帰国

2015/01/04

最終日は北京から東京へ帰るだけ。昨夜は失ったMacBook Air(の中の写真や動画)のことばかり思ってほとんど眠れませんでしたが、それでもまさかラサに戻るわけにもいかず、定刻にはホテルのロビーに出て、早朝の空港へ移動しました。

寒々しい空港のガラス越しに拝んだ朝日が滲んでいるように見えるのは、やはり空気が悪いせい?それとも落ち込んだ心がそう見せるのか……。そしてここで大阪組と東京組に分かれ、それぞれの家路へと向かいました。皆さん、お疲れ様でした。いつかどこかで、またお会いしましょう。

参考情報

歴史

「チベット」とは平均標高4000m超の広大なチベット高原を中心とする地域・文化圏の総称で、地理的な広さは日本の約六倍にあたると言われます。その大きな部分を占めるのはもちろんチベット自治区ですが、北に隣接する青海省や甘粛省の一部、東の四川省、雲南省の西部もチベット文化圏に属します。そして、こうした広大な土地をチベット人は北のアムド、東のカム、そしてラサを始めとするチベット中心部のウ・ツァンの三つに区分しており、それぞれの特性を「ウ・ツァンの宗教、カムの男、アムドの馬」と表現しています。

このチベットの統一がなったのは、7世紀初めの吐蕃王国。ソンツェンガンポ王は593年に即位すると周辺に勢力を広げ、620年代に吐蕃を建国して唐にも圧力を加えるまでに至りました。一時はチベット高原から天山南路まで版図を広げた吐蕃でしたが、9世紀には内紛により分裂し、以後地方領主による群雄割拠の時代が続きます。

13世紀にモンゴルが侵攻してくると、チベットは仏教をもって逆にその庇護を得るようになり、1578年には北元のアルタン・ハンがゲルク派デプン・ゴンパの僧長ソナム・ギャンツォに「ダライ・ラマ」の尊称を贈ります。そしてダライ・ラマ5世はついに1642年に政教一致の統一チベットを実現し、ラサをその首都としました。

その後、チベットは清朝の干渉を受けるようになり、さらに19世紀にはイギリス、ロシアといった列強も進出してきます。ついで1949年に成立した中華人民共和国がチベットを統治下に置き、1959年のラサ大暴動を経てダライ・ラマ14世はインドへ亡命。1965年以降、チベット自治区として中華人民共和国の体制の一部に組み込まれて今日に至っています。

宗教

チベットにおける古来の民間信仰はボン教など自然崇拝が中心だったようですが、7世紀前半にソンツェン・ガンポが2人の妻=文成公主とティツンの勧めで仏教に帰依して以来、チベットでは仏教が国教としての地位を占めるようになります。そのチベット仏教のルーツはインド伝来の大乗仏教であり、サンスクリット仏典を直接チベット語に訳したチベット大蔵経には顕教と密教とが共に含まれています。とりわけ後者は、13世紀にインドで仏教が衰退するまでの間にヒンドゥー教の影響を受けた後期密教が保存されている点が特徴と言われます。

現在のチベット仏教はゲルク派、ニンマ派、サキャ派、カギュ派が四大宗派とされていますが、中でも1409年にツォンカパが興した戒律重視のゲルク派が最大宗派であり、カルマ・カギュ派の転生活仏制度を取り入れたダライ・ラマとパンチェン・ラマを擁して政治的にも宗教的にもチベットの支柱としての役割を担ってきました。

中華人民共和国政府とチベット仏教勢力との関係においても、ダライ・ラマ亡命やパンチェン・ラマ11世問題など、この2人のラマの存在は近代チベット史を語る上での重要なポイントとなるのですが、特に後者は真相が今でもはっきりしていない点があり、ガイドの才さんもツアー参加者のあえて踏み込んだ質問に対し回答を避けていたことがかえって歴史の闇の深さを感じさせました。

一方、人々の暮らしの中に浸透している信仰のアイコンとしてはマニ車、タルチョなどがありますが、何といっても強い印象を受けたのは、ポタラ宮の周囲をひたすら回り続ける人々の無言の熱気でした。

料理

チベット料理と言われて思い付くものは、バター茶、モモ(餃子のようなもの?)くらいでしたが、今回の旅では他にもさまざまな料理をいただくことができました。

ただし、純粋にチベット料理と言えるものはそれほど多くなく、他にトゥクパ(麺)、ギャコック(火鍋)、ツァンパ(麦こがし)など。

モモは皮が分厚いわりにピンとこない味、ギャコックは脂が少しきつく、いずれも「?」という感じです。バター茶は塩気があって意外にさっぱりしておりOK。ツァンパは砂糖と共に練っていただくのでお菓子感覚でしたが、本来は主食であり保存食でもあります。チベットの人々には申し訳ないのですが、一生をこうした料理に囲まれて過ごさなければならないとしたら、来世にチベット人として生まれ変わるのは遠慮したいものだという気がしました。

色彩

チベットで印象的だったのは、乾いた空気の中で見た色とりどりの原色の輝きでした。

寺院の壁は白と赤。仏像の装飾は金を中心にサンゴの赤やトルコ石のブルー。

極彩色の細密な文様は、チベット人の高度なデザイン感覚を示しています。

風にはためくタルチョも赤、黄、緑、青、白とカラフル。

しかし最も印象的だったのは、赤茶けた山肌と真っ青な空、そして空の色を映し込む湖。この妥協のない自然が、チベット人の色彩感覚を育んだのに違いありません。

西遊旅行

今回のツアーは西遊旅行の催行によるものでした。「秘境ツアーの」と自ら枕詞をつけているように、大手ツアー会社の王道路線とは一線を画したニッチな企画が売り物で、純粋に旅行そのものを楽しませようとするその姿勢は、たとえばこの手の旅行に付き物の「土産物屋訪問コーナー」を組み込まないストイックなスケジューリングにも如実に表れています。

こちらは、旅行終了後しばらくして送られてきた旅行記。添乗員のヤモト氏が作成したもので、旅の模様をコンパクトにまとめてくれています。集合写真も添えられていましたが、ここまでアフターケアがしっかりしている旅行会社はそうないのではないでしょうか。これらの姿勢からすると、おそらく西遊旅行はリピーター率が高いのではないかと推察します。

しかし、私にとって西遊旅行にいくら感謝しても感謝しきれないのは、チベットを離れる際に空港に置き忘れたMacBook Airを取り戻してくれたことです。絶対に見つからないだろうと涙目で諦めていたのですが、ヤモトさんが現地ガイドと連絡を取り合って空港が保管してくれていることを確認し、次の同ルートの添乗員さんが回収してきてくれたのでした。西遊旅行のオフィスでカタにくるんだMacBook Airをヤモトさんから受け取ったときの感動と言ったら……。

こうした恩義がある以上、次に中央アジア方面へ旅行に行く機会があったら、間違いなく西遊旅行のツアーの中から選ぶことでしょう。たとえば「五体投地で巡る!カイラス山巡礼3週間の旅」なんて企画があったら絶対……いや、さすがにこれは無理か。