ガイアンの岩場
2015/08/13
この日は午後から雨という予報だったので、朝のうちにガイアンの岩場へ行くことにしました。本当は私の足の状態が回復していればエギュイ・ルージュでマルチビッチに繰り出すこともできたはずですが、最後まで足がクライミングシューズを受け付けない状態のままでした。現場監督氏には大変申し訳なし……。
そのガイアンの岩場ですが、着いてみるとちょっと様子が違っていました。土曜日にガイド祭りのメイン会場となることになっているため、その設営のために岩場の使用が制限されている模様です。
右半分の岩場の上には照明器具などがたくさん設置されていて、明らかに登攀禁止状態。
しかし左半分は使ってよいということなので、気温が上がる前に何本か登ることにしました。
こういう凸凹のはっきりした(要するにフレンドリーな)岩場は大好きです。ただしクライミングシューズは履けないので、今日も私はトレランシューズのまま。
見下ろせば気分良し。ただし、このルートも50mロープでロワーダウンすると長さがぎりぎりなので、ビレイヤー側の末端処理は必須です。
すぐに暑くなってきたので、池をはさんで左側の岩場にも手をつけてみることにしました。
先ほどの岩場もこちらの岩場も、こうしたちびっこクライマー養成講座が盛んに行われています。もしかしたら、この中から20年後のガイドが生まれるのかもしれません。
青いTシャツの現場監督氏=55歳、右の女の子は推定5歳。
ちびっこばかりではなくセクシーなお姉さんもたまには登っていて集中力を維持するのに一苦労……と言うのはともかく、各自数本ずつ登ったところで、岩場が混んできたのと暑いのとで早々に退散することにしました。
シャモニー市内のバスは乗り放題。そこで、バス路線の南西端にあるレ・ズーシュまで行ってみることにしました。モン・ブランのグーテ小屋へ上がるルートもこちらから登るはず、と何となく思っていたのですが、どうやら「レ・ズーシュ」というのは広域の地名でバス停としては終点より手前のベルビューがそこであるのに、我々は終点のプラリオンまで行ってしまいました。
ここからも山の上へ通じるゴンドラが出てはいるのですが、それ以外にこれといって見るべきものはありません。せめて食事でもと思ってホットドッグマークが掲げられている近くの店に入ったものの「ホットドッグは冬だけだ」と言われてがっくり。
それでも、いつもとは違う角度からのモン・ブラン山群の眺めは一応の収穫でした。
シャモニー市街に戻ってホテルへ戻る途中には、こうしたディスプレイが並んでいました。これを見ると、なんとミディへのロープウェイの建設は1954年から始まっていたことがわかります。日本ではまだ「戦後」が終わっていないときにこうした大工事を実現できていたとはフランス恐るべし。
昼食を済ませてから、シャモニー駅の裏にある墓地に足を運びました。通常の鉄道駅の左手から向こう側に渡り、さらにモンタンヴェール行きの登山鉄道駅の左側から踏切を渡ると、すぐ右手に墓地の入口が見えてきます。
シャモニー針峰群に見下ろされる斜面に広がる墓地は、たくさんの花に飾られてとても綺麗。
まず入口の左にあるほとんど消えかかったパネルで、誰の墓碑がどの区画にあり、どんな形をしているかを把握します。次に墓地内すぐのところにある右の見取り図で、その区画がどの位置に当たるかを確認します。例えば、ガストン・レビュファの墓が「C」にあるということを左のパネルで見つけたら、次に右のパネルでその「C」が新墓地(NOUVEAU)の右側だと理解する、という具合です。
入ってすぐ左手にいきなり、エドワード・ウィンパー(マッターホルン初登頂者)とモーリス・エルゾーグ(人類が初めて登頂した8000m峰であるアンナプルナの初登頂者)の墓が現れてびっくり。ではガストン・レビュファは?これは、旧墓地の中央の通路の先にある十字架から右に曲がって突き当たりの新墓地の端にありました。
えっ、ここ?と思うくらいうらぶれた感じの場所にレビュファの墓はありました。
あれだけシャモニーの知名度を上げることに貢献したレビュファも、シャモニー生まれではないせいか、よそ者としての扱いを受けているように感じたのは、気のせいでしょうか?
しかし、新墓地からの眺めは抜群です。西北の方向の彼方に見えている鞍部はバルム峠でしょう。
旧墓地に戻って現場監督氏が見つけたのは、エルゾーグの遠征隊にあってレビュファと共に「三銃士」と言われたリオネル・テレイとルイ・ラシュナル(エルゾーグと共に登頂)の墓でした。この辺りの知識は、高校生の頃からヒマラヤ登山に人一倍の関心を持ってきた現場監督氏ならではです。
レビュファの墓参が終わって、後は夕食時までフリータイム。町を散策しているとこの人に会いました。この一見銅像の人物には去年もお目にかかりましたし、今年もほぼ毎日場所を変えてあちこちに出没していたようで、この10日余りの間に何度か目撃しています。
この銅像氏は台座の前にある「MERCI」と書かれたバッグにお金を入れると握手してくれますが、それまでの間微動だにせず銅像になりきっているのが凄いところ。今年のシャモニーは猛暑ですから、彼にとっては相当な苦行だったに違いありません。また、微動だにしないと言っても時々は生理現象もありますから台座を降りてふらふらといなくなることもあるわけですが、ちょうど右上の写真のように用足しから戻ってきたところを目撃してみると、彼の扮装のうち少なくとも手の部分は手袋でした。そして再び台座に収まった……と思ったときに犬がちょこちょこと近寄ってきたら、粗相されることを嫌った彼は即座に杖で犬を追い払ってしまいました。なるほど、銅像にも銅像なりの苦労があるのだなと感じた瞬間です。
シャモニー最後の晩は外で食べることにして街中をうろつき、予報に反して雨が降ってこないので路上にテーブルと椅子を張り出したイタリアンレストランをチョイスしました。シャモニーはフランス国内ですが、トンネル1本でイタリアとつながっているせいかどちらかと言うとピザレストランをはじめイタリアンな店が目立ちます。このレストランもピザとスパゲティが売りの店で、肉を食べたい私はステーキを注文しましたが、本場のカルボナーラを食べたいという現場監督氏はご覧の通りのスパゲティをセレクトしました。いずれもおいしくいただきましたが、最初にIrish Coffeeで巨大ハンバーガーの洗礼を受けている我々には、少し物足りない分量でした。
ビールにワイン、そしてイタリアンな食事をゆっくりいただいて21時前にレストランを後にしましたが、空はまだまだ明るく、他の人々はゆっくりと食事と会話を楽しみ続ける様子。これこそがヨーロッパでの正しい夜の過ごし方です。