ヤンゴン

2003/01/02

夕べの泊まりは初日と同じSofital Plaza Hotelで、今日はヤンゴン観光ののち帰国の途につく日。ゆっくり朝食をとり、カチン族の赤い民族衣裳を着たとてもかわいいドアガールの姿を見ながらロビーで待っていると、チョチョルィンさんが夫婦で現れて旦那さんを紹介してくれました。彼は以前韓国や日本に住んでいたこともあるという小柄でにこやかな男性で、いかにも優しそうな親しみやすい人でした。そこでこの日の行程を相談した結果、ヤンゴンはさして見どころがないので、歴史好きな私の希望で午前中は博物館に行くことにし、その後マーケットなどを見てからご自宅に招待して下さるという、大変フレンドリーなプランになりました。

ミャンマー中の宝を集めたのではないかと思われるほど充実した展示を誇る国立博物館の1階は、ミャンマーの文字の変遷を示す史料類を展示しています。ここでは、9世紀以前にこの地方に存在し唐の記録で「驃」と表記されていたピューの文字や、モンの文字が今のミャンマーの文字へと変わっていく様子などが図説されているのを興味深く眺めました。ちなみにミャンマーの文字は1文字が1音節を表記していますが、ミャンマー人の名前に含まれている音の種類でその人が何曜日に生まれたかがわかるルールになっているのだそうです。

先史時代にまで遡れる古い時代の遺物もいろいろ展示されており、バガン王朝関係ではあのチャクゥ窟院にあったという彫り物が見事でした。石板の上に仏陀を脇腹から出産する摩耶夫人とそれを支える侍女の2人が浮き彫りにされており、そのふくよかで柔らかな肉体表現は、やはりチャクゥ窟院の造営にインドの美術 / 技術が導入されていたのであろうことを物語っています。バガンの仏塔の模型などもあって、アーナンダ寺院のミニチュアを見たチョチョルィンさんが「あー、なんだ〜」と呟いたのには呆然!チョチョルィンさん、日本ではそういうのを「オヤジギャグ」と言うんですけど……。

しかし、もっとも素晴らしいのはミャンマー最後の王朝であるコンバウン朝の黄金の美術品、とりわけ「獅子の玉座」です。見上げるほど大きな木製の玉座は表面を黄金で覆われており、その重量感と工芸技術の粋をこらしたつくりは見るものをひれ伏させる威厳に満ち満ちていて、実際「The King used it on hearing lawsuits.」なのだそうです。同様の玉座は「獅子」以外にもいろいろあって全部で9座を数えたそうですが、残る8座は第2次世界大戦のときに失われてしまい、1902年にイギリスの手によってマンダレーからカルカッタに移されていたこの玉座のみが永らえてビルマ独立後に返還されたということです。

コンバウン朝の栄華は、その英国との戦争で終わりました。1853年に即位したミンドン王は首都をアマラプラからマンダレーに移しイギリスとの外交交渉を粘り強く続けていましたが、その死後に即位したティーボー王は政治的には無力で、結局1885年に捕らえられインドに追放されてしまいます。そんなわけでティーボー王の評判は芳しくないのですが、そのお妃様も人気がありません。現世のことに関心を示さないティーボー王に代わって好き勝手な政治を行っていたということになっているらしく、確かに絵で見ると普通は王が右(向かって左)、妃が左(向かって右)なのにティーボー王とその妃は位置が逆だったりします。当時の宮廷の様子はほかにも人形や絵、素晴らしいつくりの各種調度品や衣類で示されているのですが、王様が100人の妾妃をかかえていたという解説のところでつい口を滑らせてしまいました。

私「うらやましい!」
チ「うらやましいですか?」
私「そ、そりゃあ」
チ「女の人同士で喧嘩したりして大変でしょう」
私「いや、だから順番にね……」
チ「でも、疲れますよ」
私「……」

他にもミャンマーの各民族の伝統衣裳や文化の展示、現代美術の展示など盛り沢山の内容で3時間以上を博物館で過ごし、点心の昼食をとってからボージョーアウンサン・マーケットへ向かいました。ところが、我々の乗った車は中国人街で大渋滞につかまってしまいました。何しろどの車も信号などおかまいなしで交差点に突っ込んできて、そのエンジン音とクラクションの喧噪だけでも大変なのに、人間も負けじとどんどん車の間を縫って横断していくのですから、まったく凄いエネルギー。さすがアジア経済を支える中国人です。

やっと辿り着いた駐車場に車を駐めて、歩道橋の上を押し合いへし合いして道路を渡りました。大きな建物の中のマーケットには貴金属や土産物などを売る店鋪が並んでいて、その外の路地では化粧品や生活雑貨、それに簡単な食べ物などを賑やかに売っています。それもそのはず、今日は年末年始のバーゲンの最終日ということで大賑わいなのでした。

マーケット探訪の後、チョチョルィンさんのご自宅に招待していただきました。子供たちがサッカーに興じ大人たちがそれを応援している微笑ましい路地に面した7階建てのマンションで、お目当ての階(チョチョルィンさんのご自宅は5階)から下まで垂れた紐を引くと上で呼び鈴が鳴る仕組み。朝ご挨拶した後自宅に戻っていた旦那さんが待っておられて、ミャンマー名物のモヒンガーやミャンマーのお菓子、スイカなどをふるまっていただきました。モヒンガーはミャンマーの代表的な麺料理で、米の粉で作られている細い麺を、ナマズを煮込んで作った出汁でいただくもの。とてもおいしくてうれしかったのですが、残念だったのは昼食を食べ過ぎてお腹がいっぱいだったことです。点心類だけだったらちょうどよかったのですが、油断していたら最後にどかっと焼飯が出てきていたのでした。

日本からのお土産をここで渡し、楽しい時間を過ごしてから空港へ。見送ってくれたチョチョルィンさんと旦那さんに手を振って、いよいよお別れです。ありがとうございました。いつかまた会いましょう。