プレア・ヴィヒア

2000/07/20 (1)

朝5時に起きてシャワーを浴び、前夜のうちにパッキングしてあったデイパックを持って、ユウコさんに雨のドン・ムアン空港の国内線ターミナルまで送ってもらいました。今日は木曜日なので仕事があるユウコさんは同行できず、ここからの2日間は私一人の旅。6時35分発のTG020便で約1時間で、タイ東北部=イサーン地方の東の果てのウボンラーチャターニーに到着しました。「ウボン」は蓮、「ラーチャターニー」は王国という意味なので、「蓮の王国」というのがこの町の名前ということになります。

空港の出口には英語ガイドのトンが現地のSAKDA TOURのスタッフと共に待ってくれていて「実は私の友人(女性)も同道したいのですが、いいですか?」と最初に聞かれて面喰らいましたが、OKを出して車に乗りました。運転手は伊武雅刀を若くしたような陽気な男ですが、こちらはタイ語オンリー。私、ガイドのトン、トンのガールフレンド、ドライバーにSAKDA TOURのスタッフの5人が乗った車は市街を南に向かいました。途中で渡った川はイサーンを西から東に貫流するムーン川で、2日後に訪れるピマーイはこの川の上流に位置しています。よく見ると川の水位が異様に高く、水没している民家が屋根だけを覗かせていたりしますが、聞くとこれは雨期の氾濫によるもので、この季節はいつものことだそう。雨期のたびに水に浸かる場所に家なんか建てるものだろうか、と不思議に思ううちに車はSAKDA TOURのオフィスに着き、スタッフをおろしてここからは4人旅となりました。ちなみにこのツアーの費用は、運賃・食費・宿泊費・ガイド料など一切コミで11,800バーツです。

100km離れた南の国境線に向かう途中、窓の外には疎らな木々の間に田が広がる不思議な光景が広がりました。これはイサーンの南部に特徴的な「産米林」です。開墾に際して立木を残す理由は、強過ぎる日ざしの下では皆伐しなくても稲の生育の妨げにならない、栄養分の循環にプラス、薬用などの有用樹を残したなどとさまざまに言われていますが、いずれにしても空に向かって徹底的に開けた日本の田を見なれた目には奇異に写りました。

やがて車はカオ・プラ・ヴィハーン国立公園のゲートを越え、わずかに走って土産物屋が並ぶ終点へ到着しました。係員に料金を支払ってトラクターが曳くゴンドラ車(?)に乗り舗装路を500m進むとそこが国境で、2年前までは鉄冊と鉄条網が張り巡らされていたそうですが、今は休憩所があるだけです。50mほどの緩衝地帯を歩いてInとOutに分かれた階段を進むとカンボジア領で、こちらにも土産物屋が並んでいますが、我々は立ち寄ることなく直ちに神殿へ続く階段を登りました。

プレア・ヴィヒア(タイ名「カオ・プラ・ヴィハーン」)は10世紀から12世紀にかけて建造された神殿で、階段状に続く長い参道の左右にいくつかの楼閣を従えながら第1から第4までの神殿が直線的に並び、最後の第4神殿は標高657mの山上に位置しています。その規模は後日訪問するパノム・ルンに匹敵する素晴らしいもので、長年にわたりタイ・カンボジア両国で領有が争われていましたが、1962年に国際司法裁判所によって正式にカンボジア領と裁定されたという経緯があります。その後カンボジアの内戦でポル・ポト派の支配地に置かれたことから参拝が不可能となっていましたが、ようやく2年前(1998年)に旅行者にも解禁になりました。ただし神殿の周囲にはいまだに地雷が埋められており、ガイドなしに歩き回ることは危険。まさに映画『地雷を踏んだらサヨウナラ』の世界です。

石畳の道は徐々に高度を上げていきます。上の画像は第2神殿の表側、下は裏側。

第2神殿裏側の破風のレリーフに乳海撹拌のモチーフを見つけたときはとてもうれしかったのですが、続く第3神殿も左右にホールを構えた立派な建築物で見ごたえがありました。

さらに本殿の右を抜けると、山頂部の絶壁上に到達します。正面にカンボジアの大平原が広がり、右にドンラック山脈が連なっているこの山頂からの光景には、心底感動してしまいました。しかし、この絶壁上に到達する手前には爆弾による穴とベトナム兵が作ったというコンクリートの台座があって、この聖なる山上も内戦と無縁ではあり得なかったことを如実に示していました。

屋根つきの回廊をくぐって神殿の内部に入ると、そこは崩れた石材が痛々しい中央祀堂でした。回廊の壁も一部内側に傾きかけており、早期に整備してほしいものだと思いました。

ここから経蔵の横を通って神殿の門へ出て、第3神殿へ戻る途中の参道で小さな女の子から100バーツで絵葉書を買ったところ、彼女は歩き出した私に「バイバイ」と手を振ってくれました。元来た道を下ってタイ側に戻った頃にタイ人の団体がぞろぞろと歩いてきましたから、我々は一足早かったおかげで幸運にも静かな神殿散策ができたことになります。

トンはプレア・ヴィヒアを訪れるのが初めてだということなので、レリーフのモチーフ以外にも回廊の屋根の不完全なアーチ(クメール人はローマ人のようにアーチで大きな空間を作る技術を持ちませんでした)や算盤のような連子窓など随所にアンコール・ワットとの共通点があることを教えると、いたく感心されました。

今回の旅のメイン・イベントの2時間の拝観は、本当にあっという間に感じられました。