ダン・デュ・ジェアン
2014/08/01
当初の予定にはなかったものの、2日目にエギュイ・デュ・ミディ〜エルブロンネル間のロープウェイから眺めて「かっこいいなあ!」と思っていたらいつの間にか今回の旅行のメインメニューに昇格していたダン・デュ・ジェアン(4013m)。
「巨人の歯」という名前の通り、フランスとイタリアの国境稜線の上に牙のように突き出た巨大な岩塔は一見して素晴らしいインパクトがあります。
午前5時に長岡ガイドの運転する車でホテルを発ち、シャモニー市内で写真家K氏をサポートするKガイドを乗せてから、エギュイ・デュ・ミディの真下を11.6kmも貫通するモン・ブラン・トンネルを通りました。抜けた先にはイタリアの町クールマイユールがありますが、車はその手前のアントレーヴの駐車場に停め、ここから無料のシャトルバスでロープウェイ駅ラ・パリュ(標高1370m)まで移動します。
天気予報ではこの日は快晴ということになっていたのですが、先ほどからどうも雲行きがよろしくありません。案の定、ロープウェイ駅で行列を作っている間に、前日のうちにロープウェイ終点にあたるトリノ小屋に入っていたK氏から「上は曇っていて、しかも午後は崩れる予報」との連絡が長岡ガイドの携帯電話に入ってきました。
とにかく上がってみないことには話にならない……というわけで長岡ガイド、Kガイド、私の3人はモンテ・ビアンコ・ロープウェイに乗り込み、パヴィヨン・ドゥ・モン・フレティを経由してトリノ小屋(標高3355m)を目指しました。このロープウェイはヴァレ・ブランシュの上を通ってエギュイ・デュ・ミディからシャモニーへ下るロープウェイへと乗り継ぐことによってイタリアからフランスへ渡れる壮大な空中の道になっていますが、エルブロンネル展望台とモンテ・ビアンコ・ロープウェイは2015年のトリノ万博を目指して作り替えている途中で、先ほど車を停めた駐車場の近くに新線の地上駅が建設中でしたから、このコースのモンテ・ビアンコ・ロープウェイに乗れるのは今年が最後ということになるようです。
高度を上げるにつれガスにくるまれたロープウェイの終点から狭くて長い階段を登ると、トリノ小屋の入口に着きました。ここで合流したK氏の目的はもちろん写真撮影なので、この天気では行っても仕方ないとトリノ小屋に残る話になりかけたのですが、残る3人が準備をしているのを見ているうちにK氏の気が変わり、結局計画通り4人でダン・デュ・ジェアンを目指すことになりました。
内心では私も「この天気では、登ってもつまらないな」と思っていたのですが、小屋の外に出てアイゼンを装着し長岡ガイドとロープを結んで雪面を歩き出すと、雲の間から時折青空が顔を覗かせるようになってきました。おっ、これは望みがあるかも!
コースの左側がフランス、右がイタリア。フランス側はヴァレ・ブランシュの向こうにシャモニー針峰のトゲトゲした稜線が見えていて、とりわけプランの尖りは顕著です。そして行く手には、雲にまとわりつかれながらもダン・デュ・ジェアンの岩峰が見え始めました。
あのてっぺんに登るのかと思うと、わくわくしてきます。コースは、岩峰の下に見えている雪の斜面を登って、そこから左上した後に岩雪ミックスのリッジを岩峰右下の肩(「食堂」と呼ばれるところ)まで登ってから、岩峰の手前を左に回り込んで直上です。
雪の斜面を確かな足取りで高度を上げ、傾斜が強くなりだす手前でいったん停止して、ここまで使っていたストックをデポしました。ところが、Kガイドと組んでいるK氏がどうも遅れ気味です。実は、トリノ小屋で合流したときにも高度の影響でフラフラだということを言っていたのですが、会話の端々から推測するとこの日までまったく高度順化をしてきていないようでした。一方の私は、旅立つ前に富士山に2回登っている上に、数日前にコスミク稜も登ったところですから、高度順化という点では万全の状態なので、スピードに差が出ないわけがありません。遅れたときはそのときでトリノ小屋に泊まると割り切れればよいのですが、長岡ガイドはこの日の夕方にシャモニーではずせない用事がありそういうわけにもいきません。K氏は「自分に構わず登頂を優先してください」と言ってくれましたが、ではK氏が不調の場合は長岡ガイドと私だけが登ればいいのかというと、今度は山頂から懸垂下降するためには長岡ガイドと私、KガイドとK氏をそれぞれ結んでいるロープの両方が必要で、つまるところ4人で登りきるか4人一蓮托生で登攀を中止するかという選択肢しかないという状況です。
ストックをデポした地点から急なクーロワールを登って、ミックス帯を登ることしばし。やはり調子が上がらないK氏のために、彼のリュックサックの中身を整理してKガイドのリュックサックに移し、さらに長岡ガイドは私の前にK氏をつないでパーティー全体のペースを合わせるようにしました。
ミックス帯の登りはさして難しいものではなく、ゆっくりしたペースながらも順調に高度を上げることができました。
やがて登り着いたのは「食堂」(標高3830m)と呼ばれる平坦地で、ここからそのまま稜線を進めばロシュフォール山稜の縦走となり、ダン・デュ・ジェアンの登攀が氷の影響などで難しいと思われる場合にはそちらへ転進することもオプションプランとしていましたが、見上げてみると既に南壁を懸垂下降中のパーティーの姿が目に入りました。
アタック決定です。
