ラサ (1) - ポタラ宮

2014/12/31 (1)

朝、ホテルでビュッフェスタイルのちゃんとした朝食をとってから、冷気漂う中をポタラ宮前の広場へ向かいました。

ポタラ宮の周囲では、まだ早朝だと言うのに巡礼の信者たちがぐるぐると回っています。チベット仏教ではこのように巡礼者が聖なるもの(寺院、仏塔、聖山)の周りを回ることをコルラと呼び、仏教は必ず時計回り、チベット土着のボン教はその逆です。

50元札の構図(なにしろ寒いので手袋をしています)。

寒々しいポタラ宮の様子を正面から眺めながら写真を撮っていたら、左手の山が朝日のオレンジに染まり始めました。そして……。

ポタラ宮にも日が当たり始め、素晴らしく荘厳な眺めがそこに出現しました。これを見れば誰しも拝礼したくなることでしょう。ところが、この眺めを背景に添乗員ヤモトさん、ガイドの才さん・夏さん、ツアー客一同がかたまって記念写真を撮ろうとしたところ、広場のあちこちに配置されている係官の一人がやってきて何やら注意をしてきました。才さんに聞いてみると、どうやらツアー名を印刷した旗を掲げたのが悪かったようで、この広場で政治的な意思表示を行うことを禁じるために文字が書かれた旗を掲げることは御法度とされているのですが、その禁忌に触れた模様。我々の様子は明らかに観光客なので係官の物言いも穏やかではありましたが、やはりチベットの置かれた状況を実感させられる一コマとなりました。

気を取り直してポタラ宮の正面をさらに進み、凍った池を横目に地下道に入り、道路の下をくぐってポタラ宮の前に向かいます。

巡礼者の波に飲み込まれるようにしてわずかに歩き、ポタラ宮の入口へ。マニ車を回しながら進む巡礼者の群れはざわざわとした歩みですが、多くは黙々と歩くだけなので、思いの外に静かでもあります。

ポタラ宮པོ་ཏ་ལはラサの西、マルポ・リ(赤い山)と呼ばれる丘の南斜面に建つダライ・ラマの冬の宮殿。その名は観音菩薩の住まう補陀落(ポタラカ)からきています。13階建てで高さ117m、東西360m、南北300m。部屋の総数は1,000を超えるという壮大な規模を誇ります。もともとこの地に宮殿が建てられたのは吐蕃王朝のソンツェンガンポがラサに遷都した7世紀に遡りますが、9世紀になって吐蕃王朝が滅亡した後しばらくこの地は歴史から姿を消し、17世紀になってチベットを征服したオイラト族のグシ・ハンからダライ・ラマ5世がヤルンツァンポ河流域の寄進を受けると、再び宮殿の造営が始まります。1649年にダライ・ラマ5世は自分が座主を勤めるデプン・ゴンパからこのポタラ宮へ移りましたが、それはダライ・ラマ5世が自らの権力の基盤を確固たるものとするために自身を観音菩薩やその化身であるソンツェンガンポ王の再来と位置付ける意図に基づくものであったようです。以後、この宮殿がチベットの政教両面の中心となりますが、ポタラ宮が今の姿になったのはダライ・ラマ5世没後の1695年のことです。

荷物検査を受けてから宮域に入ると、正面に聳え立つのはポタラ宮の白宮(ポタン・カルポ)と紅宮(ポタン・マルボ)。白宮はダライ・ラマの居住と政務の施設で、紅宮はダライ・ラマ5世の霊塔(チョルテン)を中心に各種の宗教的な設備・什器を納めた神聖な空間となっています。

まずは白宮を目指して、緩やかな階段をジグザグに登ります。

こうして横から見ると、階段の欄干の赤い部分は土と藁とを積み重ねていることがわかります。一方、漆喰状の白い塗装は意外に凹凸に富んでおり、後から聞いたところではその材料は白い石の粉に蜂蜜やらミルクやらを混ぜたものだそうですが、ずいぶんラフに塗り固めた感じがします。

高さを上げるにつれラサ市街を見渡せるようになってきました。向こうに見えている目立つ丘はチャクポ・リ(薬王山)と呼ばれ、かつてはチベット医学を教える学堂があってポタラ宮ともつながっていたそうですが、今ではテレビ塔がてっぺんに立って市内を見下ろしています。

