塾長の渡航記録

塾長の渡航記録

私=juqchoの海外旅行の記録集。遺跡の旅と山の旅、それに諸々の物見遊山。

出発

2014/07/25-26

金曜日の深夜に羽田空港を発ったエールフランス機がシャルル・ド・ゴール国際空港に降り立ったのは土曜日の午前4時。寒い……。

ここで入国手続を済ませ乗継ぎ便を待つうちに小腹がすいたので、午前6時に営業を開始した空港内の売店で朝食代わりのピザとコーヒーを買い求めましたが、おそらくユーロ紙幣を使ったのはこれが初めてです。そして4時間半待ちの後、ジュネーヴ行きの飛行機に乗り継ぎました。

1時間余りの短いフライト(途中クロワッサンと飲み物のサービスあり)でスイスとフランスの国境にまたがるジュネーヴ・コアントラン国際空港に到着し、事前の指示通り到着ロビーの一角にあるAlpyBusのカウンターに行くと、気のいい若者の係員がこちらの名前と国籍を確認して「ハジメマシテー」と挨拶してくれました。係員に案内されてシャモニー行きの乗合バスに向かった客の中で東洋人は私だけでしたが、見事に全員がリュックサックを背負っていて、シャモニーという町の性格を如実に示していました。

どんよりした雲に頭上をふさがれたおおまかな谷筋の中を、バスはおおむね南東方向に走ります。途中のホテルで次々に乗客を降ろしながら走り続けたバスは、出発して1時間半ほどたったところでシャモニーの鉄道駅前に止まりました。そこが私の目的地で、これから1週間を過ごすグスタヴィアホテルは目の前でした。

チェックインしたのは正午を少し回ったところですが、ガイドとの打合せは16時から。そこで町中をざっと歩いてみることにしました。駅前から広い通りの奥に見えているのは、モン・ブランなどの高峰群とは反対のエギュイ・ルージュ(「エギュイユ」は「針峰」と訳されます。つまり「赤い針峰群」です)と呼ばれる山並みの中でシャモニー中心部から最も近いピークであるブレヴァンです。そちらに向かって歩いていくとすぐに「Casino」という名前のスーパーを見つけ、これでまずは食料品の買い出しに困ることがなくなったとほくそ笑みました。後でわかったことですが、この「Casino」はシャモニーだけで5軒程も展開しており、かなりポピュラーなお店であるようです。

左の写真のシックな建物の入口の「M」マークに注目。なんとこれがマクドナルドです。さらに直進して谷の真ん中を流れるアルヴ川に掛かる橋を渡ったところに1786年のモン・ブラン初登者の1人である医師ミシェル・パカールの像がありました。彼が眺める方向には、モン・ブランが雲に頂上を隠されています。

さらにサン・ミシェル教会まで達したところで左に回り込み、再びアルヴ川を渡るところにあったのはもう1人の初登者である水晶取りジャック・バルマとそのスポンサーであったソシュールの像でした。なぜパカールが1人寂しく離れたところに立っているのか?そこにはモン・ブラン登山史にまつわる人間ドラマがあるようですが、現在ではバルマとパカールは共に初登者としてその栄誉を認められています。そんな具合に町の主立ったところを一回りしても30分もいらないくらいの小さなシャモニー中心部の地理的概念をつかんだところで、ホテルでガイドを待つことにしました。

16時より少し早くホテルに来てくれたのが、今回の山旅でお世話になる長岡ガイドです。長岡ガイドとは2012年の岩根山荘でのアイスクライミング講習で初めて会い、その際に夏はシャモニーに常駐しているという話を聞いていたのですが、そのときはまさか自分が長岡ガイドにこういう形でお世話になるとは思っていませんでした。

まずはひとしきり日程の確認を行うと共に、今年のモン・ブラン登山は雪の状態が悪く予定されている日程の中では難しいかもしれないという話をもらってから、フランス山岳会の建物に向かいました。ホテルから徒歩5分、先ほどのマクドナルドのすぐ近くにあるログキャビン風の建物がフランス山岳会で、そこにはとても綺麗な若い女性の係員さんが1人でカウンターの中に座っています。そして先客の日本人2人(のうちの1人)と同様、私もここで€94.5を支払って山岳会の会員になる手続をしました。フランス山岳会に入らなければ山に登れないわけではありませんが、これで山岳保険が効くようになるというわけです。

その後は簡単な市内案内をしていただき、先ほど歩かなかった目抜き通りであるパカール通りに足を踏み入れてみました。

この頃になると天候が回復し、シャモニ針峰群がとげとげした姿を現しました。

バルマが指差す先にはボソン氷河とエギュイ・デュ・グーテ。モン・ブラン山頂はまだ雲の中です。

登山用品の品揃えが最も充実したスネルスポーツ近くの建物の壁には、著名な登山ガイドの姿が描かれていました。このうちバルコニーの下でアブミを使っているがガストン・レビュファです。そしてふと橋の下を見ると、アルヴ川をミニラフティングで下っていく人々の姿がありました。氷河のある地方独特の白く濁った川をこうして下るのは、果たして楽しいものなのでしょうか?

最後に大事な仕事が一つ残っています。それはロープウェイやゴンドラ、登山列車などに共通のマルチパスを購入することで、そのためにエギュイ・デュ・ミディ行きのロープウェイ駅に向かいました。もちろんこの日はもう乗り物には乗らないので、欲しいのは明日からの6日間。このことで窓口で一悶着ありましたが、どうにか無事にマルチパスをゲットできたところで長岡ガイドと、明日早朝のここでの待ち合わせを約束して別れました。

当初の予定では明日は移動の疲れをとる休養日だったのですが、ホテルでの打合せの中で、天気予報を見る限り明日の好天を逃すとその後の行程が苦しくなりそうだということから、明日はいきなり高度順化と技術確認を兼ねてエギュイ・デュ・ミディのコスミク稜を登ることになっています。見上げる針峰上が青空になることを期待しながら、ホテルに戻りました。