ヤンゴン

2010/01/03

ミャンマーでの最後の日。朝、マンダレー市内を会場とする自転車レースが開催されており、我々の車はレーサーとすれ違いながら市街地を出て空港に向かいました。途中の村々には高さ5mほどの小さい仏塔がごく普通に点在していますが、マーマーさんに尋ねてみたところ仏塔だけなら50万円も出せば造れるのだとか。それに土地代、塀、門、そして維持費まで考えればそれなりの額になりますが、お金持ちが寄進するのは難しいことではなさそうです。

マンダレーの空港を飛び立った飛行機は、途中ヘーホーを経由して、ヤンゴンに11時すぎに到着しました。そして、あらかじめGreenのサイさんに連絡した上で連れて行ってくれたのは、マーマーさんの実家です。前回ミャンマーに来たときに、ガイドのチョチョルィンさんが自宅に呼んでくれてモヒンガーをごちそうしてくれたという話を何かの折にしたのですが、それなら私のところにも、ということになったのでした。それほど広くない家の中には、ジャバ・ザ・ハット似で優しい笑顔のお母さんと小ジャバのお姉さん、それにお姉さんとアメリカ人の前夫との間のハーフのとてもかわいい娘さん(医科大学1年生)がいて、あらかじめ用意していたモヒンガーを勧めてくれました。モヒンガーは白い米麺を魚ベースのスープでいただくもので、スープは鯉、鯰が使われ、豆やピーナッツをすり潰したもの、タマネギ、ショウガ、ミョウガ、ニンニク、唐辛子、バナナの芯、あひるの卵、棕櫚の黒砂糖、パクチーなどが入れられます。これを箸ではなくスプーンでいただくところがいかにもミャンマーですが、とてもおいしく2回もおかわりをしてしまいました。

その後、Day Useのヤンゴン市内のホテルに入って、そこで懐かしいチョチョルィンさんと再会しました。いやーチョさん、貫禄つきましたね!それもそのはず、今や彼女は一児の母です。チョチョルィンさんはかつて、なかなか子宝に恵まれないということを嘆いていたのですが、あるときお寺でお祈りをして、40歳を過ぎたらもう子供はいらん!とキレて見せたらお釈迦様が子供を授けてくれたのだそうです。話題はさらに2007年にチョチョルィンさんが来日したときの話になって、そのときは私とは連絡がつかず会えなかったのですが、他の日本のお客がアテンドしてくれて日本のお寺に行ったときにお坊様がパジャマ姿で出てきて心底驚いた、といった笑い話になりました。

さて、今日はこの後残された時間でヤンゴン市内の寺院を見て、それでおしまいです。ということは、手持ちのチャットの再両替が必要。ここで、チョチョルィンさんとマーマーさんとの間で早口のミャンマー語によるプロガイド同士の会話がなされました。こちらには何を話しているのかさっぱりわかりませんでしたが、どうやらどこで両替をするのが一番レートがいいかを情報交換していた様子。いったんチョチョルィンさんと別れてホテルを出ると、マーマーさんは私をボージョーアウンサン・マーケットへ連れて行って、そこで…(中略)…マーケットを出てきたときには、私の財布の中には分厚いチャットの札束の代わりにドル札が入っていました。

その後、残された時間で見て回れる寺院は一つだけ。それならと私が選んだのは、仏教テーマパークと異名をとるメーラムー・パヤーです。

いやー、これは凄い。仏教説話のさまざまな場面がリアルな人形で再現されているのですが、雰囲気はほとんど遊園地状態です。しかし、この寺院のアトラクション(?)を全て説明できるようになったら完璧な仏教徒のできあがりのはず。もしかして、子供の仏教教育のために作られた寺院だったりするんでしょうか?

メーラムー・パヤーを旅の最後に選んだことを半ば後悔しながらホテルに戻ると、チョチョルィンさんがお子さんを連れてきていました。2009年1月6日生まれといいますからまだ1歳未満ですが、3日後の誕生日にはお坊様や親戚など100人ほども呼んで盛大に祝うことにしているそうです。ぜひすくすく元気に育って、ミャンマーと日本との架け橋になってほしいですね。やがて、またいつの日かの再会を約束してチョチョルィンさんと別れ、マーマーさんと共に空港へ向かい、そして手元に残った中途半端なチャット札をどこかの寺院に寄付してくれるようにとマーマーさんに託し、この5日間の誠実なガイドぶりに心からのお礼を言ってマーマーさんとも別れました。

バンコクに向かうTG306便は、20時20分にテイクオフ。窓の外、ヤンゴンの光の海の中にひときわ大きく金色に輝くシュエダゴォン・パヤーが見えましたが、その姿は瞬く間に後方に消えて、窓の外はただの闇になってしまいました。