カンチャナブリー

1999/07/18

今日はカンチャナブリーへのバスツアー。昨日食べ過ぎたので朝食は抜きにして、タクシーで集合地点のシャングリラ・ホテルへ移動し、ここでウェンディツアーのガイドと合流して他の3人の日本人とともにミニバスでカンチャナブリーへ向かいました。

カンチャナブリーはタイの西部にあり、古くはアユタヤ王朝と戦うビルマの進軍路にもあたりますが、最も有名なのは第2次世界大戦で日本軍の軍需物資輸送のために多くの捕虜や現地労務者の犠牲の上に建設された泰緬鉄道=映画『戦場に架ける橋』の舞台としてです。泰緬鉄道は、ビルマ・インド戦線への物資輸送がシンガポール経由の海上輸送では困難になりつつあったことから、1942年から1943年にかけて16カ月の突貫工事で完成されたもので、この間に1万6千人の捕虜とはるかに多くのアジア人労働者が栄養失調や疫病に冒されて亡くなっています。

バンコクから約2時間のドライブでカンチャナブリーの町に到着し、まず入ったのがJEATH戦争博物館です。博物館の建物は当時の捕虜の住居となった竹作りの小屋を再現したもので、中には捕虜の暮らしの様子が豊富な写真や絵で解説されていました。これらの資料は、捕虜となった欧米人・オーストラリア人が日本軍の下でいかに非人道的な取扱いを受けたかを記録しており、この「JEATH」という名前自体も「DEATH」に「JAPAN」を掛け合わせているもののようで、日本人観光客にはなんとも居心地が良くありません。

続いて訪問したのが連合軍共同墓地。さほど広いところではありませんが、敷地内には鉄道建設に従事して弊れた6,982人の連合軍兵士の墓があります。

墓碑には氏名、年齢、所属と簡単な銘文が彫り込まれていますが、ほとんどが20代から30代の若い兵士ばかりでした。たとえこの施設が白人向けの施設でしかないとしても、彼らがなぜこのような若さで死ななければならなかったのかと考えると、暗澹たる気持ちになってきます。

バスで移動した先はクウェー川鉄橋駅。1943年2月に完成した最初の橋は木造でしたが、連合軍の爆撃機の空襲で何度も爆破され、その後鉄橋に架けかえられています。現在の橋は戦後に修復されたものですが、一部に戦争中のオリジナル部分も残っているとのこと。橋の上には板が渡してあり、強烈な日ざしの下を歩いて渡ることができます。

いろいろな国からの観光客に混じって我々も橋の上を往復し、その後に駅の近くで屋台の果物を食べてから、10時55分発の汽車に乗り込みました。

汽車は橋を渡ってからタイの農村部をかなりのスピードで進み、窓の外には赤土のサトウキビ畑やタロイモ畑が広がりましたが、ガイドは疲れているのか汽車の中では爆睡モードでした。途中、工事の難所であったチョンカイの切り通しやアルヒル桟道橋ではそろそろと進み、約2時間で着く終点の手前の駅で下車して、レストランでこの日初めての食事をとりました。

カンチャナブリーの旅はこれでおしまいですが、バスに乗ってのバンコクへの帰途に、ついでのようにナコーン・パトムのプラ・パトム・チェディに立ち寄りました。

ナコーン・パトムは、7世紀から11世紀にかけてメナム・デルタを支配したモン族のドヴァーラヴァティー王国の都があったところ。プラ・パトム・チェディは今から1500年ほど前に高さ40mの最初の塔が建てられ1853年にラーマ4世の命令で改修された高さ120.45mのタイ最大の仏塔で、半円形の塔身の上にとがった塔頂が伸びた典型的なセイロン様式を示し、オレンジ色のタイルで覆われて非常に目立ちます。周囲は円形の回廊で囲まれ、数多くの仏像には市民が貼り付けた金箔が輝き、中国風の石像が配置されていました。

バンコクに戻ったバスは、乗客をそれぞれの宿まで送り届けてくれました。我々がマンションに帰り着いたのは夕方の6時半すぎで、本来であればバンコク市内では最も渋滞がひどい時間帯にも関わらず比較的スムーズに走れたようです。シャワーを浴びてから、メイドのエトさんが作ってくれた夕食にワインで乾杯して、今日の締めくくりとしました。

ユウコさんのマンションはなんと220平米。エントランスだけで6畳程もあり、大きな推定50平米のリビング / ダイニングとベッドルームが三つあって、その二つには独立したバスルームがついているほか、メイドのエトさんが泊まる部屋もあります。この広い部屋にユウコさんとエトさん、それに生後4カ月のやんちゃ猫タイクー(「Tiger Woods」のタイ式発音)の3人(?)だけで住んでいるのですから羨ましい限りです。

タイクーはライチーによく似た味のラムヤイやランブータンが大好きで、我々が食事をしていると椅子からテーブルの上に登って果物を物色し、その都度エトさんに台所に拉致されて好物の配給を受けます。また、私が貸してもらったベッドルームは普段開かずの間としているため、好奇心旺盛なタイクーは興味津々だったらしく、朝、ドアを開けると素早く忍び込んでベッドによじ登ったり部屋の中を視察したり。最後の日にばしばし写真を撮ってやりましたが、カメラのフラッシュには驚いたらしく、その後はカメラを向けるとリビングのテーブルの下やソファーのクッションの陰に隠れるようになってしまいました。