチェックインのときに、ニューイヤーイヴ・ディナーはやはり大晦日であることが判明しました。そりゃそうでしょう!しかし、それなら機内食もちゃんと食べればよかったとは思いましたが、それならとホテルの庭園にある芝生のレストランでマーマーさんとちょっとゴージャスな夕食をとりました。庭の入口では不気味な人形がこちらを見守っているのが気になりましたが、料理はとてもおいしいものでした。