ツェタン (1) - サムイェ・ゴンパ

2015/01/02

旅も終わりに近づいてきました。この日はラサを離れて南東に180km、チベット王朝発祥の地と言われるツェタン(རྩེ་ཐང།)へ向かいます。

さようならラサ、さようならポタラ宮。そしてバスはしばらくはカンパ・ラへ向かったときと同じく南西方向に進み、ラサ川がヤルンツァンポ河に合流するあたりでヤルンツァンポ河を渡ったところから、昨日とは逆に東へ向かいました。川沿いの斜面にはいくつか石に白く梯子のような絵が描かれているところがありましたが、これは水葬された死者の魂が天国に行けるようにという意味だそう。

ヤルンツァンポ河は川幅が広いのですが、その広い空間の大半は砂漠のように乾いた河川敷です。しかし、そのところどころに緑化事業による植樹が行われており、新たな橋の建設も行われていました。

その広い河川敷の中に小山ほどもある岩の突起があって、つい「あれに登ってみたい」と思いながら眺めていたら、いつの間にかバスは数多くの羊に囲まれてしまいました。こうなっては羊が通り過ぎるのを待つしかありません。

ラサを出て走ること3時間、ツェタンの手前でまずはヤルンツァンポ河北岸の名刹サムイェ・ゴンパབསམ་ཡས་を訪れることになっていますが、腹が減っては観光はできないとばかりに、寺の近くの食堂で牛肉ラーメンと水餃子をいただきました。いずれもなかなかの美味。同じツアー客で細身なのに大食漢のイトウ君は皆から「(皆が食べきれなかった)この水餃子も食べなさい」と飽食を強いられていましたが、別のツアー客から「サトウさん」と呼ばれて「私、イトウなんですけど」と訂正したところ、同姓の女性のイトウさんから「紛らわしいからエンドウにしなよ」と改姓まで迫られていました。若いということは、ときにこうした理不尽を受容しなければならないということを意味するのだな……と感慨にふけりつつ食事を終えて、サムイェ・ゴンパへ向かいます。

サムイェ・ゴンパは境内の中心に須弥山を模したウツェ大殿を置き、四天王を示す四つの塔(黒・緑・白・紅)、日月の殿舎、四大部洲と八小部洲を示す建物がウツェ大殿の周囲に配され、これらすべてを囲う丸みを帯びた四角形の壁が鉄囲山を表していて、つまり仏教の宇宙観を地上に再現した立体曼荼羅です。そしてセラ・ゴンパと同様、ラカン(寺)ではなくゴンパ(僧院)であるところがその本来の機能を示していますが、やはりここも20世紀後半に大規模な破壊と修復とを経て今日に至っています。

サムイェ・ゴンパの創建は8世紀の後半。ソンツェンガンポ王から4代目で、長安占領や安西都護府攻略、仏教の国教化で知られるティソンデツェン王ཁྲི་སྲོང་ལྡེ་བཙནの命により775年に起工され、12年の歳月をかけて建立されたそうです。そして王がインドから招いた密教の大成就者パドマサンバヴァपद्मसंभव(=蓮華生大師)は土着のボン教の神々を密呪の力によって調伏すると共に仏教の守護神に次々と変えていき、さらにここで仏教経典のサンスクリット語からチベット語への翻訳事業を進めて、チベット仏教の基礎を築いたと言われています。パドマサンバヴァは王や王妃、臣下に法を説き、時期尚早と見た経典については地下に埋蔵して将来の発掘者を予言した後に羅刹の国(スリランカ)に去って、今もそこで教えを説いているのだとか。

カラフルな神様たち(?)に睨まれつつ、ウツェ大殿の中へ進みます。

マニ車が連なる回廊を横目に、中心の仏殿へ。1階はチベット式で、建物の中央に櫛の歯のように並ぶ僧侶たちの席の左右には形相のキツイ神々の座像、正面奥にはパドマサンバヴァ像と釈迦三尊、さらにその奥にはカラフルな衣をまとった高さ5mもの菩薩たちの立像が並び、経典を納めるスペースも置かれていました。横の小部屋には顔を布で隠した密教の神々の像がありましたが、その内の一体はなぜかお酒の匂いをさせていました。2階は中国風で中心になるのは目と口とを開いたパドマサンバヴァ像。左右には釈迦の八大弟子と菩薩たち。3階はインド風……ということですが、これはピンときませんでした。中央に釈迦牟尼像が置かれた広い空間はちょっと空虚な感じがしましたが、その周囲にぐるりと境内全域を見渡せる回廊が設けられていました。

あれが、立体曼荼羅を見下ろすことができるヘポリの丘。まずは階下で鳥葬の生々しい写真やらパドマサンバヴァの足跡(仏足石のようなもの)やらを見学してから、ヘポリの丘に向かうべくゴンパの外に出ました。

車でヘポリの丘の麓へ移動してから、乾いた斜面に付けられた階段をひたすら登ります。

最初の展望台はタルチョに覆い尽くされており、ここからでも立体曼荼羅を見下ろすことはできますが、さらに奥のより高いところにも展望台が見えていて、山ノボラーとしては行かないわけにはいきません。添乗員のヤモトさんに下山時刻を決めてもらって、それまでに戻るという約束で希望者数名で上を目指しました。

最奥の展望台には祠が設けられており、像が祀られていました。たぶんこれも、パドマサンバヴァの像なのでしょう。

展望台の最先端からはヤルンツァンポ河が見えています。

そしてこちらが本命の、立体曼荼羅の俯瞰図です。いかにも聖なる空間という感じがしますが、おそらく往時はあの鉄囲山の周囲にも大勢の僧侶たちの住居が軒を並べていて、今とは比較にならないほどの壮観だったことでしょう。

約束の時刻となり、後ろ髪を引かれながら丘を下りました。そしてバスに乗り、再びヤルンツァンポ河の北岸を東へ走ります。乾燥した雄大な景色の中、よく整備された道をバスは時に河に近づき、時には峠のようなところを越えながら東に進みました。

ところでガイドの夏さんが語ってくれたところによれば、ハルビン出身の夏さんが初めてチベットを訪れたのは2006年のこと。青蔵鉄道全線が開通して観光客がどっと増え、そのためにガイドが中国全土からかき集められた中に夏さんもいたのだそうですが、最初のツアーの2週間は「お客さんも高山病、私も高山病。タイヘンですよ」だったとか。それはタイヘンだったでしょう。それで二度とチベットには来ない!とそのときは思ったものの、今ではチベットが大好きになってしまったのだそうです。

40分ほど走った頃、河の対岸にツェタンの町が見えましたが、バスはさらにずいぶん東へ進んでからそこに掛かっている長い橋を北岸から南岸へ渡って、西進しました。やがて町に入るところで検問を受けてしばしの後、ようやくホテルに落ち着くことができました。

それにしても中国は……と言うよりチベットは、やはり検問が多い。寺にも検問、広場にも検問、町に入るにも検問。至るところに検問(とタルチョ)があるのがチベットだという印象です。