エギュイ・クルー「オトーズ・ルート」

2019/08/04

午前5時起床。

食堂に降りると入り口近くのテーブルにパンやシリアル、それに暖かい飲み物もポットに用意されており、各自適当に自分のテーブルに持っていって朝食とします。我々以外でこの時間に出発の準備をしているのは、モン・ブランを目指すという若者2人だけでした。さっさと食事を済ませたら、うっすら明るくなってきた空の下、エギュイ・クルーを目指して出発です。

遠くの谷間に光っているのはクールマイユールの街の灯。そしてエギュイ・クルーの南東壁に向かう道は小屋の裏手から登山道をしばらく登った後に右に分かれる踏み跡を辿るものですが、際どいザレ道のトラバースや下降も含む悪いもので、心理的にはこの後の登攀よりもアプローチの方が緊張しました。

しかし、壁の下に入るところまで進めば一安心。周囲が明るくなってきたこともあり足が進むようになりますが、空気の薄さもあり、ともすれば息が上がります。

小屋を出てからほぼ1時間で到着した取付での展望はこの通り素晴らしいもので、テオのもくろみ通りここに一番乗りすることができました。

この初登者の名前を冠した「オトーズ・ルート」(Voie Ottoz-Hurzeler)は、1935年にイタリアの卓越したガイド、アルトゥーロ・オトーズ(1909-1956)によって登られたクラシックルートで、高距350m。近年リボルトされたことにより人気が高まっているそうです。とは言うものの古いルートだけに岩の弱点を左へ右へと巧みに突いて登るルートファインディングが難しく、確保条件も万全とは言えないことから、この日は全ピッチをテオがリードし、私はフォローに回ることになりました。

1ピッチ目は、南東壁の右側に張り出している尾根状に乗り上がるための傾斜の寝たスラブ登りから。

2ピッチ目を登ると、南東壁に取り付くかたちになります。眼下に白く折り重なっているのはフレネイ氷河です。

3ピッチ目で、南東壁の下部をトラバースしてリッジへと渡ります。テオはロープを60mいっぱい伸ばしていたので、トポの2ピッチ分を一気に登った様子です。特にこの辺りの雰囲気は八ヶ岳の大同心正面壁と似ていますが、何しろスケールが違います。

下を見ると、我々の後からやってきた2組のパーティーが壁に取り付いていました。ただし、この南東壁には他の(さらに難しい)ルートもあるので、同じルートを追っているかどうかは定かではありません。

4ピッチ目、最初テオはさらに左へトラバースしようとしていましたが、ビレイ点から見上げるとボルトが続いている様子。先に進むことを逡巡している様子のテオにそのことを伝えると、戻ってきた彼はこちらから壁を越えていきました。後続してみるとこの壁はかなり立っており、部分的にかぶり気味でしたが、ただしホールドは豊富なので落ち着いて行けば自分でもリード圏内です。

このピッチをこなした頃から、日が直接当たるようになり気温がぐっと上がりました。

そして5ピッチ目のこのトラバース!ここがルート中の核心部で、トポによってはUIAAグレードで「V+」とされていますが、かなり際どいバランスを求められました。

なにしろトラバースなので後続とは言っても落ちることができません。ところによってはパズルを解くようにして手足を置く順番を解明しながらじわじわと足を進め、最後は思い切ってアンダークリングで身体を支えて大岩を右に回り込んでこのピッチをクリアしました。

6ピッチ目はこのチムニーを垂直に登っていきます。先ほどのトラバースに比べればなんと言うこともない……と思っていたら大間違いで、実はこれでも部分的にV級あり、出だしから数歩上がったところで不意に足を滑らせた途端に右膝を岩壁に打ち付けてしまって激痛が走りました。これが後々尾を引くことになります。

7ピッチ目は浅い凹角を辿る露出感の高いピッチですが、花崗岩とは言いながらも風化していて脆く、テオはボルトに加え要所要所でカムも使って慎重に登っていきました。危険度を加味すればここもまた核心部ということになりそうですが、これをクリアすると先は長いものの難所は越えたという感じになってきます。

8ピッチ目は左へトラバースしてから右上へ折り返し。岩の間にロープが挟まれてスタックしないように要注意。

ここまで登ると、モンツィーノ小屋がはるか下になってきました。ゴールは間近です。

9ピッチ目、再び左へトラバースしてから右上すると、南稜のギャップの近くに抜け出ることができました。

10ピッチ目、南稜をわずかに辿ってギャップを越えしばしの登り。

残るは1ピッチ。テオも私もゴールインの予感に笑顔がこぼれます。

最後は易しいスラブ登りでエギュイ・クルーの頂稜に到達しました。登攀開始6時45分、登攀終了10時45分。標準登攀時間は5時間のルートですから、まずまずのスピードです。

向こう側を見下ろすとほぼ垂直に切れ落ちた壁の下にフレネイ氷河、目を上げれば対岸にはプトレイ山稜の上部がモン・ブランへと続いています。

軽く行動食をとってから下降にかかりました。同ルート下降も選択肢に入っていましたが、雪の状態を見たテオの判断で反対のノーマルルート側へ懸垂下降5ピッチ。1カ所だけロープが次の支点に届かずトラバース気味にクライムダウンする場面もありましたが、それ以外は特にトラブルもなく、最後は残雪の上に着地しました。

小屋までの道のりは脆い岩と草付に残る踏み跡を慎重に下り、懸垂下降終了から1時間をかけて13時すぎにモンツィーノ小屋に帰還しました。

登攀完了を祝してコーラで乾杯し、テオはケーキに舌鼓。私は……いまだに満腹感が残っていて何も食べられませんでした。

モンツィーノ小屋から下界への下りは、一般登山者には少々厳しいと思える長い垂直部があり、ヴィア・フェラータの要領で慎重に下ります。さすがに我々はデュアルランヤードを使うことはしませんでしたが、安定した場所に出るまでテオはロープで私を確保し続けました。

2009年開拓のモダンなマルチピッチと、1935年開拓のアルパインなクラシック。性格の異なるラインをそれぞれに楽しむことができ、天上の楽園のような山小屋にも泊まることができて、幸せな2日間でした。テオがイタリア人であることもこの山域が選ばれた理由の一つだろうと思いますが、おかげで「シャモニー」ではなく、イタリア側も含めた「モン・ブラン山群」の幅広い魅力に触れることができたように思います。

ガイドをしてくれたテオとはクールマイユールで別れ、彼はそのまま自宅へ向かい、私はバスに乗ってシャモニーへと戻りました。テオ、3日間のガイドありがとう!次回ここに来られたらまた案内をお願いします。