ツェタン (2) - ヨンブラカン / タントゥク・ツォクラカン

2015/01/03

チベットの王家の起源に関する言い伝え。

ある時、インドの王家に異形の姿の赤ん坊が生まれた。赤ん坊は箱に入れられてガンガー河に捨てられ、その箱は農夫に拾われた。その子は長じて生い立ちを知り、世をはかなんでガンガー河を遡りチベットへと向かった。

童子はヤルルン渓谷のラリロルポ山頂に天下ってあたりを見わたすと、「山はヤルラシャンポが高し、地はヤルルンがよし」と思ったので、ヤルルン渓谷のツェタンゴシの地に降りたった。すると、そこで放牧をしていた民が「どこから来たのか」」と尋ねたため、天を指した。すると、牧民たちは「天から来た天子である。我々の王にしよう」といって王に推戴した。これがチベットの初代王ニャーティ・ツェンポである。(『図説 チベット歴史紀行』から引用)

そのニャーティ・ツェンポが紀元前1世紀に築いた宮殿が、この日訪れるヨンブラカンཡུམ་བུ་བླ་སྒང།であるとされています。

ツェタンから南に12km、黎明のヨンブラカンの麓に到着。

尾根の上に建つヨンブラカンまで、私はもちろん階段で登りましたが、希望者は馬の背に揺られながら登ることも可能です。オオスミ氏はどこかで乗馬を習ったことがあるらしく、馬を颯爽と駆けさせて一気に上がってきました。お見事!

朝日が谷あいに差し込み、なんとも言えない幻想的な光景が眼下に広がりました。確かにここは宮殿を設けるのに絶好の場所と言えそうです。もっとも、宮殿はもちろん創建時の様子をとどめてはおらず何度も修復を繰り返して今日に至っており、現在の建物は文化大革命で破壊を受けた後の1982年に復元されたものです。

階段を上がって屋内に入ると中は2層になっており、1階は中央に祭壇を置いて、一番奥の中央に釈迦牟尼像、その向かって左隣に初代王、右隣に33代のソンツェンガンポ王の像。さらに左右に主だった王や大臣の像がリアルな造形で居並んでいました。続けて階段を上がり、テラスを経て2階に上がると左にはヨンブラカンの由来を示す壁画、経典の数々、奥には釈迦牟尼・薬師如来・千手千眼観音、右にはツォンカパとその弟子。中央は吹き抜けになっていて1階を見下ろすことができます。いずれもこじんまりとした空間ですが、不思議な猥雑さと落ち着きとが入り混じっていて、なんとも言えない雰囲気を漂わせていました。

内部を一通り見て回ったら、奥の尾根へ足を伸ばします。実はこの日の予定ではこのまま下るはずだったのですが、ヨンブラカンを後ろから見下ろした構図の写真をガイドブックで見ていたので、どうしても同じ構図で見下ろしてみたくなりヤモトさんに頼んだところ、短時間ならと許可を受けたのでした。

尾根道は歩きやすく、小高いところまですぐに達することができましたが、ここから先に進むのは少々危なそうだし時間的にも厳しそう。

それでも、振り返り見たこの光景に十分満足することができました。

さようなら、ヨンブラカン。馬で登って来た人は馬で、足で登って来た人は足で、それぞれに下ります。

麓から仰ぎ見ると、きらきらと輝くタルチョが我々を見送ってくれていました。

そして、最後のイベントはタントゥク・ツォクラカンཁྲ་འབྲུག་དགོན་པ།、またの名を昌珠寺です。7世紀にソンツェンガンポによってチベットで最初に建立された仏教寺院で、仏教が入る前のチベットの国土に寝そべる巨大な羅刹女を鎮めるために建立された寺院の一つとされ、また、文成公主が唐からチベットへ輿入れした当初起居した寺であるとも言われます。

内院の構造はラサのジョカンと通じるものがあり、柱に囲まれた僧侶の修行の列の周囲に多くの仏像やツォンカパと二大弟子の像、ソンツェンガンポ夫妻、パドマサンバヴァ。奥まった部屋には密教らしく大日如来が中央奥に鎮座し、左右の壁をターラが埋めていました。そして2階には、この寺の見どころである3万個の真珠で作られたタンカがガラス越しに飾られていました。仏の白い肌は真珠、ネックレスは琥珀、額にはダイヤモンド、そして背景には赤サンゴが使われた豪華なこの仏画は縦2m×横1.2m、ダライ・ラマ5世が母親の供養のために作ったものなのだとか。

真珠のタンカを拝見した後、寺の屋上を歩いてから外に出ることにしましたが、ここでもジョカンやその他の寺院と同様に黄金の法輪と鹿のモニュメントを見掛けました。

寺の前に戻ってしばし休憩。人の群れの中で危なっかしいよちよち歩きの子犬に癒されたり、明らかに育児放棄している母犬にちょっとムカついてみたり。

最後に全員で巨大なマニ車を回して、2015年の多幸を祈りました。

黄砂が空にたなびくヤルンツァンポ河の南岸を西に進んで、ラサ・クンガ空港の近くでこの地域の定番料理だと言うヤクバーガーと春雨スープを食しました。油が強いからとビニールの手袋を渡されましたが、食べてみると思ったよりさっぱりしていてそこそこおいしくいただけました。それよりも、ここは店のオーナーのガハハなサービスがトレードマークになっているらしく、中年男性のオーナーは我々のツアーの若い女性陣に盛んにちょっかいを出しては勝手に大笑いしていました。

テイクオフ。さようなら、才さん・夏さん。さようなら、チベットの茶色い大地。そして……。

飛び立って20分ほどで、眼下に純白の雪に覆われたヒマラヤの山脈が見えてきました。この光景を見たいがために「右側の窓際!」と座席指定したのです。ちなみに、若いイトウ君はチェックインの際に「チョモランマシート、プリーズ」と言って右側の席をゲットしていましたが、チョモランマ(エベレスト)はラサよりも西にあるので、当然この飛行機から見ることはできません。一方、成都着陸の少し前には雲南の高峰・梅里雪山が見えました。

この後、飛行機は成都から北京へと飛び、我々は中国での最後の夜を北京のホテルで過ごすことになったのですが、部屋に入ってバッグを開いたところで大変なことに気が付きました。旅に持参していたMacBook Airを、ラサ・クンガ空港に置き忘れてしまっていたのです。ゲートを通過する際にセキュリティチェックのためにPC類をバッグから外に出しますが、そのとき便に乗り遅れそうになっていた中国人の若者2人を先に通してあげたところで気をそらしてしまい、MacBook Airを回収し損ねたのに違いありません。写真や動画はほとんどをMacBook Airに移してカメラから削除していましたから、MacBook Airを失ったということは写真や動画をも失ったということになります。大ショック!すぐに添乗員ヤモトさんに電話を入れて顛末を知らせましたが、「日を改めてラサのガイドに確認を依頼してみる」とは言ってくれたものの回収の見込みはあまり高くなさそう。うーん……。