バガン

2003/01/01

元旦。暗いうちから自転車に乗ってホテルを出発し、前回バガンに来たときに日の出を眺めた同じ仏塔に登りました。やはり初日の出を見ようという先客が既にいましたが、ほとんどが日本人で、ほかに韓国人の若者のグループが1組。あいにくの曇り空で残念ながら旭日を拝むことはできなかったのですが、灰色や薄黄色に光る雲の下、広大な平原の上にぼんやりと姿を現す3,000基もの仏塔のシルエットは何とも幻想的で、これはこれで見に来た甲斐がありました。

諦めをつけてホテルへ戻る途中、ゴドーパリィン寺院に立ち寄り初詣で。お布施のお札を備えつけの箱に入れ、仏像の前に正座して手を合わせ額を前の床にすりつけるお祈りを3回……と、これはタイ風のお祈りのしかたなのですが、ミャンマーでもこれでいいのかな?

ともあれ、連日の予想外の寒さにちょっと風邪気味なので早々にホテルに戻り朝食をとりました。ゴドーパリィン寺院で買ってきた餅米のお菓子をデザートにしていると、チョチョルィンさんが新年のお祝いということで白地に茶色の仏塔の絵が描かれたとてもしゃれたTシャツをプレゼントしてくれました。

一休みして9時半、ホテルの裏手を流れるエーヤーワディー川の岸辺に出ました。バガンの主な仏塔は前回の旅でだいたい見たので、今回は上流にあるあまり人が行かない寺院を見てみようということになっています。川岸の砂地(ニャウンウーのシュエズィーゴォン・パヤーの「ズィーゴォ」は「砂の川岸」という意味だったことを思い出しました)の上には、小ぶりの擂り鉢のようなものがたくさん積まれていました。チョチョルィンさんの話では、ミャンマーのお母さんは息子の恋人が唐辛子をすりつぶすのが上手かどうかをチェックし、もし下手だと結婚を認めないのだそうです。そんな話をしながら乗り込んだ小さい観光船の客は我々2人だけで、船頭が用意してくれたお茶やタマリンドの実のお菓子などをいただき、丘の上の仏塔や岸に引き上げられた船、水辺で洗濯する女の人などを見ながら左岸寄りにエーヤーワディー川を遡りました。ミャンマーを代表する大河エーヤーワディーもこの辺では川幅が2kmほどになっており、流れもところによっては急です。

1時間ほど遡行したところで左岸の砂岸に船を着け、上陸しました。地元の子供が砂地の斜面の道を先導してくれて到着したチャクゥ窟院は12世紀後半にナラパディズィトゥ王のもとで建てられた寺院で、斜面に建てられた半地下の構造をしており、柱などの浮き彫りが美しいことがこの寺院の売り物です。

ところが実はチョチョルィンさんもここに来たのは初めてで、あまり由来などについて詳しくありません。するとよくしたもので、ちょうどドイツ人の家族がこの寺院を見物に来ていて、その家族のガイドが英語で説明をしていたので、チョチョルィンさんも私もコバンザメのようにこの一行にくっついて回ることにしました。ドイツ人と日本人とミャンマー人が、ミャンマー人の話す英語解説に聞き入るという不思議な構図……。ともあれガイド氏の説明をはしょって訳すと、昔、事情があって美しい女性を部屋に泊めた若い僧が破戒を疑われたため、持っていた石のナイフを川に投げ入れたところ、その僧の予言通りナイフが魚に変わって泳いだために僧は疑いを晴らすことができ、そのことを記念してこの寺院を建立したといわれているのだそうです。

入口を入ったところの仏像を拝む場所には上に小さく開いた明かり取りの窓からの光がかすかに当たり、さらに左奥へ暗い回廊を巡っていくと床に蝋燭が灯してあってどちらも不思議な雰囲気。ガイド氏の「インディアナ・ジョーンズみたいでしょう?」との解説に一同爆笑しました。回廊の奥には低いトンネルが二つあって、一つはシュエズィーゴォン・パヤーへ、もう一つも1.5km離れた別の寺院へ通じていると言われているそうです。ただし、今はこのトンネルは通れず、本当にそれらの遠方の寺院につながっているかどうかは不明だそう。回廊見物を終え外に出て、階段を上がって窟院の上に立ってみましたが、ここはちょうど隠れ里のような地形でバガンの他の仏塔から隔絶しており、本当のところ何故ここにひっそりとこうした寺院が営まれたのかはよくわかりません。

下に戻って、改めて入口両脇にある柱の浮き彫りを見てみました。左の柱に彫られた女性像や渦巻き模様は彫りも浅いし図案も高度とは言えませんが、それでもカンボジアで見たバンテアイ・スレイのデバター像を連想させますし、以前上野で見たマトゥラーのラクシュミー立像にも似ています。この図案自体、バガンの他の仏塔では見掛けないものであり、チャクゥ窟院の由来を考える上で面白いヒントになりそうです。

▲チャクゥ窟院の浮き彫り / バンテアイ・スレイのデバター像 / マトゥラーのラクシュミー立像

帰りは川の真ん中を下るので、ずいぶん早く元の船着き場に到着しました。そこで、残された時間で前回見ていなかったいくつかの寺院を駆け足で見ることにしました。まずはピタカタイ。11世紀、アノーヤター王がモンの国タトォンを征服した際に手に入れた経典を30頭の白象に乗せて運んだところ、その象たちが立ち止まって動かなくなったのがこの場所(この種の話はタイでもよく聞きます)で、そこに三蔵経庫裡として建てたのがこれだそうです。

ついで10世紀、仏教伝来の前に建てられたというナッフラウン寺院。バガンで唯一のヒンドゥー寺院ということなので期待していたのですが、中のシヴァ神などの像は近年作り直されたものですし、物売りの攻勢も激しくて落ち着いて見物することができず、ちょっと残念でした。

さらに足を運んだスラマニ寺院はチャクゥ窟院と同じくナラパディズィトゥ王のときに建てられた寺院で、中に残っている漆喰の壁画はインワ(14-16世紀頃)、コンバウン(18-19世紀)のもの。特に緑色の色使いはコンバウンの特徴だそうです。

なお、ピタカタイとナッフラウン寺院の間に、前回バガンを訪問したときに日本人慰霊碑を守って下さっているのに感激したお寺に立ち寄りました。住職(というのでしょうか?)はヤンゴンに出掛けていて留守ということでしたが、慰霊碑に手を合わせ、少ないながら10ドルの寄付を行いました。

最後はサンセットの展望台、バガンでも初期の建築であるシュエサンドー・パヤーに登りました。幸い天気に恵まれ、さまざまな国籍の鈴なりの観光客の期待どおりの美しいサンセットでした。ここから見る夕日を、シュエサンドー・パヤーを1057年に建てたアノーヤター王も見たかもしれませんが、バガン王朝の栄華の年月の後に、1287年に王国を蹂躙した元(モンゴル)の将軍も、さらに1299年にこの都市を徹底的に破壊したシャンの兵士も見たのかもしれません。

そのまま空港へ移動し、ヤンゴン行きの飛行機に乗りました。飛行中、隣の席に座った日本人の男性と少し会話しましたが、正月休みに両親を連れてミャンマーやタイ、香港などを案内する旅の途中だという彼の話に、なんて親孝行な人なんだろうと感心してしまいました。