さあ、いよいよ宮殿の中へ。ここから先は異界です。

まず出会うのがこの原色鮮やかな四天王の壁画。左から広目天・多聞天・持国天・増長天。その素晴らしいデザイン感覚と色彩感覚にはのっけから圧倒されます。

建物の中の廊下や階段を経て、デヤン・シャルと呼ばれるかつて観劇場だった広場に着きました。広場の向こうに白宮が建ち、その最上階はダライ・ラマの住まいですから、歴代ダライ・ラマはあの金色の窓からこの広場を見下ろしていたことになります。

広場の向こうに見えている入口から白宮の中へ入りましたが、ここから先は写真撮影禁止です。

まず階段をどんどん上がっていったん屋上に出ると、ペントハウスのようなダライ・ラマの生活空間である日光殿に入りました。ダライ・ラマ14世の寝室、瞑想室、会見室などが並んでいて、それぞれ予想外にこじんまりとしていましたが、好ましくまとまった空間でした。ここに住むのもなかなかよさそうですが、そのためにはダライ・ラマに転生しなければなりませんし、残念ながら現在のダライ・ラマはこの宮殿に住むことができずにいます。

そして次に紅宮へ移り、上から下へと順路を巡りましたが、時間の制約があってここから先は巡礼の人の流れに押されるようにして次々に御物を見て回るばかりの時間が慌ただしく流れていきました。

まず第4層は、弥勒仏、ダライ・ラマ7〜9世の霊塔と、インドからもたらされたと言われる観音像がある聖観音殿。下って第3層は時輪殿の中にあるカーラチャクラの立体曼荼羅が金色の小宮殿といった趣きの素晴らしい工芸の技を見せ、法王禅定洞と呼ばれる穴倉のような小部屋には吐蕃の偉大な王ソンツェンガンポとその2人の妃の聖像が居並んでいました。これらの間に装飾の粋をこらした仏像の数々や緑と赤が目立つ華麗で細密な壁画が現れて目を奪うので、見る者の脳の処理能力の限界を超えてしまいそうです。

そして2層一度に降りていよいよ第1層には、紅宮の本尊とも言うべきダライ・ラマ5世の豪華な霊塔が納められていました。その巨大な霊塔がどのようなものかと言えば、高さ15mのストゥーパ状の塔を覆う金箔が4トン近く、1500個のダイヤモンド、さらには翡翠、瑪瑙などで装飾されていて、内部にはダライ・ラマのミイラが納められているそうです。当然その高さはワンフロアには収まらず、四つの層をぶち抜いて屋上にその屋頂部が突き抜けているほどです。ポタラ宮を遠くから見ると紅宮のてっぺんに金色の屋根を持つ屋頂がいくつか見えますが、それらはいずれも霊塔の最上部を覆うためのものであるわけです。

紅宮は、つまりはこのようにダライ・ラマ5世を始めとする歴代ダライ・ラマ(恋愛詩を書き還俗した後に青海で非業の死を遂げた6世を除き5世以降13世まで)の霊を祀るために作られた三次元曼荼羅であり、最上階に観音菩薩、その下の階に観音菩薩の化身であるソンツェンガンポ、そして1階にソンツェンガンポの再来であるダライ・ラマ5世の宝塔を配して、ダライ・ラマ政権=ガンデンポタンが観音菩薩をその本質としていることを示す構造となっています。ダライ・ラマは、この聖なるポタラ宮の最上部で瞑想を通じて観音菩薩や過去の聖人たちに教えを授かりながら、その宗教的な発信力でチベットを守護してきたのです。

圧倒される気持ちで外に出て、靄に煙るラサ市街(ポタラ宮の北側)を眺めました。まるで夢から覚めたよう。

ポタラ宮は、本当に凄いところでした。圧倒的な権威と富の集約、人々の生きることの目的をこの宮殿の荘厳へと貪欲に吸い集めてしまうような求心力。宮殿内にいられる時間は1時間だけと制限があったために駆け足にならざるを得ませんでしたが、1回通り抜けただけでは消化不良に陥ってしまい、とても今見てきたものたちを記憶に定着させることができません。ここはいつか、もう一度訪ねたいと思う場所になりました。

階段を下って塀の外に出れば、相変わらず巡礼者の群れに巻き込まれそうになります。ツアー参加者の1人がこの人波に飲まれて一時行方不明になりかけるというアクシデントもありましたが、まずは午前の部が無事に終了です。

ここは富士山の山頂に近いほどの標高(3700m)なのですが、どうやらツアー参加者たちはおおむね元気な様子でした。

そんなわけで、昼食のネパール料理店でとうとう缶ビールを手にしてしまいました。


▲ポタラ宮の思い出