バンテアイ・スレイ他

1999/11/23

今日はアンコール・トムの周辺に散在する遺跡群と、40km北西にあるバンテアイ・スレイに行く日。7時にホテルのロビーでサマニーさんと落ち合って車に乗ると、運転手が前日のことを謝ってきました。

運「昨日はすみません。アクシデントがあって相手と交渉をできるだけ早く済ませ、急いで戻ったんですが、間に合いませんでした」
私「いいのさ。事故なんだから謝ることはないよ」

実際、怪我の功名でバイクタクシーを経験することもできたし、アディショナルな費用がかかったわけでもないので、当方としては気にしていないどころかかえって面白かったと思っているのです。

さて、車は雨模様の中まずアンコール・トムに入り、王宮前広場を右に曲がって勝利の門を抜けました。道の左手にトムマノン、右にチャウ・サイ・テボーダの二つのヒンドゥー寺院を見、さらに未完成の寺院タ・ケウの大きな姿を見送ったらタ・プロームに到着です。タ・プロームはジャヤヴァルマン7世が母のために1186年に造営した仏教寺院(後にヒンドゥー教に改宗)で、東西1000m、南北600mの広い敷地内に荘厳な伽藍が残っていますが、その多くが巨大なスポアン(榕樹)の根に巻き付かれ、飲み込まれたままの状態で維持されていました。これは自然の猛威を明らかにするためにあえて修復の手を加えていないのだそうですが、とにかく凄まじい光景です。

ここから王の沐浴池であったというスラ・スランの横を通り、さらに火葬の儀式が行われていたというピラミッド型寺院プレ・ループの前を抜けていよいよバンテアイ・スレイへ向かいます。距離は40kmほどですが、赤土の強烈に波打つ道を左右に蛇行しながらゆっくりと進まなければならないため1時間以上かかるので、1泊2日でアンコール遺跡を回るときはバンテアイ・スレイは省略することが多いというのがサマニーさんの弁でした。道中、ヤシやカシューナッツの林、稲穂が垂れる田の間にまばらに高床式の住居が建つ様子は、やはり日本の農村とは全然違う熱帯独自の生活様式を感じさせます。「アジアは一つなり」と言ったのは確か岡倉天心だったと思いますが、この光景を見れば「アジアは多様なり」と考えを改めるだろうな……などととりとめもなく考えているうちに、バンテアイ・スレイに到着しました。

バンテアイ・スレイは967年に建てられた小さなヒンドゥー寺院ですが、赤色砂岩を使った美しい色調と、他の遺跡とは一線を画すほどに洗練された彫刻で有名です。その技術は驚嘆すべきもので、非常に細かい模様が極めて深く緻密に彫り込まれたマハーバーラタやラーマーヤナの一場面、あるいは美しいデバター(女神)像などが素晴らしく、彫刻好きであれば往復3時間かける価値は十分にあると言えます。

ちなみにバンテアイ・スレイの近くにある山プノン・クレーンは、ジャワから戻ってクメールを独立に導いたジャヤヴァルマン2世が本拠を構えたところであり、同時にアンコール朝の重要な石切り場の一つであったとのこと。ここから切り出した砂岩をシエム・リアプ川の水運を利用して運搬したそうです。

来た道を戻ること1時間、青空が広がりようやく熱帯らしい雰囲気になってきました。昼食前に訪問した東メボンは、かつて東バライと呼ばれた貯水池の真ん中に952年に建設されたヒンドゥー寺院です。東バライは今ではすっかり干上がっており跡形もありませんが、往事には水上にピラミッド型の姿が見事だったことでしょう。しかし、この寺院の名物の一つである隅の象の像を見たとき、そこに観光客の落書きを見つけて暗澹とした気持ちになってしまいました。アンコール・ワットでも見掛けましたが、他民族の歴史的遺産に対してどうしてこういう仕打ちをすることができるのか、全く理解に苦しみます。

さて、午前の部はこれで終わり。スーベニア・ショップで買い物をし、バイヨン2というレストランでサマニーさんとニンニクの効いた食事をしながらカンボジア国民の対ベトナム感情の話を聞き(サマニーさんによれば政府は親ベトナムなのでこうした話はプノンペンではできないのだそうです)、引き続き午後の部に移りました。

プリア・カンはジャヤヴァルマン7世が父王の菩提寺として建てたもので、灯籠が立ち並ぶ西参道を進むと、例によって乳海撹拌のモチーフが欄干に使われた橋を渡りました。中に入ると中央祠堂のストゥーパまで何重かの門をくぐりぬけることになりますが、奥に行くほど少しずつ開口部が小さくなっているので遠近感が出て中央祠堂がはるか遠くにあるように錯覚を起こさせる造りとなっています。また、本来の表参道である東側の北サイドに、クメールでは珍しい(というより他に例がない)円柱で支えられた2階建ての建築物があって、サマニーさんの説明によればここにはかつて聖剣が納められ、夜などには木の梯子を外して盗難を防いだと言うことです。

最後に訪れたニャック・ポアンでは、2匹の蛇が円形の基壇を取り巻いた祠堂が四角い池の中央に浮かび、四辺には四種の頭部の像があって、その口から水が小池に流れ落ちるようになっています。この施設もジャヤヴァルマン7世が建てたもので、貧しい庶民が病んだときにここに来ると無料で占い師の診断を受けられ、その結果病気の原因が水なら象、鉄なら人、塩なら獅子、空気なら馬の像の口から流れ出る水を浴びるように指導を受けたとのこと。占い師の施設の跡も残っていました。熱烈な仏教徒であるジャヤヴァルマン7世は、このように庶民向けの施療院を100以上も造ったと言われ、今でも国民に人気の高い王様だそうです。

以上でアンコールの旅は終わり。空港でサマニーさん・運転手と別れ、バンコク航空でバンコクへ向かいましたが、ドン・ムアン空港に降り立ったときにはすっかり暗くなっていました。

ちなみにアンコール地方にある遺跡群への入場パスは、シエム・リアプの市街からアンコール・ワットへ向かう途中のコントロール・ゲートで買い求めます。1日なら20ドル、2、3日なら40ドルでパスをもらい、遺跡の入口の係員に提示する仕組みで、これはこの地域の全施設フリーパスであり、もちろん同じ遺跡にも何度でも入れます。

係員は皆、軍服のような制服を着ているのでちょっと怖いのですが、実はなかなかフレンドリーで親切でした。