ラサ (3) - デプン・ゴンパ / ノルブリンカ
2015/01/01 (1)
元日、少し早めにホテルを出てバスが向かった先は、ラサ西北のデプン・ゴンパའབྲས་སྤུངས་དགོན་པです。15世紀の建立で、ダライ・ラマ5世がポタラ宮に移るまでダライ・ラマの本拠となっていた寺院であり、最盛期にはチベット最大の規模を誇ったそう。しかし、ここもご多分に漏れず20世紀後半に厳しい弾圧と破壊の対象となり、現在ではかつての盛況を偲ぶことも難しいそうです。
寺の正面に上がる初日の出。今年も良い年になりますように。
チベットの絹のスカーフ=カタを連想させる雲が流れる下、緩やかな階段を登って寺の奥へ進みます。ところどころで香草を燃やす煙が上がっていました。
流れる水を利用したマニ車がユニーク。風や水の力を借りて経典の功徳を衆生に届けようというチベット仏教の発想には感心します。
ラサの盆地には靄がかかり、この世のものとは思われない幻想的な眺めです。今回の旅行の中で最も美しい光景でしたが、やはりこの日、高山病の影響でツアー客の1人がダウンし、ホテルにとどまっていました。この光景を見逃したのは、とても気の毒なことです。
朝日の中に寝そべる犬、佇むヤク。
奥の巨岩には仏画が描かれていて、時期になるとそこに巨大なタンカが掲げられるそうです。
思い思いにマニ車を回しながらどこまでも奥に進み、路地を右手に入って行くと……。
大集会堂の前に出ました。ここでは20元支払うと堂内の写真撮影がOKになります。
というわけで、数少ないチベット仏像の写真をここで披露します。これはおそらく文殊菩薩像ですが、ご覧のように金色の肌、くっきりした顔だち、華麗な装飾はほぼ全てのチベット仏像に共通です。
こうしてみると、チベットの人たちが仏教(美術)に対して注いだエネルギーがどれほどのものであるかがよくわかります。
林立する柱の間に僧侶の座が櫛の歯のように並ぶ薄暗い空間が広がっており、これも修行の場である僧院(ゴンパ)に共通の構造です。しかし、旅の途中で何度かこうした場所を見ましたが、実際にそこで僧侶が勤行に励む姿を見ることがなかったのはどういうわけなのでしょうか?たまたま時間帯が悪かったのか、それともそういう機能が寺院から喪われているのか?
巨大タンカが納められている棚の下を潜るとご利益があるということだったので、みな頭をかがめて棚の下を歩きました。壁には、これもチベット仏教でよく見るモチーフの歓喜仏が描かれています。男女和合の姿をしていますが、インド仏教において集大成された無上瑜加タントラの性的ヨーガが目指すように、これは慈悲と方便の男神と智慧の女神の交合による悟りを暗示したデザインです。そして、この性的ヨーガを実践としてではなくあくまで観想として行うことにより戒律との共存を説くことでチベット仏教の主流派となったのが、ツォンカパのゲルク派です。
大集会堂の前の広場に出るとラサ市街が一望の下でした。日はずいぶん上がって雲の中に隠れていますが、空気は穏やかです。
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大集会堂前の壁面には、ポタラ宮で見たものと同じデザインの四天王がいました。
前庭にはタルチョが巻きつけられた柱が立ち、空に向かって伸びています。
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名残惜しい思いを抱きながら、デプン・ゴンパを後にしました。ここはその立地と展望、美しさ、宗教的な雰囲気などが揃い、本当に来て良かったと思える寺院でした。
続いて、ダライ・ラマ7世が18世紀に建てた夏の離宮であるノルブリンカནོར་བུ་གླིང་ཀ་へ。離宮と言ってもラサ市内にあり、ポタラ宮からそれほど離れているわけではありません。
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こちらは公園の中に散在する近代のダライ・ラマのお住まいを拝見するという趣きとなり、特にこれという感慨を生じるものではないのですが、そうした中でもダライ・ラマ14世が生活していたタクテン・ミギュ・ポタンは必見です。
まずは2階に上がると、そこには純金の玉座や会議室、チベット人の創世神話である猿と魔女の話を描く壁画。その創世神話とは、昔、仏観音菩薩の弟子である神猿がチベットに修行に行き、修行中に出会った魔女から「自分と結婚しなければあなたは鬼と結婚することになる」と迫られて、観音菩薩に報告の上で魔女と結婚した。子供たちが増え、果実の採取だけでは食べていけなくなり観音菩薩に相談したところ、麦の種を与えられて農作を行うことを命じられた。こうして猿と魔女の子供たちは木から降り、大地を耕すようになり、チベット人の祖先となった、というものです。
続いて狭い修行室の入口の上にはイギリスのエリザベス女王から贈られた3匹の猫の絵、ロシアから贈られた巨大(一辺2m近く)なラジオはオランダ製。近代的なバストイレや両親と会うための接待ホールなどもあって、大変モダンです。映画『Seven Years in Tibet』でハインリヒ・ハラーが幼い頃のダライ・ラマ14世と接点を持っていたのもこの離宮です。
外に出れば凍った池。チベット人は魚を食べませんが、それは魚を食べることで生きていこうとすればたくさんの殺生をしなければならないのに対し、ヤクなら1頭で家族が1カ月食べていけるからだそうです。魚を食べる民族である我々日本人には、これは耳の痛い話です。
ノルブリンカの外で見掛けた焼き芋屋は豪快、そして焼き芋のおいしさは万国共通です。昼食はチベット人も普通に使う食堂でチベット餃子=モモとトゥクパ(麺)をいただきましたが、皮が厚くて味がピンとこないモモはおおむねツアー客からは不評で、たくさん残ってしまったモモをガイドの夏さんはビニール袋に入れて店の外に持ち出し後で町の子供たちにあげていました。これもまた、功徳を積むということなのでしょう。