グランド・フローリア「Manhattan」

2023/06/19

前夜ガイド本を眺めてセレクトしたルートは、ランデックスのリフト駅から近くに位置するグランド・フローリアのマルチピッチルート「Manhattan」(TD- 6a)です。この旨をWhatsAppでテオに伝え、それならデプローチも具合が良さそうだと話がまとまって行き先決定。ただし実際に現地で雪の状態を見ないとアプローチやデプローチの道筋が読めないので、スノーブーツ、アイゼンに加えて(ストックだけでなく)アイスアックスも持参することになりました。

朝のうちは青空が広がる中、ホテルの裏手にあるバス停シャモニー・センターからバスに乗ってレ・プラに移動し、フレジェールに上がるロープウェイの駅でテオと合流。下界からでもランデックスの岩峰を中心に周辺の岩場の位置が容易に同定できますが、その上の雲の動きが速く、確かに天気は崩れていきそうな気配です。

ロープウェイでフレジェール駅に達し、さらにリフトでランデックス駅へ上がると、周囲は夏とは思えないほど大量の雪に覆われており、テオもこの時期にしては異様に雪が多い!と驚きを隠そうとはしません。目指すグランド・フローリアはすぐそこに見えていますが、どうやら本格的に雪の上を歩かなければ近づくことができないようです。

アプローチはつぼ足のまま、ストックを支えとしてよく締まった雪の上を歩いて15分ほど。取付に残置したのはストック程度で、その他の装備はすべてリュックサックで背負ってのクライミングとなります。本当はアプローチシューズに装着できる軽量アイゼンを持参していれば荷物をぐっと軽くできたのですが、迂闊なことにエギュイ・ルージュの雪がここまでと思っていなかった私の雪用足回りは重量感あふれるスノーブーツと12本爪アイゼンであるため、このルートは全ピッチをフォローに回ることにしました。なお、我々とほぼ同時にこの岩場に取り付いたパーティーは「Manhattan」の2本左隣にある「Madagasikara」(TD- 6a)を登り始めており、我々も「Manhattan」を5ピッチ登った後に上部で「Madagasikara」に合流する予定です。

1ピッチ目(5b)。そのグレードの割には傾斜が強くホールドも細かくて難しい出だし10mほどを慎重にこなして上へ抜けると、傾斜が緩んでぐいぐい登れるようになります。

2ピッチ目(5c)。引き続き緩傾斜に見えて実は途中から傾斜が立ち、さらにルートは左へ左へと回り込むようになるルートファインディングがポイントのピッチですが、ガイド本の写真で想像するスケールと実際のスケールが合致せず(実際の方がはるかに長い)混乱してしまいがち。この頃、隣で「Madagasikara」を登っていたパーティーは融雪に伴う落石に当たったらしく、敗退していきました。

3ピッチ目(6a)がルート全体の核心部。目の前のかぶり気味の凹角に入って右上に抜けるパートがストレニュアスで厳しく、テオは何やらアクロバティックなムーブで抜けていき、私はフォローでもノーテンというわけにはいきませんでした。

4ピッチ目(5c)。右のリッジを行くのかな?と思いきやまっすぐ上の壁を正面突破。斜度が立ってはいるもののホールド豊富でぐいぐい登れます。この後、テオはおそらく次のピッチ(5a)をつなげて登ったようでした。

このピッチの終了点(テオが座っているところ)から先は「Madagasikara」に合流します。振り返ればなかなかの高度感が気持ちのよいところですが、はっきりと雲が広がってきました。

5ピッチ目(4b)。したたり落ちる雪解け水で濡れた凹角をテオが歩いて横断して向こう側の壁を登り、その姿が岩の向こうに消えた後、ずいぶん時間がたってからコールが掛かりました。どうしたこと?