「食堂」の奥、岩峰の基部に進んで、ここでアイゼンを外しピッケルと共にデポ。さらにK氏と私はリュックサックもデポ。岩峰の左側に回り込むルートは雪の斜面を少し下って、そこからフィックスロープを頼りにしながらギャップをまたぎ越してバンドを進みます。
バンドを渡りきったところにあるカンテの向こう側から、いきなり垂直に近い急斜面の登りが始まります。表皮が傷んで芯が剥き出しになったロープをつかみゴボウ登りで身体を引き上げるのは少々スリリングでしたが、登山靴のビブラムソールが岩に吸い付くようなフリクションを発揮してくれることに心強さを覚えました。
ついで、傾斜は急ながらホールド豊富な凹角セクション。ここは足の置き場を上手に探せば楽しく登れます。
やがて幅広いスラブ帯に突入しました。しかしスラブとは言ってもその左寄りに深く広いクラックが走っていて、そこに設置されている極太のフィックスロープをつかみながらクラック周辺の凹凸に足を乗せて登っていきます。身体を引き上げるときに息を止めてしまうと呼吸が続かなくなるので「息を吐きながら登ること」というのが長岡ガイドのアドバイスでした。
スラブの上部にはホールドの細かいパートや露出度の凄まじいパートなどが出てきますが、ではフィックスロープがなければ絶対登れないかと言われればそこまで困難でもありません。レビュファはその著書『モン・ブラン山群―特選100コース』の中でいつの日にかダン・デュ・ジェアンから固定ザイルが取り払われたならば、昔通りのすっきりしたものになり、登攀は難しくて素晴らしいものになろう
(訳:近藤等)と語っていますが、まさにその通りです。ただし、そのロープのおかげでトリノ小屋からワンデイで登頂するスピーディーな登攀が実現できているのも事実ですし、もちろん新雪が凍り付いた状態だったとしたなら話は別です。
見下ろせば、この角度。
見上げても、この角度。
周囲の山々を見ても、ずいぶん高いところまで来ていることがわかります。
頂上へ抜ける最後の数ピッチは傾斜がぐっと増しましたが、ロシュフォール山稜を見下ろしながら高度を上げる気分はなかなかのもの。ただ、相変わらずイタリア側から断続的に雲が押し寄せており、頂上で展望に恵まれるためには今の晴れ間を逃したくない!という焦りも生じました。
最後のひと登りをこなして南西ピーク(4009m)に達したのは、ちょうど雲が周囲の景観を飲み込もうとしているときでした。
南西ピークの少し先には最高地点である北東ピーク(4013m)があり、そこに設置されているマリア像もはっきりと見えています。ところが、ここで長岡ガイドから「時間がないのでここから降りよう」という提案がなされました。
私はガイドの言うことには基本的に従順な方ですが、さすがにこの提案には頷けないものを感じました。純粋にその山の最高地点に達したいという山屋としての本能もありますが、それ以上に、登攀に時間がかかった理由がどこにあるのかを考えた場合、クライアントとして受け容れられない提案だと思えたからです。
「なんとかあちらに行けませんか?帰りは駆け下りますから」
幸い、この私の申し出を長岡ガイドもすぐに了解し、Kガイドに懸垂下降の準備を委ねると私を北東ピークへ引率してくれました。
雲に包まれて周囲の景観はなくとも最高地点に立てたことで満足し、マリア様に短い挨拶をして直ちに下降地点に向かいました。
南西ピークの南側に支点があり、そこから3ピッチに及ぶ南壁の懸垂下降が続きます。
映画『星にのばされたザイル』の中でレビュファはこの南壁を日本人クライマー鈴木勝氏と共に登っていますが、そのスタイルは人工登攀で、しかも現在ならアブミは2台を使い回して登るのが普通であるのに対し5台も6台ものアブミを駆使しながら登るというスタイルでした。果たして現在、このラインをフリーで登ることはされているのだろうか?もっとも、空中懸垂が長かったことを思うと、それはかなり厳しいものになりそうではありますが。
途中の支点ではハンガーボルトにセルフビレイをとってハンギング状態で次のピッチの下降開始を待つということもありましたが、下降自体はスムーズに進みました。当たり前と言えば当たり前ですが、こういう場面でのガイドの手際の良さは圧倒的です。
無事に「食堂」に帰還し、デポしていた装備を回収して行動食を口にしてから下山にかかりました。
長岡ガイドに約束したように「駆け下る」ことはできませんでしたが、着実に高度を下げていくうちに背後に岩峰の姿が再び青空の下に姿を現しました。下降の途中では後ろから下ってくるK氏から撮影用の演技(?)を求められることもありましたが、懸垂下降がスムーズだったことで時間にゆとりが生まれているらしく、長岡ガイドもその求めに応じていました。果たしてK氏が良い写真を撮れたかどうかは、うまくいけば来年夏頃の某山岳雑誌上で明らかになることでしょう。
さようなら、ダン・デュ・ジェアン。
トリノ小屋のテラスから名残を惜しんでから最終ロープウェイに乗り込みました。
下界のロープウェイ駅からは見上げるグランド・ジョラスの左手にダン・デュ・ジェアンらしきピークも見えていましたが、本当にそうだったかどうかは確信が持てていません。その後、フランス側へ戻るトンネル手前で大渋滞に巻き込まれましたが、なんとかシャモニーに戻ってホテルの前で下ろしてもらいました。皆さん、お疲れさまでした。