塾長の渡航記録

塾長の渡航記録

私=juqchoの海外旅行の記録集。遺跡の旅と山の旅、それに諸々の物見遊山。

スコータイ (1)

1999/11/20

フルーツのみの朝食をとってから、マンションから歩いて15分ほどのアソックサミットタワー近くの集合場所へ向かいました。今日からTwin Swell Toursの「スコータイ ロイカトン1泊2日の旅」に参加し、この日はシー・サッチャナーライの遺跡とコ・ノーイ窯を見学後、夜ロイカトンショウを鑑賞することになっています。6時半に出発したバスは大勢の日本人を乗せてひたすら北を目指しましたが、こちらは窓外の景色を見るゆとりもなく睡眠不足を解消しました。お昼頃、ピサヌロークのホテル・トップランドに着いて昼食をとり、さらに1時間余りバスで走ってシー・サッチャナーライに到着です。

シー・サッチャナーライはスコータイ時代に王の直轄地とされ、ガイドの説明によれば皇太子(副王のこと?)の街であったとのこと。今も残る高い壁の内側に遺構が点在しており、その中から39頭の象の像に支えられた台座上の仏塔が建つワット・チャーンローム、たくさんのチェディが立派なワット・チェディ・チェット・テーオ、精細でどことなくオリエント風の漆喰細工がわずかに残るワット・ナーンパヤーを見て回りました。

続いてバスで移動して向かった先はコ・ノーイ窯で、ここは巨大な窯の跡を建物で覆った博物館になっており、桃山時代以降の日本でも珍重された宋胡録焼き(スワンカローク焼き)の製造工程や、宋胡録焼きが東は日本、西は南インドまで輸出されていた様子などを知ることができます。この宋胡録焼きは元朝の中国から招聘した中国人陶工によって磁器の技術がもたらされたもので、長い年月にわたりスコータイ / アユタヤの重要な交易物産となっていたそうです。

ここからホテルには戻らず、なぜか猫がいっぱい遊んでいるムアンカウレストランで夕食をとり、カトンを受け取りました。カトンというのは、主にバナナの葉を蓮の花状に編んだ中に蘭や菊の花、ロウソク、線香を乗せたもので、旧暦12月の満月の夜に水の精霊への感謝の気持ちを込めてこれを川に流す祭りがロイカトンです。中でもスコータイはロイカトンの儀式の発祥の地と言われ、当地の遺跡公園で行われるロイカトンのイベントはスコータイの歴史を華麗なライティングや花火で彩りながら演じる最も豪華なものとのこと。8時のスタートより1時間ほど前に会場に着いてみると、遺跡公園内の池にはいたるところにロウソクの火が灯り、遺跡もライトアップされていて既にムード満点でした。

スコータイの最も偉大な王・ラームカムヘンの像。経典を右手に持ち、民を教化している姿。

8時近くになって会場へ移動すると、遺跡公園内の一角にある池を二方から囲むようにパイプ椅子で席がしつらえてあり、券を見せて会場に入ると意外にも舞台の向い側の前方のかなり良い位置でした。時間になってBGMが流れる中、タイ語、英語、フランス語、中国語、日本語でストーリーの解説が延々と続き、ついでかけられた曲を聞いた途端に周囲が一斉に起立したのでこれがタイの国歌であることに気付きました。もちろん我々も起立して国歌を聞き、その後にいよいよショウが始まりました。

ショウの筋書きをかいつまんで言えば、クメールの軛の中から独立したスコータイが、繁栄と衰退を経て民族の歴史の象徴として現代に蘇るまでを描く一大歴史絵巻で、実に多くの出演者が王族・僧侶・兵士・庶民などを演じ、これに音響や照明が見事に絡みます。レーザー光線が使用され、クラゲのようなオレンジ色の無数の小気球や派手な花火が上がり、戦闘シーンでは象が出てきたりやぐらが爆発炎上するなどサービス精神旺盛なショウが1時間以上も続きました。

ショウが終わったら各自持参のカトンを池に浮かべて、会場を後にしました。ホテルに着いたのは23時すぎを回っており、なんとも盛り沢山の一日でした。