その疑問はすぐに解けました。5ピッチ目の上には岩場の上部を左右に移動できるバンドがあり、グランド・フローリアの多くのルートはこのバンドに達したところを終了点としているのですが、傾斜のある雪田と化したこのバンド上をテオはグローブをはめて渡り、ロープいっぱいまで伸ばしたところのハンガーボルトでビレイしていたのでした。グローブを持ってこなかった私は素手を雪につっこんで冷たい思いをし「これはロッククライミングではない!」と文句を言いながら後続したところ、テオは笑いながらも「雪があるところに行くときは薄いものでいいのでグローブを持参するように」と教えを垂れました。ごもっとも。

最終ピッチ(5b)は緩やかな出だしから途中で湿ったコーナーがワンポイントの核心部になるピッチで、このコーナーを越えれば残りはわずかの登りで終了点に到着します。

前方にどんと聳えるエギュイ・ド・ラ・フローリアの手前の平坦部の一角が、グランド・フローリアの最上部。ただしガイド本に記載のあるグランド・フローリアの14本のルートのうち、ここまで登るよう指定されているものはごくわずかです。

この終了点でシューズを履き替え、アイゼンを装着して目の前の平坦地に積み上がった雪の上に乗り上がったら、下降点を探して奥に進みます。

急な雪壁と脆いルンゼをクライムダウンして雪の斜面の広がりに入ればもう安心。少々長い下りの末に取付に戻ってストックなどを回収した頃から、パラパラと雨が降り出しました。

ランデックスからフレジェールへ下るリフトからの眺めは正面にメール・ド・グラスの谷筋が深く切れ込み、その奥には(晴れていれば)グランド・ジョラス、手前右側にはシャモニー針峰群、手前左側にはドリュとエギュイ・ヴェルテが揃う雄大なものですが、エギュイ・ルージュに大量に雪が残っていることとは対照的にメール・ド・グラスの氷河は後退してしまってこの角度からは見られません。テオの言によれば、メール・ド・グラスで氷河トレーニングを行おうとすると10年前ならモンタンヴェール駅から30分で発達した氷河に着くことができたのに、今は2時間も歩かなければならないのだそうです。

レ・プラに降り、荷物をテオの車に入れてから近くのバーで再び作戦会議。天気予報を仔細に検討した結果、どうやら明日から明後日にかけてはシャモニーよりもクールマイユールの方が天気が良さそうなので、明朝イタリア側に移動してトリノ小屋に上がり、ここを起点にして2日間でトリノ小屋近隣のクラシックな岩稜ルートとタキュル東面のモダンなマルチピッチを各1本を登ることにしました。さらに3日後の木曜日は再びエギュイ・ルージュを登ることにし、肝心要の週末(金土日)の大きな山行に関してはテオから次の三つのオプションが示されました。

  1. ノーマルルートからグランド・ジョラスを目指す。ただし現時点ではガイド間の情報交換チャットを見てもジョラスに登ったという記録が出てきておらず、したがって現地判断の結果、やっぱり登れない(敗退)ということになるリスクを覚悟しなければならない。
  2. 先に示したモン・モディに通じるクーフネル・リッジとタキュルに通じるディアブル・リッジの登攀。
  3. イタリア側からモンテ・ローザ山群に登る。山小屋2泊の間に4000m峰の数々を辿って最終日に最高峰のデュフール峰Punta Dufourに登頂し、登山口に戻るコース。

グランド・ジョラスを諦めることは断腸の思いでしたが、限られた期間の中で一定の成果を獲得するためには後二者のいずれかをとるしかありません。来週モン・ブランに登る予定にしていることから、モン・ブラン三山の残り二つに登れる2番目の選択肢も十分魅力的に思えましたが、エルブロンネルから標高差1000m近い登攀をこなした上でミディ側へ下るコースを3日間に2本登るのはなかなかしんどそう。それよりも、かつてツェルマットに通っていた頃にスイス側の山として意識していたモンテ・ローザに、単なるピークハントではなく山群縦走という形で取り組めることの方にやり甲斐を感じ、その場で3番目のオプションを採用することを宣言しました。

これでやっとこの山旅のゴールが確定したことになり、気持ちが落ち着くのを感じました。後は、天気と体力とがもってくれることを祈るばかりです。

ほぼ1カ月後の7月16日に、エベレスト街道トレッキングで知り合った友人のひろみさんがグランド・ジョラス登頂を果たしたので、ジョラス登山の成否はやはりコンディション(タイミング)をつかまえられるかどうかにかかっているようです。ともあれひろみさん、おめでとう!