パタン観光
2024/11/05
今日はネパールでの最終日。日本に向かう飛行機が飛び立つのは深夜なので、日中の時間を使って観光を行うことにしました。GH社に一人5,000ルピーでガイドと運転手の手配をお願いして向かった先は、カトマンズの南にある古都パタンयलです。このパタンとは、カトマンズ盆地において4世紀に成立したリッチャヴィ朝、9世紀に盆地東端のバクタプルに勃興したデーヴァ朝に続き、13世紀から勢力を伸ばしたマッラ朝が1484年にバクタプルからカトマンズを、さらに1619年にはカトマンズからパタンを分裂させて三都マッラ朝の時代となった17-18世紀の一方の都です。
最初に訪れた館は、回廊状の建物の中央に中庭を持つ古典的なネパール建築様式。
彫刻なども精巧なものですなぁ……しかし、ここはどこ?と思っていたら、ガイドさんが「ちょっと交渉してきます」と言って建物の中に入ったかと思うと、さほど時間をかけずに出てきて我々を案内してくれたのは、なんとパタンのローカル・クマリ(生き神)の前でした。
満月生まれで数多くの条件をクリアした少女が初潮を迎えるまで生き神としての役割を務めるというクマリは、カトマンズのロイヤル・クマリが最も有名で、私も2018年のカトマンズ初訪問時にその姿を拝んだことがありますが、こちらのクマリは例外的に直接対面可能かつ写真撮影もOK。椅子に座したクマリの前にお布施を差し出して拝礼し、額にティカを捺していただいて写真に収まりましたが、もしかしたらマスクをしたままだったのは失礼だったでしょうか?そうだったとしたら申し訳ありません。
続いてダルバール広場に移動しました。ここは旧王宮とその前に連なるヒンズー寺院群とがまとまって残っていて世界遺産「カトマンズ盆地」の一部になっており、したがってパタン観光の核心部ということになります。上の写真はダルバール広場の南側にある石造八角形の造形が見事なクリシュナ寺院で、その近くにあるチケット売り場でチケットを買い、渡された入園証を首から下げて広場の中に入ります。
旧王宮はやはり中庭を持つ回廊形式の建物(チョーク)が代々増設を重ねてきたもので、現在は三つのチョークが残っていますが、かつては12もあったそうです。
赤茶色いレンガの壁と門や窓が作る直線的なイメージとこれらを装飾する幾何学的な、あるいはリアルな彫刻の精巧さが、王宮を構成する全ての建物に共通する特徴で、その一つ一つに見入っていたらいくら時間があっても足りません。
この屋根を支える斜柱に浮き彫りにされた彫刻も一本一本姿かたちが異なっており、あるいはヒンズー教の神話に紐づくものなのかもしれませんが、その由来はわかりませんでした。
スンダリ・チョークの沐浴場内部の石造彫刻も周囲の壁面を飾る木彫りも共にすばらしく、まったくもって見飽きることがありません。
それにしても、これだけの高度な技術と芸術性を備えた工人・職人を抱えられるとは、マッラ朝時代のネパールはどれだけ豊かな国だったのでしょうか?この建物は三都分裂の時代のものですから、それほど大きな版図が背景にあるとは思えないのですが。
王宮の前に戻り、あらためて寺院群を眺めてみます。手前は嘆願者が王に不平を訴えるために鳴らすタレジュの鐘。その奥の三層の寺院はハリ・シャンカール寺院。いずれも18世紀のものです。
足場が組まれている寺院の姿はこれだけではありませんでしたが、このように世界遺産の広場ですら2015年のネパール地震の傷跡は今でも随所に残っています。それはそれとして面白かったのは、右にある王宮に正対する位置に立つ石柱の上の合掌する像の背後にコブラが立ち、そのコブラの上には鳥が置かれているのですが、その鳥の上に本物の鳥(鳩?)が止まっていたことでした。
左の四角い石造の寺院も最初に見た八角形の寺院と同じくクリシュナ寺院です。こうしてみると、ネパール建築の担い手たちは木と石の両方を自在に扱っていたことがわかります。
金で装飾された門をくぐってマニ・ケシャブ・ナラヤン・チョークへ。かつて門の上の窓からは、王が民衆の前に姿を示したのだそう。
この中には王宮の建物をそのまま生かした博物館が設置されており、仏教・ヒンズー教両方の像を含む豊富な展示物が陳列してありました。
ダルバール広場の北端にあって商売繁盛(?)の寺院だというビムセン寺院を見上げたら、ここでの見学は終わりです。本当はこれらの寺院のいくつかに入ることができればさらに発見があったのでしょうけれど、自分はヒンズー教徒ではないので立ち入ることができません。
ダルバール広場を後にして石畳の道をしばらく歩いた先に、今度はゴールデン・テンプルが現れました。
こちらは仏教寺院で、回廊に囲まれた中庭の一角では蝋燭に火を灯して捧げることもできました(有料)。実はこの寺の住職はまだ10歳くらい(?)の少年で、当然本堂の中で修行に励んでいるのかと思いきや、蝋燭売り場であどけない表情を見せていました。
それにしても見事にキンキラキン。ダルバール広場のビムセン寺院よりもこちらの方がよほど商売繁盛につながりそうだと思うのは、私が(一応)仏教徒だからでしょうか。
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町の果物屋でフルーツラッシーを飲んだところで、パタン見学は終わりです。パタンの周囲四方にあるというマウリヤ朝アショカ王(紀元前3世紀)のストゥーパを見られなかったのは心残りでしたが、限られた時間の中でそこまで求めるのは無理というものかもしれないのですぱっと諦めて、カトマンズに戻ってちょっとお高めのランチをとってからフジホテルに戻りました。
夕食は一昨日と同様に優斗の案内で、ロータス・レストランなる定食屋に行きました。いや、ここは本当に安くてうまい。私は「D定食-豆腐の和風ハンバーグ定食 ご飯・味噌汁・漬物つき」なるものを注文しましたが、十分なボリュームがある上に豆腐定食と言いつつ実際には鶏挽肉入りで、それでいて値段は500ルピー。これで為替が円高の方に振れてくれたらコスパ最強だろうと思いました。まぁ旅の最後の思い出が定食屋の安さの話題というのもいかがなものかという気がしますが、これで手持ちのルピーの大半を使い切ってハッピー。そして、20時頃にデンディさんがホテルに迎えに来てくれたところで、あと数日間のネパール滞在の後に日本に帰国する優斗とはお別れです。優斗さん、4週間にわたり本当にお世話になりました。アマ・ダブラム登頂という一生の思い出を作ってくれたことに、心からのお礼を申し上げます。
同じく今回の旅をつつがなく終えることができた恩人であるデンディさんと空港で別れた後、搭乗手続が予想外にスムーズに進んでしまったためにSさんと私はボーディング開始まで3時間ものゆとりを持て余してしまいましたが、おおむね定時に搭乗手続が始まり、日付が変わって間もなくネパールの大地を離れました。