アンコール・ワット
1999/11/22 (2)
14時半にホテルのロビーでサマニーさんと落ち合って、再びアンコール・ワット方面へ向かいました。天気が悪いのが残念ですが、いよいよロイカトンと並ぶ今回の旅のメイン・イベントです。
アンコール・ワットは、1113年から1145年にかけてスールヤヴァルマン2世によって建立されたヒンドゥー教の様式による廟墓兼寺院です。東西1500m、南北1300mの濠は大海を、その中の敷地にぐるりと巡らされた回廊はヒマラヤを、そして5基の塔からなる中央祠堂はメール山(須弥山)を表しており、高さ65mの中心塔ではヴィシュヌ神が降臨して王と合体するものと考えられていました。
西の橋を渡ると外周部の塔門があり、これを抜けると西参道のテラスが伸びています。真っすぐ進まずに北側の聖池を左に回りこんで第一回廊の西北の塔から回廊に入るとそこにはラーマーヤナのレリーフがあり、これを辿って西塔門を過ぎると今度はマハーバーラタのレリーフがありました。南側に回って軍隊の行進、天国と地獄。さらに東側には乳海撹拌のモチーフが見られます。
ここから第一回廊と第二回廊の間に入り、南側を回って西側の十字回廊に入りました。ここには1632年にアンコール・ワットを祇園精舎と信じて参拝した肥前の武士・森林右近太夫一房の墨書があって、上からかき消したような跡があり判読しがたいものの、いくつかの文字を読むことができました。この頃には東南アジアの各地に日本人町が栄え、当時アンコール・ワットを訪れる日本人も少なくなかったようです。続いて十字回廊の北側の小さな空間に入りましたが、ここは壁に背をつけて立ち手で自分の胸をぼんぼん叩くとエコーが響いて驚くくらい大きな音になる、ということで有名なポイントです。
ここから階段を上がって第二回廊の内側に進むと、目の前に中央祠堂が高く聳えていました。
本来は中央祠堂の西中央の階段が一番登りやすいらしいのですが、最近落石事故があったということでこの階段は閉鎖されており、観光客は南側中央の階段から登ることになっていました。この階段はけっこうきつい勾配で優に60度はあり、狭いステップを身体を横にして細い手すりを頼りに登り降りしなければなりません。
サマニーさんには下で待っていてもらい、一人で中央祠堂に登ると、第三回廊の内側には四つの沐浴場があり(もちろん今は水はありません)、その中央に中央塔が聳え、中には後世に持ち込まれた仏像が祀られていました。そのまま第三回廊をぐるっと回ってみましたが、非常に高度感と開放感があり、確かに王が神と一体化するのにふさわしい空間だと思われました。
こわごわ階段を下ってサマニーさんと合流したら、十字回廊から西塔門を抜けて西参道へ出ました。
名残り惜しく何度も振り返りながら外に出て車が来るのを待っている間に、夕日がアンコール・ワットを赤く染め、この世のものとは思えない美しさとなりました。
今日の行程の最後は、プノン・バケンです。アンコール・トムの南大門の西南に位置する高さ60mの小さな丘陵(「プノン」は「丘」の意味)で、アンコールの第一次都城の中心に位置し、山頂にはピラミッド型の遺跡が残っていますが、この遺跡そのものよりもここから眺めるアンコール遺跡群の眺めが観光客のお目当てです。
しかし、晴れていればアンコールの大平原の彼方に沈む夕日と赤く染まる遺跡群を眺められるはずなのですが、今日の天気では西側に広大な人造湖である西バライの眺めと、木々の間からアンコール・ワットの尖塔がぼんやりと見通せただけでした。
山頂から、象が歩くための緩やかな道を下るサマニーさんと別れて直接参道の坂道を下りましたが、地元の少年・少女が物売りでまとわりついてきました。売り物はTシャツや扇子、美しげな布などですが、「ニーサン、1枚3ドル」と声を掛けてくる彼らはなかなかにしたたかで遣り手です。既に山頂でTシャツを2枚5ドルで買っていたのでもう買う気はありませんが、ぜひもう1枚買え、綿100%だと引き下がりません。
私「もう2枚も買っちゃったよ」
売「ニーサン、もう1枚」
私「いりません。それに、I have no money.」
売「I don't believe you. You have money.」
日本で言えば小学校を出た程度の少年が、母国語に加えて日本語と英語を巧みに使うのには驚きました。彼らにとって語学は生活の糧を得るための必然的な技術なのでしょうが、この知性に高等教育を施したら素晴らしいことになるに違いありません。
さて、サマニーさんも下りてきたので、キーンと金属音のような蝉時雨がうるさい夕暮れの道をドライバーを探して歩きましたが、車はあるもののドライバーが見当たりません。先ほどの物売り少年や近くの売店にいた人の話によると、どうやら止めている車に後ろからぶつけられ(確かに左後方のランプのカバーが破損しています)、相手の運転手と修理代の話をつけにいっているようでした。しばらく待ってみたものの運転手は一向に戻る気配がなく、だんだん暗闇が近づいてきたので、サマニーさんがバイクタクシーの利用を提案しました。これにOKを出したところ、サマニーさんはすぐにバイクを2台つかまえてくれたのですが、これがなかなか快適で、バイクの後ろにつかまって風に吹かれながらの20分余りのドライブは気分が高揚する楽しいものでした。