スコータイ (2)

1999/11/21

一夜明けて、今日はスコータイの遺跡見物の日。ホテルのあるピサヌロークからスコータイ遺跡のあるムアン・カウ(旧市街)までは、またまたバスで1時間かかりました。中心となる遺跡は、王室寺院であるワット・マハタートとクメール統治時代にヒンドゥー寺院として建立されたワット・シー・サワイです。

前夜と同じ駐車場に止まったバスを降りて遺跡公園の中をぞろぞろと歩き、ラームカムヘン大王記念碑を右に見て左へ道を曲がりました。これは昨夜のショーがあった場所と同じ方角だな、と思っていたら、なんと前夜俳優たちが演技したり走り回ったりしていたところが目的地のワット・マハタートで、うかつにも中心寺院を舞台にしてショーが行われていたことに今頃になって気付いたのでした。200m四方の境内には、数々のチェディや円柱が立ち並び、巨大な仏像が観光客を見下ろしていて数百年前の栄華を偲ばせるに十分な偉容です。

続いて、徒歩で10分ほどのワット・シー・サワイへ向かいました。もともとスコータイは、クメール王国から派遣された地方大守がこの地域を統治するための地方拠点として建設したものであり、ワット・シー・サワイもその頃に建てられたものです。美しい三基のプラーン(塔堂)はとうもろこし型のクメール様式が顕著で、その壁面にはガルーダらしき彫刻が無数に置かれていました。

駆け足でのスコータイ遺跡の見学は、これで終わり。空港へ向かう途中のホテルのレストランで昼食をとって、タイ航空の国内線でバンコクのドンムアン空港へ戻りました(以上の旅程で、費用はお一人様6,600バーツ=2万円強です)。しかしまだ14時すぎと早いので、前回衣装替えのためにエメラルド仏を見そこねたワット・プラケオへ行くことにしました。

タクシーを飛ばしてワット・プラケオに入り、明日見に行くことになっているアンコール・ワットの模型を見た後でいよいよエメラルド仏と御対面。本堂の奥のぐっと高い基壇の上に、黄金の厨子におさめられたエメラルド色の仏像が鎮座していました。これは確かに美しい!

年代記によれば、このエメラルド仏は15世紀に北部タイで発見され、その後チェンマイからラオスに移されて200年余りを過ごし、後にバンコク朝を開くラーマ1世のヴィエンチャン侵攻の戦利品としてバンコクにもたらされたものとのこと。しかし、その様式には南インドやスリランカ由来の特徴も窺え、別の説ではスリランカからもたらされたものとされています。

見るべきものを見て満足してユウコさんのマンションへ帰宅し、夕方、少し暗くなったところでスクンビット通りを散歩がてら、デパートでスニーカーを購入して翌日からのアンコール遺跡訪問ツアーに備えました。

ユウコさん宅には、今日から飼猫タイクーの妹のカオニャオが居候しています。ユウコさんの同僚である飼主がマニラへ出張するため数日間預かることになったものですが、どちらも真っ白でぼってりしており、慣れないうちは俄には区別がつきません。しかし、よく見るとタイクーの方はライオンのたてがみのように首のまわりの毛が長く目が緑色、一方カオニャオは、タイクーよりも身体全体がふくよかで目は茶色です。また、タイクーは自分の家にカオニャオが闖入しているのが気に入らないらしく神経質になっているのに対して、カオニャオの方は極めて人なつこく人間の歩くところについていく癖をもっています。

この二匹はどうやら仲がいいとはいいがたく、たいていは相互不可侵を保っていますが、時折ユウコさんの部屋やリビングの椅子の上と下で地域紛争を起こしており、しかも徐々に家主のタイクーよりも居候のカオニャオの方が優勢になりつつあるようでした。

上の写真も一見のどかにくつろいでいるように見えますが、実際は椅子の下で遊んでいるカオニャオを睨む壁際のタイクーの焦燥感が人間たちにもそこはかとなく伝わってきている場面です。