西安

2011/05/06

西安市でのメインイベントは、兵馬俑坑訪問です。事前に張さんの(珍しくまともな)注意あり。

  • 広いので迷子にならないように。
  • スリが多いです。気をつけて。
  • 写真撮影はOK。ただしフラッシュはダメ。
  • 物売りが寄って来ますが、いらなければ無視するか「不要ブーヤオ」と言って下さい。

秦始皇帝兵馬俑博物館はきれいに整備されており、普通は入口からずいぶん歩いてここに達するそうですが、我々はバスでかなり奥まで入ることができました。

ジオラマの左の方にある建物群が今いる博物館で、そのやや(実際には1.5km)離れた右にあるピラミッド状が始皇帝(在位紀元前246-210)の陵墓である秦始皇帝陵です。司馬遷の『史記』に秦始皇帝陵には水銀の海があると書かれている通り、実際に試掘してみたところ水銀が検出されたとのことですが、現在の科学水準では出土物をそのままに保存する見込みがたたないため、あえて発掘を後世に委ねているのだそう。一方、始皇帝を守るために配備された兵馬俑は1974年に井戸掘りの農民によって偶然発見されたもので、その後発掘範囲を拡大したところ大兵団が現れて世界を驚かせることになりました。おそらく、秦始皇帝陵周辺の土中にはまだまださまざまな文物が埋蔵されていることでしょう。

銅車馬陳列館の青銅馬車。馬も、傘の下の馭者も生き生きとしています。この頃の馬はモンゴル馬で、背は低くても長距離向き。これに対して次の漢代になると、西域からの大型馬(=汗血馬)が好まれるようになります。

こちらの馬車は2004年に東京で開催された「大兵馬俑展」で見たことがあります。屋根のカーブが精妙ですてき。始皇帝が巡行したときの馬車を模したものだそうです。

はい、兵馬俑と言えばこちら。実際の戦闘隊形をそのまま模した一号坑の兵士達で、その数2,000体と言いますがまさに圧巻です。大屋根の大きさにも注目。

よく知られている通り一体一体顔が異なり、秦軍がさまざまな民族で構成されていることもわかるそうです。もともと秦は西戎の一派であったとも言われており、地理的に見ても西の異民族との交流が深かったでしょうから頷けるところです。

ほとんどが東(中原の方向)を向いていますが、左右を固める兵士もいます。兵士達の間の隔壁の上にうねうねした跡があるのは木材を渡して蓋をした跡。それにしても、フラッシュ禁止と言いながらお日様が当たっているのは首を捻ってしまいます?

発掘作業中?焼け焦げたようになっている部分がありますが、『史記』によれば項羽は秦始皇帝陵を焼き討ちしたとあるのでそのことと関係があるのかもしれません。なにしろ兵士達は本物の武器を持って眠っていたわけですから、項羽にしてみればこの兵馬俑坑はかっこうの武器調達手段だったはず。

こちらは三号坑。穴が深いのとほとんど首がないのが特色です。軍団指揮所であるようですが、武器は儀式用のもの、つまり立っているのは儀仗兵です。鹿の角や亀の甲も出土したそうですから、戦闘にあたって卜占も行われたようです。

騎兵や戦車兵が出土した二号坑の通路にいる将校・兵士達=跪射兵、立射兵、騎兵、中級軍吏、高級軍吏。実にリアルで、手のひらには生命線があり、跪射兵の靴底の滑り止めもしっかり再現されていましたが、それ以上に対象の内面にまで踏み込んだ造形が素晴らしく、顔立ちを見るだけでもそれぞれの階級がわかるような気がします。

これらの俑は出土したときにはこのように鮮やかな色だったそうですが、空気に触れてあっという間に色彩を失ってしまったそう。この経験が、秦始皇帝陵の発掘を先送りする理由になっているようです。

バスでの移動中に遠くから見た秦始皇帝陵。果たして、私が生きている間に発掘されるでしょうか?

こちらは驪山山麓の華清池です。古くからの温泉地で、西周の時代にここに驪宮が置かれたとされていますが、この地が最も有名なのは、白居易の「長恨歌」にも歌われた唐の玄宗皇帝(在位712-756)と楊貴妃のロマンスの舞台としてでしょう。

現在の華清池は清代に再建され、その後修復整備を重ねたもの。遠くに驪山に登るロープウェイが見えています。

これは楊貴妃専用の海棠湯。形がおしゃれ。ここで玉の肌を磨いたのでしょうか。

こちらは玄宗皇帝の蓮華湯。でかい!これを一人で使っていたんですか?すると張さん曰く「お妃は何人もいましたから」。

透明な源泉。摂氏43度だそうです。他にも、太宗皇帝(在位626-649)専用の星辰湯や、料理人用の風呂=尚食湯などがありました。ちなみに料理人たちは足を手で洗ってはならなかったそうです。なぜなら、その手で作った料理を皇帝が召し上がるから。また、太宗皇帝はその在位年からわかるように、西暦640年にあの高昌国を滅ぼして西域を直轄下に置いた皇帝です。

楊貴妃像。実際はずいぶん豊満な女性だったそうですが、こちらの像もなかなかにグラマラス。

昼食後は陝西歴史博物館でお勉強。建物の上の鴟尾に注目。唐招提寺の「天平の甍」を連想します。

陝西省からの出土物だけでも、旧石器時代から清代までに及ぶ長大な歴史をカバーした立派な博物館ができてしまいます。中国の歴史の奥深さに圧倒されました。

ついで大慈恩寺の大雁塔へ。これは、玄奘が持ち帰った膨大な数の経典を納めるために西暦652年に建てられた塔です。よく見ると塔が少し左に傾いていますが、地下水の汲み上げによってこうなってしまったのだとか。

塔の最上階から見た西安市街。階段は248段あって、これは般若心経の文字数に合わせてあります。

偉大な旅行家・玄奘三蔵の像と大雁塔。今回の旅行で立ち寄った高昌故城のことも思い出して少ししんみりしてしまいましたが、像の前に立つ女の子も、大人になったら世界を飛び回ることになるのかもしれません。

最後の夜は歌舞ショーを見ました。もう少しトラディショナルなものかと思っていましたが、実際はかなり現代風に洗練されたもので、これはこれで楽しめました。ショー終了後は張さんの案内で西安市内の夜景を少し見て回り、これで全日程の終了です。